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世界から本が消えたなら…?レイ・ブラッドベリ「華氏451度」書評

華氏451度…何の温度が知っていますか?

華氏451度。それは紙が自然発火する温度です。この紙が燃える温度をタイトルにした小説があります。レイ・ブラッドベリ「華氏451度」です。

華氏451度では、本を所有することが禁じられたディストピアが描かれます。本を持っていることがバレたら家ごと、その人ごと燃やされてしまうのです。

そんな世界では、人はどう生きているのでしょうか…?しばし、華氏451度の世界を一緒に歩いてみましょう。


本を持つことを禁じられた世界で、
人々はどう生活している?

華氏451度の世界の中で、人々は特殊な生き方をしています。そんな生き方の中から、4つの特徴を紹介しましょう。

■「巻き貝」

人々は、耳に「巻貝」をはめ、音楽や会話を聞くのを楽しんでいます。この巻貝を常に耳につけているので、読唇術のエキスパートになる人もいるようです。

両耳にはちっぽけな《巻貝》— 超小型ラジオがおさまり、音響の大海の電子的波濤を、音楽とおしゃべりと音楽とおしゃべりを、彼女の眠らぬ心の岸にひびかせている

■睡眠薬依存

華氏451度の中の世界の人々は、眠るのに睡眠薬に頼っています。

睡眠薬の飲みすぎは日常茶飯事。私達の世界と違うのは、睡眠薬を飲みすぎても、血を入れ替えればすべてなかったようにできる機械があることです。だから、人々は睡眠薬を飲みすぎてもケロッとしています…。

■テレビを通じた芝居

この世界の人々が楽しんでいる娯楽のひとつに、テレビを通じた芝居があります。それぞれの人に役割が与えられ、台本が配られます。時間になったら、テレビの前で知らない人と役割になりきり、台本を読む。これが華氏451度の世界の中で最大の娯楽です。

向こうでは役をひとつ抜いて台本を書いてるの。これ新しいアイディアだわ。抜けているのは家庭の主婦のところで、これがわたしね。抜けたセリフのところへくると、三つの壁からみんながこちらを見て、私がセリフをいうわけ。

■気晴らしに高速道路で車をぶっ飛ばす

華氏451度の世界ではカブトムシ(=車)を高速で走らせることを気分転換とされています。死者が多数出ているにも関わらず…。

それほど刺激に飢えた生活をしているということでしょう。


本のない世界の職業「昇火士」

華氏451度の世界では、火を消すのではなく、火を放つ仕事が登場します。その名も「昇火士」。消防士ではありません。

昇火士はなにに火を放つのか。本とその本を所蔵していた建物・人に火を放ちます。

華氏451度の主人公・モンターグは、この昇火士の仕事についています。昇火士モンターグが様々な人と出会い、本の存在に気付き、本を否定する人々と衝突しながら話が進んでいきます。


昇火士と「不思議ちゃん」の出会い

物語は、モンターグがクラリスという女の子と出会うことから始まります。このクラリス、かなりの変わり者。

歳は十七で、頭がイカれてるの。
雨って気持ちいいから、こうやって降られながら歩いてるの。

このような不思議ちゃんクラリスと出会うことで、モンターグの運命が変わり始めます…。


クラリスの発言に心揺れるモンターグ

では、モンターグとクラリスの間でどんな会話がされたのでしょうか。クラリスはモンターグに以下のように語りかけます。

(高速道路で車をぶっ飛ばす)ドライバーってものをゆっくり見ないから、草がなんだか、花がどういうものか、知らないんじゃないかって。
あなた幸福?
みんな、私がどういうふうに時間をつぶしてるか知りたがってる。だから教えてやるの—ときどきはただすわって物を考えてるって。
人は何を話しているわけでもないのよ。(中略)なんの話もしてないの。いろんな車や服やあちこちの水泳プールの名前を出して、素敵っていうわ。だけど話すことはみんなおなじで、人と違った話は出てこないの。

これらの話を聞いたモンターグは、自分の日々の生活との向き合い方について、疑問を感じ始めます。加えて、本を守りながら焼死していく老婆に出会い、モンターグは本には何かがあると考え始めるのです。

それから本のことも考えてみた。そこではじめて本のうしろには、かならず人間がいるって気がついたんだ。本を書くためには、ものを考えなくちゃならない。考えたことを紙に書き写すには長い時間がかかる。ところが、僕はいままでそんなことは全然考えていなかった


本のない世界の言い分

モンターグは本には人を動かすだけの何かがあると気付きはじめました。しかし、その考え方は昇火士としてあるまじきもの。上司であるベイティーに異変に気づかれ、問いただせれてしまいます。

ベイティーは、本のない世界の正常性をモンターグに説いていきます。

ベイティーははじめに、スピードと快楽を求める世界の正しさについて、語りかけます。

民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み、面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる。どうだ?スポーツ組織をつくれ、どんどんつくれ、スーパースーパースポーツ組織を。本にはもっと漫画を入れろ、もっと写真をはさめ。心が吸収する量はどんどん減る。せっかち族が増えてくる。ハイウェイはどこもかしこも車でいっぱい、みんなあっちやこっちやどこかをめざっし、結局どこへも行き着かない。
これはお上のお仕着せじゃない。声明の発表もない、宣言もない、検閲もない、最初からなにもないんだ。引き金を引いたのはテクノロジーと大量搾取と少数派からのプレッシャーだ
黒人は『ちびくろサンボ』を好まない。燃やしてしまえ。白人は『アンクル・トムの小屋』をよく思わない。燃やしてしまえ。誰かが煙草と肺がんの本を書いた?煙草好きが泣いてるって?そんな本は燃やしてしまえ。平穏無事だ、モンターグ。(中略)全部燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ。

加えてベイティーは、スピード・快楽を求める世界に身を任せ、考えないことは幸せなことだと述べます。

そして、国民には自分の頭で考えている錯覚さえ与えておけば良いと言うのです。

物事がどう起こるかではなく、なぜ起こるかを知りたがっていた。これは厄介なことになりかねない。いろいろなことに、なぜ、どうしてと疑問を持ってばかりいると、しまいにはひどく不幸なことになる。
 国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ覚えているか、競わせておけばいいんだ。不燃性のデータをめいっぱい詰め込んでやれ。もう満腹だと感じるまで”事実”をぎっしり詰め込んでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。

なんだか身に覚えしかないですね…。ベイティーが説く世界と今の世界、違っている点はどこにあるのでしょうか。


本とはなにか。

ベイティーとの対話のあとも、モンターグの本の好奇心は消えません。彼は本を隠し持ち、読むことを決めました。

しかし、本を読み始めたはいいものの本がわからない。本に書いてある物事の意味は?そもそも本とはなんなのか?モンターグは泥沼にはまってしまいます。

そんな状況の中、モンターグは一人の老人を思い出します。それが元大学教授のフェーバーでした。

フェーバーはモンターグに対して、本について・本当に必要なものについて語ります。

(本が助けになるかもしれないと言うモンターグに対して)きみに必要なのは本ではない。かつて本のなかにあったものだ。
書物は、われわれが忘れるのではないかと危惧する大量のものを備えておく容器のひとつのかたちにすぎん
(本当に必要なのは)情報の本質、それを消化するための時間、最初の二つの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由
ひとつのもの、ひとりの人間、ひとつの機械、ひとつの図書館に救われることを期待してはならんのだ。ささやかでも、救いに向けて自分のできることをしなさい。そうすれば、たとえ溺れようとも、少なくとも岸に向かっていると自覚して死んでいける


本を読まない人の考え

フェーバーと会い、本の力について確信を深めていくモンターグ。そんな中、本のことなど知らない、何も考えていない女たちと出会います。女達は口々に以下のようなことを言います。

(お子さんはおげんきですかと問うモンターグに対して)子供がいないことはご存知でしょうに!まともな考えの持ち主なら、子供なんかつくらないと思いますけど!
うちでは子どもたちを十日のうち九日、学校に放り込んでいるの。私は月に三日、子どもたちがうちに帰ってきたときだけ我慢すればいいの。たいしたことはないわ、ラウンジに放り込んで、スイッチをいれればいいんですもの。
このあいだの選挙、みんなとおなじように投票したわ。ノーブル大統領にいれてみたの。あの人、これまで大統領になった人のなかで、いちばんハンサムだと思うわ

耐えきれなくなったモンターグ。本を持ち出し、詩を朗読します。すると女たちは泣き出してしまうのです…。


生きるとはなにか。

その後、女達に通報されてしまったモンターグ。昇火士からの追手を振り切り、なんとか逃げた先で出会ったのは、本を守る男たちでした。彼らは本をすべて暗記し、後世に伝えることで本を守ろうとしていたのです。男たちは語ります。

お前は都市になにを与えたんだ、モンターグ?灰だ。ほかの人間は、たがいになにを与えあっていた?なにも。
人は死ぬとき、なにかを残していかねばならない、と祖父はいっていた。子どもでも、本でも、絵でも、家でも、自作の塀でも、手づくりの靴でもいい。草花を植えた庭でもいい。なにか、死んだときに魂の行き場所になるような、なんらかの形で手をかけたものを残すのだ。そうすれば、誰かがお前が植えた樹や花を見れば、お前はそこにいることになる。
世界は、工場でつくった夢、金を出して買う夢よりずっと幻想的だぞ。保証だの安全だのを欲しがるな。世の中にそんな動物はいない。

そして戦争がはじまり、その瞬間に終わったーーー。

それまでの都市は壊され、本を守る男たちだけが生き残ります。

ここで華氏451度のお話はおしまいです。


ディストピアへの道を歩く私たちにできることは

■今の世界とディストピア

この本を読んでいる途中、既視感がずっとありました。巻き貝はイヤホン。テレビを通じた芝居はSNS。気晴らしにジェットコースターに乗り、何も考えない自分たち…。

どうしても華氏451度という小説をSFだ、と笑い飛ばすことができませんでした。もしかすると、自分たちはこの小説が描くディストピアへの道をまっすぐに進んでしまっているのかもしれません。

では、私たちにできることはなんでしょうか。本を読むこと?自分で考えること?戦争ですべてをふっとばしてしまうこと?

答えはわかりません。ただその答えをなんらかの方法で探し続けることが必要です。

■華氏451度の教訓

私は、この本から「本を読め!自分で考えろ!」という教訓を得たとは感じていません。本を読めば答えが得られる。これはいかにも安直な考え方で、一種の思考停止に過ぎないからです。

同時に、自分で考えろという言説にも、「自分と同じ考え方になれ!」「自分の頭で考えたフリをしろ」というような思惑が隠れているように感じます。自分で考えてたどり着いた誤った結論には恐ろしい力が宿ってしまいます。

■「自分で考える」とは?

では、本当の「自分で考える」とは、どういったことなのでしょうか。私は、自分で考えるとは、自分の頭の中にある考え方や経験と自分の頭の外にある知識や情報を結びつけて、自分にとって最適な教訓や行動案を抽出することだと考えています。自分の外のに世界を一度自分の頭というフィルターに通して抽象化してみることで、新しい考え方や世界の見方を開発する。これが自分で考えるということなのではないでしょうか。

ただこの考え方だと、どうしても自分の世界に偏った情報が集まってきてしまいます。人は好きな情報や自分に都合の良い情報ばかり無意識に集めてしまうからです。だからこそ、意図的に自分とは反対の立場の人の本を読んだり、いつもとは全く違うジャンルの情報に触れてみることで均質的に情報を集める必要があるでしょう。

自分で考えることを実現するためには、情報の本質を掴むよう努力すること・自分の考え方を振り返り疑えるような余暇を持つこと・行動をすぐに修正できる柔軟な姿勢と行動力を持つことが必要になります。まさに、フェーバーが言っていたように。

…おっと、どうやらまた華氏451度の文章を引用して、自分で考えたフリをしていたようです。これからは自分で考えられるよう努力を続けていこうと思います。


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