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なぜ「学びたい」「本を読みたい」と思うのか?

なぜ人は学ぶのでしょうか。なぜ人は本を読むのでしょうか。

さまざまな考え方がありますが、私は「自分を客観視するために学んだり、本を読んだりする」のだと考えています。

学んだり、本を読んだりすることで自分を客観視できます。自分を客観視できれば、自分の狭い視野から離れ、新たな可能性や解決策が見つかるかもしれません。もし見つからなくても、自分を離れるという体験は、最高の気分転換になるでしょう。

たとえば、私は最近、夏川草介著「スピノザの診察室」という本を読みました。

この本は、地域医療に関わる医師が、命のあり方や医師の存在に向き合いながら仕事をしていく小説です。

私はこの本を読むことで、地域医療に関わる医師という人の考え方を追体験することができました。私がこの小説に登場する医師だったらどんなことを考えて仕事をするだろう、もしこの小説に登場する患者だったらどんな態度を取るだろうと色々な妄想を膨らませました。

このような妄想を通して、「命と向き合うとは」「自分が死を迎えるときには」「仕事に向き合う姿勢とは」など、小説の主人公の視点から、自分の考え方を見つめ直すことができました。

小説の主人公の視点を借りて、今の自分の心を見つめ直す。これが自分を客観視するということです。

同じように、自分を客観視することは哲学・心理学を学ぶときにも体験できます。

良質な哲学書や心理学書を読むと、自分の思考がひっくり返るということがあります。

たとえば、ヴィクトール・フランクル「夜と霧」を読んだとき、私の考え方は大きくひっくり返りました。

「夜と霧」では、「自分の人生の意味を問うのではなく、人生から自分に対して意味が問われているのだ」という言説が登場します。

私はそれまで、人生の正解を求めて哲学書や心理学書を紐解いていました。夜と霧を読むときも、人生の正解がわかるのではないか、と期待していました。

しかし、夜と霧を呼んで出会ったのは「正解」ではなく、「正解を自分で示すこと・正解を自分で作り出すことの重要性」でした。今までの正解を本に探す姿勢がひっくり返り、自分自身の生き方を自分で示そうと考えるきっかけになりました。自分が生き方を創っていいんだ、その参考として本を読むようになりました。

このように哲学や心理学を学ぶことを通して、新たな考え方に触れ、それまでの自分の姿勢を帰るきっかけを得ることができます。哲学や心理学というフレームを通して、自分の考え方を眺め直し、自分のあり方をひっくり返すことができるのです。


ここまで、小説を読み、哲学・心理学を学ぶことで、自分を客観視でき、自分の考え方を見つめ直す例を示してきました。自分を客観視するのには、小説や哲学、心理学にとどまりません。どんな学びでも、自分の知らない視点から自分を見つめ直すことができます。自分の知らない視点から自分を見つめ直す学びの経験は、何にも変えられない貴重なものです。

ただ、仕事をしながら学び続けることは、とても難しいことなのかもしれません。自分は現在社会人でどうしても読書の時間や学びの時間をおろそかにしてしまいがちです。最近まで、仕事で疲れ果て、本を読む気力も、学ぶためのエネルギーも生まれなかったことも多くありました。

それでも、学びたいという思いはずっと心の底から消えたことがないということに気が付きました。きっと同じように考えている同志の方も多いのではないでしょうか。

本を読んだり、学ぶ時間をとらないと、自分の狭い視野に囚われてしまいます。自分の狭い視野にとらわれてしまうと、いつの間にか、自分や他人を偏った価値観で断罪するようになり、自分で自分を生きづらくしてしまいます。

多くの世界や考え方を知り、豊かで広大な世界を生きていくために、本を読み、学び続けたいと思っています。

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