おうち時間の建設的な過ごし方に苛まれる大学生の実録

世間の学生の大半に漏れずおうち時間というものを過ごしている。しかし自主的に感染を防ごうだとか世間に配慮したわけではなく、大学は延期に継いでオンライン授業に切り替わり、バイトも飲食店なので店ごと閉められた上に自身の怠惰な気質が加わって特に何もせず社会に何も生み出さない自堕落で無機質な生活を送っているだけだ。
強いて言うなら雀の涙の残りの給料を費やした通販行為によって経済を回している。
あくまで個人の範囲内の生産行為としては前にnoteに書いたDTMと、オタクなのでファンアートをTwitterに出すためのイラストの練習をしている。しかしそれだけだ。
昔は何もすることがない時はよく本を読んでいたが、活字で暇つぶしをしていただけなので、スマホを持つようになってからは読書行為はTwitterによって葬り去られた。別に暇を潰すだけなら10万字の重厚なひとつの物語も140字のつぶやきの羅列も何も変わらない。
しかし、この休みに次ぐ休みで自分が1ヶ月間毎日何もしていないことに気づいた時、じわじわと嫌な気持ちが精神を蝕んできた。自分は普段「貴方が無駄に生きた今日は誰かが生きたかった明日」などという押し付けがましい名言を軽蔑している部類の人間だが、流石に日々を流し流しにしすぎではないだろうか。しかし今更後悔しても後ろには自分が無為に過ごした1ヶ月が広がっている。生きていく上で後悔はしたくない主義なのであまり考えないようにしているがそれでも「何かやれたな」という気持ちは消えることがない。「何もしない贅沢」、「休むことも大切」にしてもそろそろ休みすぎなのである。
その時大学受験前に買って多少読み進めたものの、受験勉強を理由に読むことを放棄して棚に並べた大好きな作家の本が目についた。今こそこのたった一冊の分厚めの小説を読破するべきではないだろうか。
映画を見ることと小説を読むことは、見終わることで人生の糧になったみたいな顔ができ、時間を有意義に過ごした感覚になれるのでいいものだと思っている。
おうち時間に積んでいた本を読むなんてそれこそ建設的且つ理想的な休みの過ごし方ではないだろうか。
しかし念の為、タウンワークで近所のコンビニバイトの求人ページもキープしておいた。
何をするにしても金は必要だし買い物にしても稼ぐにしても常に稼働しているコンビニはありがたいものである。

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