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退職直前の当時の気持ちを振り返る

今から3年前の2021年8月は私の人生の中でも最も苦しい時期でした。

既卒就活を経て苦労して入社できたホワイト企業をわずか1年半で退職することになったのですが、今回は1社目の職場を退職する際の当時の気持ちを振り返ってみようと思います。

かなり長い記事ですが、よろしければ最後までご覧ください。

機会があれば、ほとんどの期間をフルリモートで勤務した2社目のIT会社員時代の退職エピソードもどこかで書くつもりです。


退職理由

まず先に退職理由を思いつく限り挙げてみます。

  • 出社した時の一日の精神的な負担が大きすぎたから

  • コロナに関係なくリモート勤務が可能な業界に憧れがあったから

  • 体育会系の風潮が合わなかったから

  • 「ああいう人にはなりたくない」と思う上司が複数いたから

  • 「消えてなくなりたい」と本気で考えてしまったから

退職を決めるまで

入社1年目~悩みを相談できない日々

2020年4月にとある団体で正規の事務職員として働き始めた私は、初年度から部内の大きい業務の主担当として仕事を任せてもらい、日々の業務に勤しんでいました。
主担当と言っても当時23歳で入社1年目の新人のため、自由にやらせてもらえるわけではなく、先輩や上司が担当している業務を一つ一つ覚えながら仕事を行っていました。

当時の私は希望とやる気に満ち溢れていました。
「新人だろうができることを増やしたい」と常に考えていて、研修や資料作り、雑務なども精力的に取り組み、早く一人前の職員として認められようと自分なりに頑張っていました。きっと、社会不適合者だと自覚するどんな人でも、社会人生活1年目は希望とやる気に満ち溢れているものだと思います。

しかし、現実は厳しいもので、主に人間関係や職場環境で悩む日々が多くなる中、その悩みを誰にも相談できず、一人で抱え込むことしかできませんでした。

職場ではメンター制度を導入していて私にも20代後半の男性職員がメンター担当としてつくことになったわけですが、この制度は職場の狙いとは逆に私にとっては重荷でしかありませんでした。

特に私は人間関係から生じる精神的な悩みが多かったし、勇気を出して相談したとしても、薄っぺらい回答をされたうえに「こいつこんな奴だったのか…」と思われた状態でずっと関わり続けることが何より怖かったです。

ここで、社交的なメンター担当には相談できなかった当時の悩みを吐き出していこうと思います。

  • 挨拶が疲れる

当時私が所属していた企業の職場環境は、ビルのワンフロアに100人を超える職員が集まる開放的なオフィス環境でした。

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そういう環境で仕事をしたい人も多いかもしれませんが、HSPを抱える私にとっては執務室のどこにいても常に人の目線に晒され、常に電話の音や声が聞こえる環境は苦痛でしかありませんでした。

また、そういう環境で仕事をしていると、少し席を立って移動するだけで部署関係なく様々な職員とすれ違います。当時はコロナ禍で職員の半分程度がテレワークで不在の日もありましたが、このすれ違い時の挨拶がものすごく疲れるんですよね。

「挨拶が疲れるってどういうこと?」と感じた方にはおそらくいくら説明しても理解してもらうことはできないでしょう。

学生時代から人と関わることに苦手意識を感じていた私でも挨拶するだけで疲れる感覚はその職場に入社するまで、例えばアルバイト先などでもありませんでしたが、一日に何度も違う人に「お疲れ様です」と挨拶する時の当時の私は平静を装う中、挨拶するたびに少しずつエネルギーが吸い取られていくような感覚がありました。

とにかく、執務室のどこにいても他の職員と関わることになる環境だったため、心が休まる場所が個室トイレしかない状況でした 笑

  • 報連相が緊張する

入社1年目のため他の職員と比べて業務量はそこまで多くありませんでしたが、日々の業務ではどんなささいなことでも上司や先輩への報連相を徹底するよう意識していました。しかし、気を遣いすぎたり余計な心配をしがちな私は、上司が忙しくなさそうなタイミングを狙ったり、質問された時のために資料を準備しておいたり、とにかく"報連相するための準備"をしすぎていました。

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また、週明けに行われる朝礼や部署内の会議の時間は発言が苦手な私にとっては毎週の悩みの種でした。例え発言時間が1分にも満たない時間だったとしてもスムーズに発言できるように何度も心の中でリハーサルをしていた私にとって「同期も含めた他の職員はなぜこんなに落ち着いて淡々と報告ができるのだろう」と感心すると同時に、周りと比べて自分が惨めで仕方ありませんでした。

朝礼や会議で緊張することの弊害は"緊張で他の人の話が頭に入りづらいこと"です。平静を装いながらも自分の発言のことで頭がいっぱいで、報告内容などが頭に入りづらいのです。
こうした悩みは遠回しに相談しても「そんなのみんな一緒でしょ」と一蹴されがちなので、本当に苦手な人にとっては生きづらいですよね。

  • 上司と揉めたことがきっかけでいじめられた

細かい経緯は書きませんが、入社1年目の1月に業務の進め方で上司と揉めたことがありました。その日はテレワークをしていて、揉めた翌日は私も上司も出社予定のため、例え腑に落ちなくても、今後のことも考えて謝罪しようと思って翌日に出社しました。

出社するといつもはギリギリに出社する上司と部長の二人が既に執務室にいて、異様な雰囲気の中、私はいつもと変わらず(むしろいつもより大きめの声で)挨拶をしました。すると二人は明らかに私の声が聞こえたそぶりを見せながらも私の挨拶を無視しました

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一瞬私は「自分の声が小さかったのかな」とも思いましたが、普段は必ず挨拶を返していた部長からも返答がなかったことで、無視されたことに気づきました。そして「ああ、社会人にもなっていい大人が無視なんてしょうもないことするんだ…」と彼らの大人げない対応に心底呆れました。

結局、当時の私の指導担当が間に入ってくれて"形式的な和解"で終わりましたが、この時はさすがに苦労して入った企業を1年以内に辞めようとは考えず"理不尽な体験をした"という社会人の洗礼として受け入れました。

しかし、尊敬されるリーダーであるべき立場の部長が"普段から仲が良い"という理由でろくに話も聞かずに一方的に上司の肩を持って大人げない行為をしてきたこと、今後の関係のために腑に落ちないことも含めて全面的に謝罪した私に対して上司は明らかに自分に非があることですら謎のプライドで謝罪すらしなかったこと、謎の圧力で部内での問題としてあっけなく片付けられたこと、当時社会人1年目の私が受けたこの3つの理不尽は、今後長く続くだろう社会人人生を大いに不安にさせることになりました。

入社2年目~日々の悩みが限界に達した

2年目を迎えると、仕事量が1年目に比べて体感で3倍ほどに増えました。
仕事量増加に伴って上司や先輩への報連相の頻度も多くなり、会議などで緊張する回数も増えていくため、退勤後はどっと疲れて何もする気に慣れず、資格勉強や息抜きのゲームでさえやらずに寝るだけの日々が続きました。

当時はまるで"一日一日を乗り越える"感覚でした。
「仕事に行くだけで何でこんなに緊張するし疲れるんだろう。他の人は普通にコミュニケーションをとって、むしろ楽しんでいるようにも思える。一方で私は常に平静を装うばかりで、一度でも気楽にコミュニケーションをとれただろうか」と考えていました。

そして同時に"出社は本当に疲れるのに、テレワークだと全く疲れないこと"に気づきました。満員電車や通勤時間を避けられることに加え、私にとっては「常に人目がある環境が何より辛いのではないか」と考えるようになりました。
振り返るとテレワークではサボった経験はあまりなく、雑音が一切ない環境で、周りの目を気にせずにリラックスして仕事ができることに魅力を感じていたので、私は「仕事が嫌いとか仕事内容が合わないというわけではなく、どんな仕事でもいいからリモートに特化した仕事であれば悩むことはないのではないか」と考えるようになりました(この考えが2社目のフルリモート勤務時代につながることになります)。

そして、そのような状況でも、与えられた仕事はすべて責任をもって行い、1年目と比べて主体的に業務を進められていたため、ある程度の充実感をもって一日一日を乗り越えていました。

評価面談

しかし、8月上旬に行われた課長との評価面談の最中に指摘された一言により状況が大きく変わることになりました。

要は「人付き合いをよくしてほしい」という趣旨の指摘です。
私はこれを聞いて正直かなり驚きました。というのも、当時の私は人付き合いが苦手にもかかわらず、先輩や上司からの食事の誘いは必ず受け、仕事でも苦手なりにもコミュニケーションをとって日々頑張っていた自覚があったからです。

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よくよく話を聞いてみると、課長自身は私の仕事ぶりも評価してくれて、人付き合いについても特に気にならないと言っていましたが、一部でそういう声が上がっていたので軽い気持ちで伝えたらしいのです。

繰り返しになりますが、私は苦手なりにも人付き合いは頑張ってきた自覚があり、ショックを隠すことができませんでした。そんな私を見て課長は擁護する声をかけてくれた気がしますが「一日一日を乗り越えて今までこんなに頑張ってきたのに、それでも人付き合いについて指摘されてしまうのか。じゃあもう無理じゃん。人の性格なんて簡単に変わるもんじゃないし、今の自分が否定されたらもうここでうまくやっていく自信がないんだが??」という気持ちになりました。

結局その週はモチベーションがガタ落ちして仕事も身が入らず、いつもより精神的な疲労を抱えた状態で休日を過ごしました。
翌週は延期された東京オリンピックの関係で3連休でしたが、仕事のことを考えるとまったく休まらず、火曜日の朝に体調不良を理由に休みの連絡を入れました。

気持ちを切り替えて出社した水曜日の朝一に、見かねた部長が私に個人面談を入れてきました。1年目の時点で私は部長を"自分を守ってくれることのない敵"とみなしていたので、今までの自分の苦労は考慮せず面談はあえて適当に過ごしました。案の定、薄っぺらい言葉でいかにも"部下を励ます上司"を演出していてとても気持ち悪かったです。

2年目を迎えるころにはすでに自分のことを本当に思ってくれている人とそうではない人の区別はつくようになりました。私にとっては指導担当と課長の二人だけが本当に信頼できる人で、その他の職員の声にはあまり聴く耳を持てませんでした。

メンタルクリニック

部長との面談を終えた2日後の金曜日の退勤後、私は人生で初めて受診したメンタルクリニックで適応障害の診断を受けました。
わずか15分程度で、後ろが詰まっていたのか雑にも思える診察に不満を感じましたが、事前にネットで調べて予測はしていたので、診断結果に特に驚きはありませんでした。

診断書は出ず、薬の処方のみでいったん様子見することになりましたが、私としては「薬を飲んで対処したところで根本的な解決にはつながらない。転職でも休職でもいいから今の職場で無理に続ける必要はない」と考えていました。

初めてのメンタルクリニックはとても緊張しましたが、ロビーには一見悩みなんて特になさそうな普通に見える人ばかりで「外からは見えづらい精神的な悩みを抱えている人ってこんなにいるんだ」と衝撃を受けました。

当時の気持ち

メンタルクリニックでの診察を終えて迎えた土日の2日間、現在も含めて人生で"希死念慮"をもったことのなかった私は、人生で初めて「消えてなくなりたい」と本気で考えてしまいました。

「周りの職員は普通に仕事をして、普通に人と関われて、普通に毎日を過ごしている。なぜ自分だけがこんなに毎日を普通に過ごすことができないのだろうか。高望みをしているわけでもないのに、"ただ普通に仕事をしたいだけ"なのに、なぜ自分だけこんなに苦しい気持ちにならなきゃいけないんだろう。こんなに辛いならいっそ跡形もなく消えてなくなってしまいたい」

こう考えた私は悩んだ挙句、「仕事が原因で人生を終わらせるのであれば、失うものが大きくても、仕事を辞めてまた一からやり直そう」と決意しました。

決意するまでにすごく悩みました。
仕事内容は難しいものではないし、何より就職活動から逃げた私が入社できたことが奇跡だと感じるほどのホワイト企業だったため、世間体も心配でした。そのため、規模の小さい職場で勤務可能な地方への転勤希望を出したり、数か月間の休職期間を設けたりなど、職場に残るための色々な可能性を考慮しました。

しかし、休職は休職期間明けの周りの職員の反応や過剰な気遣いに耐えられる気がしなかったし、何より在籍しているのに出勤しないことで多方面に迷惑がかかることを避けたかったので、難しい選択でした。

それに、「"この職場ではどんなに仕事を頑張っても職員同士の仲の良さで評価されるから、自分はずっと不利な立場になる"という心配事を抱えて長年働き続けることもしんどいだろうな」と感じていました。

この時点で転職先が見つかっていないどころか転職活動自体していない状況でしたが、いずれにしても「ここから早く抜け出したい」という自分の心の声に従い、退職することを決めました。

退職希望を伝えた時

課長/指導担当との面談

週明けの月曜日、私は朝一で課長に報告をしました。退職を決めてまでなお月曜日の朝という忙しい時間帯に時間を割いてもらうことが申し訳なかったのですが、早めの方がいいと思って伝えました。

課長はものすごく驚いていましたが、私の気持ちが固いことを汲み取ってくれたのか、すぐに退職に向けた話し合いをしてくれました。

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実は課長はもともと私が面接を受けた時の採用担当だったんです。
その時の恩もまだ返せておらず、直属の上司になってからも温かく接してくれ、常に尊敬していた課長に退職の意を伝えることは本当に心苦しかったです。

退職希望日をある程度話し合ったのち、課長は私が信頼していたもう一人の人である指導担当を会議室に連れてきました。職場で本当に信頼していた二人に改めて退職希望を伝えた際、二人は本当に残念そうに「そっか~…」と言いながらも、私の思いを否定せず、受け入れてくれました。

この時、改めて二人が素晴らしい人柄だと感じました。
課長は採用担当として、または直属の上司としての責任が、指導担当は指導担当としての責任を上から追及されるかもしれないのに、私のことを否定せず、本当に心配してくれてるんだなと分かり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

部長との面談

翌日、部長との面談を迎えましたが、私が予想していた通りの展開になりました。簡単に説明すると、"根性論"と"保身"です。
他の先輩は苦しいことを経験して頑張ったというエピソードや自分の若い頃の話を、いかにも"君のためを思ってアドバイスしてるんだぞ"感が伝わる内容でした。

「課長や指導担当と違って、私に対する心配を装って自分の保身のことを心配しているんだな」と感じました。その証拠に、私の退職の意が固く説得しても無駄だと判断した後はものすごく不機嫌な態度に変わりました。

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部長には入社した当時から苦手意識がありました。何から何まで私とは正反対な性格・嗜好・考え方のため、最後まで好きになることはできませんでしたが、自分が苦手だと感じる人は、相手もおそらく自分のことが苦手(嫌い)なので、すべて部長のことを悪く言うつもりはありません。

部長からしたら「もう少し明るくて社交的な新人がきてくれたら良かったのに」と思っていたかもしれないし、好きになることはできなかったけど、申し訳ない気持ちももちろんありました。人間関係って本当に難しいですね。

退職届受理後の気まずい日々

退職届を提出して以降、一部の人を除いて私が退職することは知らされていませんでしたが、9月に入り全職員に認知されることになりました。

多くの人が驚いていましたが、やはり短期離職のためか退職理由などを深堀りしてくるデリカシーのない人はあまりいませんでした。

退職が認知された後の私は、他の職員に対して気まずくて仕方ありませんでした。そして、いつも通り挨拶をしても「こいつ退職するんだよな…」と思われながら退職日までの日々を過ごすことが苦痛で多めにテレワークを入れていました。

私がいた部署は入社1年目から予期せぬ事情で人員が欠けたり、2年目に入ると人事異動により一人一人の裁量が多くなっていたため、私にかかる期待が大きいことも分かっていました。そのため、たった1年半で辞めていく私に対し、あえて言葉出さなくとも不満をもつ職員がいることは仕方のないことです。

表面上は温かい言葉をかけてくれてはいるけど、内心ではよく思っていないであろう職員と過ごす日々はとても気まずくて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

最終出勤日

退職に伴う辞令交付が予定されていたため、最終出勤日には出勤時間の45分前には執務室にいました。
引継ぎ事項は前日までに済ませていたので、勤務開始後にやる仕事は特にありません。関わりのあった何人かの職員がわざわざ自席まで来てくれて挨拶をしてくれましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

私は最終出勤日までにお世話になった人に菓子折りをもっていきませんでした。正直に言うと"持っていきたかったけど、持っていけなかった"です。

長年勤めあげて円満で退職するのであれば菓子折りを配って一人一人と別れを惜しむ時間はほしいですが、前述のとおり、短期離職により気まずくて申し訳ない気持ちでいっぱいの私が100人を超える職員一人一人に「お世話になりました」と言って菓子折りを配るのも、置いていくことすら気が引けてしまい、持っていくことができませんでした。

しかし、部内会議の終盤に挨拶する時間が設けられ、退職の挨拶を済ませました。この時間の私は気まずさがピークに達していて「早く帰らせてくれ…」と思っていました。

会議が終わり、無事に最後の挨拶を済ませた後は特に仕事がないため、すでに片付いて綺麗なデスクをさらに掃除したり、適当に時間をつぶしました。

そして退勤時刻となり、荷物をまとめて帰宅する職員もいる中、課長と指導担当は最後まで残り、帰宅するタイミングを探して残っていた私に声をかけてエレベーターホールまで送り出してくれました。

長くなりましたが、以上が最終出勤日までの出来事です。

終わりに

退職した当時は本当に人生に絶望していましたが、今振り返ると退職して良かったと思います。退職して無職を経験したこと、転職先で様々な価値観に触れたこと、一つの世界に留まらず、違う世界に飛び込んだことで見えてきたものがありました。

感謝もしています。
就職活動から逃げた私にとってはもったいないほどのホワイト企業に入社できたことや1年目から様々な業務を担当した経験は、その後の転職活動にも大いに役立ったと実感しています。だからこそ、そんなホワイトな職場で働けているのにもかかわらず、周りと比べてストレスを感じやすい自分に嫌気がさす毎日でした。

悩みを本当に理解できるのは、他人ではなく自分です。
退職に"妥当な理由"なんて要りません。

職場の人も含めて他人に何を言われても、自分が本当に悩んでいて苦しいのであれば、無理をする必要はないと思います。
退職は逃げることではないのです。

最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

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