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アオイトリ(詩のような短編のような)

気づいたときに それは既にあった

自分の存在を意識したのが先なのか
この問いが先なのか記憶はない
写真には幼い自分の姿を確認できるから
恐らく問いが後なのだろう

自分が誰なのか
ここにいるべきではないのにここにいるような感覚
帰るべき場所がどこかにあるような感覚
膨大な忘却の感覚—―

誰にも理解されない感覚を抱えたまま
その子は生きる

その身体がまだ小さかったとき
大きい人たちはその子にあれこれ教え込もうとした
この世の道理を
どういうときにどう振舞うべきかということを
そのときその子は小さな反逆者だった

反逆者でありながらも
望まれる子でありたいと願い
挫折しながら生きた
何であるより前にみんな同じ人間であると
そう信念を持っていたはずのその子は
自分の信念によって傷ついた

人間である自分に留まったその意識は
親に愛されたいという動物的な
本能的な願いによって
傷ついた反逆者になった

自分なりに真理を求めた
反逆者の自分を抱えたまま
書物に
目に映る世界とその裏側に流れる世界に
目に見えない世界に
世界が「哲学」と呼ぶ世界に
世界が「宗教」と呼ぶ世界に
真理を求めた

ある人がその子に告げた
そういう人間を求道者というんだよ、と

道を求めた
呼吸法を行いマントラを唱え瞑想した
明晰さを保つため食事制限を行うとともに
幾つかの断食もした
その子は探求者だった

自分に厳しく
世にも厳しく
求めたのは正しさか気高さか
或いはその両方か
美しさに属するすべての規律だったかもしれない

世界にはない独自のルールで
内側で自分と世界とを天秤にかけ
自分を律した
その子は内側で裁きの人となった

ある出逢いが運命を予期せぬ方へと運び
深い望みもないまま子を持つ親となった
深い望みもないままわが家を持ち
表面上は子を育てながら
親という在り方と家庭というものを育てた
模索しながらも親になった

親という役割を得て
新しいエネルギーの交換を体験した
そこらじゅうで捻じ曲げられ誤解されている愛が
ここではとてもストレートだった
とてもまっすぐで温かく、そしてパワフルだった
その子は愛を知る者になった
愛が偏在していることを知る者になった

愛を知った後も
探求の道は終わらなかった

その子は求めて彷徨い続け
立ち止まることはなかった
気力は尽き
旅の資源も尽きた
どこにも「新しい目覚めの兆し」はなかった

進むべき道も見失い
探求の為の資源も尽きて
途方に暮れながら
残った気力でこれまでの自分の歩みを見つめた

自分は人生をかけて何を育んできただろうと
なにも実を結んでいないように見えるこの人生で
なにか大きく育っているものがあるだろうか


わたしが誰であるか
そして何であるか

その子は思った

わたしはこのふたつの答えを知っている
知識として

わたしが何であるか
それは皆に共通の答えだ
不変だ

でも「わたしが誰であるか」
その答えは人によって異なる
そのひとりに無数の答えがある

自分のそれに入っていったとき
この人生で何度も何度も答えたこの問いに
いま再び入っていったとき
初めてその子は気づいた

わたしが誰であるか

反逆者、親子の条件付けに縛られた傷ついた子供、
求道者、探求者、裁く者、親・・・
これに技能や職業が更に連なるだろう
それらはいったい何だというのか

「わたしは○○である」という自覚の元に
内側のエゴを育て続けただけだった

高らかに宣言しているときほど
わたしは真理から遠ざかっていた
求めるほどにより遠ざかっていた

わたしが誰であったかという過去
そう、それは過去だ

いま何者であるかと問われたら
何者でもないというのが妥当だろう
名乗ろうとする度に感じる違和感を
無視してはいけないと思うから
でもそれは探すものでもなかったのだ

この世での存在証明のように
名乗る名前を探すのは
何者でもない自分を認めず自分を許さない
その子の概念の鎖がさせたことだった

自分自身をそう認識するものはそうなるだろう
或いはそう名乗ったものになるように生きるだろう

でもそれが鎖だと思うならば
断ち切らずにいられないだろう

目を閉じた
そこには静寂があった
光を撚った糸が目の前に輝いていた

それは
「これがわたしだ」と声高に主張していた者たちが
幾多となく現れて消えていく間もずっと
見え隠れしながら拡がっていたものだった

大いなる忘却の間もその前からもずっとそれはあった
それは深く自分自身に浸透しているものだった
ただ意識の光が向けられず
照らされないがために気づかれなかった

これまで見るところはないと思うほど
隈なく見たはず
そう思ったがその時照らしていたのは意識の光ではなかった
エゴの光だ
自分が見たいものだけを照らす光だった

初めて向けられた光の中
自分自身に浸透しているそ至福の静寂の中で
その浸透に抗うように首を上げて「わたしは・・・」
と新たに声を上げようとする波がみえた

だが静寂の中
穏やかな受容の中その波は静まっていった




長らくログインしていない間にスキをくださったりフォロー下さった方がいて、驚きと共に感謝しています。
この記事をお読みいただいているとは限りませんが、書きたくなって感謝の言葉を書かせていただきました。

久しぶりに内側のことばが外側に形となって溢れ出ました。

日常の他愛もない会話とは異なって、表現とはエネルギーの噴出なのだと、大きなエネルギーを伴うことなのだと改めて思いました。
新生活が始まって春休み中毎日いた家族がひとり不在になって変化が生まれたのがきっかけかと思うと寂しいことも人を歩ませる力になるものですね。

ありがとうございます🐣
🌸感謝🌸


ありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡ お預かりしたエネルギーが人と地球のために廻っていくよう活動します!