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scream

夏の風物詩の一つに怪談があり、それはきっと暑い時にヒンヤリしたいからなんだと思うが、それなら冬の暖かい部屋(炬燵があれば尚良い)で食べるアイスのように、冬に怪談もいいのではとも思ったりする。

ということで、今回観たのは「スクリーム(ドラマ版)」だ。

映画版のスクリーム1が1996年でその後3まで作り、少し間をあけて作られた4が2011年だったが、それのNetflixオリジナルドラマバージョンだ。

といってもストーリーの繋がりはなく、犯人のマスクも違う(私はどちらも怖さという点で良いと思う)。しかし、映画あるあるや、ホラー映画ルールを話すところは踏襲されている。ホラー映画の中で「この展開だと次に殺されるのは〇〇だ」「〇〇は殺されない」など、ホラー映画の中でホラー映画の話をする、ここがスクリームの面白さというのは私が言うまでもない。

ここで大事になってくるのは、作品の中で話題にあがる映画やホラー作品を既に観ていることが、この作品を楽しめる条件の一つということだ。

前提条件である。

そんなことを考えながら、ふと視線をずらしてみる。そうすると、ネット(SNS)でこの前提条件そもそも共有できずにやり取りしているものが散見される。

この国では左側通行なので車は左を走るし、電車に乗る時には運賃を支払うし、お店で何かを買えば子どもでも消費税を払う。このような前提条件が共有されているから、一定の社会秩序が保たれているわけだ。

話を戻そう。SNSなどで見られるやり取りの中には酷いものがあるのも事実だが、なぜそのやり取りが噛み合わないのか、それは前提条件が共有されていないからではないかと考える。

憲法の話をするのに「憲法とは権力者を縛るためのもの」ということを、双方が分かっていなければ当然そのやり取りは噛み合わないだろう。

今や多くの人がスマホを持っていて、そういった前提条件をすぐに調べられるのにそれをしない…それはまさに新事恐怖症(前回のnoteに出てきた言葉でこちらから参照を)ではないだろうか。

では、前提条件を整えるために必要なこと、それは自分にはまだまだ知らないことが世界には沢山あるだろうという謙虚さ、そして、ものごとの深さを知るために行間を読んでいけるようにすることだろう。

行間は本で使われるが、映画でもあると思っている。あるシーンから次のシーンに進んだとしても、それらのシーンの間に描かれていないシーンがあるのはよくあることだ。観客はその描かれていないシーン(行間)を想像しながら観ていくことが大切だ。

行間を読みながら観る映画は、一層面白い。

もしあなたが叫ぶのなら、罵詈雑言ではなく歓喜の叫びであってほしい。

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