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syndrome

これは苦手だというものが、皆さん一つや二つあるのではないだろうか。

明確に理由が説明できるものから、なぜだか分からないものまで。

今回観た映画「めまい」に出てくる主人公は高所恐怖症だ。そんな彼がある女性に翻弄されていくストーリー。

高所恐怖症以外に○○恐怖症というのはどんなものがあるのだろうか。

閉所〜
先端〜
対人〜

色々あるが多分、○○恐怖症の人はその怖いものに対して自覚的だろう。分かっているからこそ、それが怖いと分かって避けたりできるわけだ。

そんな中、この国の人の一部は「新事恐怖症」なのではないかと思う。”シンジ”恐怖症…あの有名な主人公のことではなく、私の造語だ。

”新しい事”への恐怖症。

今知っていることで充分、”新しい事”を知りたいとは思わない…

今考えていることで充分、”新しい事”を考えたいとは思わない

そういう恐怖症だ。

人には知らないことへの興味関心というのが元々備わっているはずだ。昔放送されていたへぇ〜という番組はみんなの知的好奇心を揺さぶるものだっただろうし、ほとんどの人が知らないことを教えますという番組もある。

なのになぜ消費税のことや憲法法律のことなど、自分に直に関わることを知ろうとしたり考えようとしないのだろうか。

確かにそういったことはへぇ〜と思うまでに少し時間がかかって難しいことかもしれない。しかし、だからといって取り組まなくていいのだろうか。

そして自分がこの「新事恐怖症」であることに無自覚であることも問題ではないだろうか。

その昔にソクラテスは無知の知という言葉を残した。知らないということに自覚的であれということだ。

私が改めて言うまでもないが、知ることによって物事が如何に多面的であることを知れ、その多面的なことを基に深い考えをしていけるわけだ。

そして、こういったことへの理解を深めていく助けをしてくれるもの、その一つが映画である。

映画の楽しみ方は人それぞれであることは当然としながらも、せっかく観るのだからそれによってもっともっと人生を社会を素晴らしいものにしていってはどうだろうか。

もし新事に無自覚であるならそれは、めまいを起こしているのにそれに気づかず歩いているようなものである。

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