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imitation

“張りぼて”の意味を調べてみた………(比喩的に)見かけは立派だが、実質の伴わないことやもの。張り子の虎。

<例>二世議員ばかりで実務経験のない張りぼて内閣

どこかの国の話のような気もする中で、今回見た映画は「はりぼて」だ。

『保守王国、富山県の小さなテレビ局の追求で
市議14人がドミノ辞職し、
報道によって人の狡猾さと滑稽さを丸裸にさせた
今の政治を抉るドキュメンタリー

虚飾を剥がせ!
この映画こそ日本の縮図だ!!』

↑ホームページにある紹介文が秀逸だったのでそのまま書いたが、これだけ読んで劇場へ行ったら楽しめると思う。

この映画では富山市を取り上げているわけだが、
この問題はもちろん一地域のことではなくこの国全体に広がっていることである。

これはノンフィクションだが、そういう問題があることはフィクションのドラマでも描かれている。例えば半沢直樹。

しかし、その問題のある世界(映画やドラマで描かれている世界)と私達が生きる現実世界は違うものとして生きている人が多い気がするが、果たしてそうだろうか。

半沢直樹に限らず、それらに出てくる悪徳政治家が現実にいることはここで改めて言うまでもないし、多分多くの人が知っていることだ。それなのにそれらへの声が大きくなっていかないのはなぜなのだろうか。

検察庁法改正案への抗議を振り返ってみても、国民が政治に全く関心がないとも言えない。

その理由はいくつかあるのだろうが、税金についての感覚がその一つではないかと考えている。

この国の人達は納税という言葉を使っていて、つまりは税金を納めている”という感覚だ。

それに対してこれを英語にすると、pay taxであり税金を支払うという感覚だ。

本来税金は私達国民が支払って、それを国民が選んだ政治家が代表となって運用していくものなのに、納めるという言葉を使うことでこの感覚が薄らいでいるのではないか。

もちろんこの感覚に意識的な人は少数かとも思うが、無意識な感覚こそ気をつけておく必要があるだろう。

この感覚を調整するのに、映画を観るのは良い方法の一つである。

この現実世界と映画の世界は緩やかにでも繋がっているところはあって、それを感じることで現実世界と政治の世界の繋がりも感じられるのではないだろうか。

気付いたら自分が張りぼてになっていた…とならないように、映画を観て各方面と繋がってみることをお勧めする。

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