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休暇取得に理由はいらないのだ②

「休暇取得に理由はいらないのだ②」では、さらに子どもたちのことを書いてみようと思います。

コロナ前とwithコロナ、
新型コロナウィルスで一斉休校・Stay Home前と後とで、
大きく変化があったものの1つが学校、子どもたちの置かれた環境だと思います。


学校・子どもたちは、すでに昭和と平成でも大きく変わってきていると思います。
昭和は、大人も子どもも疑わずに学校に通っていました。
欠席するのは、熱が出た時だけ。
学校で嫌なことがあっても、学校の先生が理不尽でも、心が弱ってても、
「とにかく学校に行きなさい!」「学校には行くものだ」でした。

平成に入り、ゆとり教育の時期もありました。
登校拒否と呼ばれていた子は、不登校と呼ばれるようになりました。
「学校が辛いのなら、行かなくていいよ」という親も増えました。
不登校から引きこもり期間が長くなり、外に出たいと思った時出られなくなる、外に出るのが怖くなるなどに繋がるとそれは本当に辛いと思います。不登校の子やご家庭はそれぞれ状況が違い、対処方法も違うと思うので今回は触れません。


私は親になったのが遅いのですが、
20代で出産し、子どもを幼稚園に通わせていた友達が、
「子どもが幼稚園行きたくない」と言うと、3人くらい子どもがいて40代のベテランお母さんは「いいよ」って言ってたんだよね。
20代の子育て中は、理解できなかった。自分に余裕がなくて子どもに「いいよ」なんて言えなかった。今、アラフォーになったら、「行きたがらない子、無理やり幼稚園に行かせる必要なかった。たまには休ませればよかった」と言っていました。

また別の友達は、「子どもが保育園に行きたくないの」という日は休ませることにした。今までは、「仕事休めない。保育園行かせる。」だったけど、そういう日は、「熱が出ました。迎えにきてください。」で結局バタバタになり、その後も数日仕事休んで子どもの回復を家で見守ることになるんだよね。
「保育園に行きたくないの」って言った日に、「うん、わかったよ。今日はママ(ばーば)と、お家でゆっくりしてようか」にしたら、次の日には元気に保育園に行く。私もゆっくりできる。必要以上に仕事休まなくてすむ。自分が仕事休めないときは、親にも頼ることにした。その方が、みんな幸せだった。

そのような体験談を聞いていたので、私は、幼稚園や保育園は休ませてもいいんだ。という意識になっていました。
幸い、うちの子は体力もあり、幼稚園・学校も大好きで、学校は皆勤賞です。
でも、幼稚園の時は病み上がりで親も行かせるか判断に迷う時「もう1日休む」など自分で意志表示をしていました。これは、私が「どっちでもいいよ。どっちがいいかな。」のエネルギーを出しているからでしょうね。


2020年、私たちは前代未聞の経験をしましたね。
突然の学校一斉休校。そのまま春休みに突入。新学年で始業式をしたと思ったら延長延長で実質3ヵ月のStay Home。

どのような休校生活・Stay Home生活を送っていましたか?
学校大好き、皆勤賞の娘は、最初ショックを受け学校が再開されるのを待ち望んでいました。でも、4月5月は学校のプリントと並行して自分のやりたいことにいろいろ取り組み休校Stay Home生活を満喫していました。
自由に使える時間をたっぷり与えられ、家と庭の限られた空間でも生きた学習をし、生きる力をつけていた。
それは娘に限らず、「今までやらなかったことに取り組んでいる」「兄妹、それぞれの興味で取り組んでいて面白い」などなど、多くのママから聞きました。
テレビなどでも、フェイスガードを手作りして寄付する小学生など取り上げられていましたね。今年は、夏休みの自由研究にも変化があったことも話題になっていました。

今まで、小・中学生は週5日、1日7時間8時間、部活も入れたら1日10時間そして土曜日も学校で過ごしていた。
教員の働き方改革の動きは出始めてはいたけれど、ゆとり教育後再び増え始めていた学習時間については検討されていない。

3ヵ月の休校時間を体験して、いくつか気づきました。

文科省で必要とされている学習はもっと短い時間で学べる子も多い。小学生でも、理解のスピード・習熟度に個人差がある。個人の中でも教科によっての差もあるだろう。もう一斉授業の必要はないのではないだろうか。タブレットでもAIでも利用して、一人一人にあった授業を提供し、時間の使い方も自由で良いのではないだろうか。

学校以外でも、学校以外だから学べることがある。

やりなさいよりも、自主性に任せたら、子どもは勝手に学ぶ。
時間もうまいこと使っている。

ウィルスによって強制的に休校になったことで、今まで実験できなかったことができたのではないでしょうか?


学校に毎日通うことは当たり前なのか?
学校に毎日登校する必要はあるのだろうか?


学校が休校になったことで、厳しい環境で過ごした子どもたちも知っています。
昼間のドラッグストアでカップ麺を買う小学生に出会った時、悲しくなりました。心が痛みました。給食のありがたさ、安心感をあらためて感じました。
でも、すぐにボランティアも企業も商店街も、子どもへお弁当を届け始めましたね。そして、小学生でも自分でできるレシピや料理法など紹介されるようになりました。(そういうものも受け取れない子どもがいると思います。それを個々の家庭のせいにしてしまうのではなく、社会全体が変わる時に来ているのだと思います。国民一律10万円支給は英断だったと思います。ベーシック・インカムの社会となるとあらゆる面で大人に余裕ができると思います。大人に余裕が出れば、子どもも子どもらしくいられますね。私は学校だけではなく、家庭というものも変わっていくと思っています。)


学校の、クラスのいいところも娘を小学校に通わせるようになり知りました。
同じ地元の公立小学校なのに、昭和と令和ではこんなに違うのかと驚きました。
娘が通う今の小学校は、明るく、元気で、優しく、個が尊重されているのに全体として調和している。

こんな素敵なところがあるのだろうか。

コロナ以前から、学校は不要。
学校教育で人間らしさが奪われ、画一化され、生きにくい人を増産した。
学校不要という声に、私は、「もうすでに学校は変わり始めていますよ。」
と伝えていました。


でももっとフレキシブルでいいのではないだろうか。

もっと自由で自主性に任せていいのではないだろうか。

毎日登校するのは当たり前を外して、その子が休みたい日に休むことがもっと許容されてもいいのではないだろうか。

みんなが時々、自由に休んでいたら、
休んだ後に学校に行きづらくなる、はなくなるのではないだろうか。

休むのも当たり前になるから。
子どもも自由に自分の時間を使っていいんだよ。
子どもを一人一人を信頼する世界になるから。












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