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労働は神聖なりという意識を弁証法的に統合する

松下幸之助 一日一話
11月23日 労働は神聖なり

労働は神聖である。その意識をお互いにつよく持ちたいものだと思う。

私は、労働は神聖であり、その聖職に当たっているのだという誇りから、労働それ自体も、より価値あるものになるというか、その能率、生産性も知らず識らずのうちに上がってくると思う。

そのように生産性が上がって、仕事の成果も高まれば、それは労働者に、より大きな報酬資金をもたらすことになろう。つまり、労働の喜びという精神的な面だけでなく、物質的な面での向上進歩もあるわけで、言ってみればそうした意識、誇りから物心一如の繁栄なり幸福なりが生まれてくると思うのである。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

仮に「労働」という現象を構成する要素をいくつかに分解するならば、物質的な要素である「経済的な安定や豊かさを求める要素」と精神的な要素である「生きがいや働きがいといった人間としての心の豊かさを求める要素」の2つに大別することが可能であると言えるのではないでしょうか。更に、精神的な要素である「生きがいや働きがいといった人間としての心の豊かさを求める要素」の中には、松下翁の仰る「労働の喜び」や「労働は神聖であり、その聖職に当たっているのだという誇りや意識」という要素が含まれていると言えます。

この労働を構成する「物質的な要素」と「精神的な要素」はどちらか1つに切り離すことは出来ず、寧ろ2つは1つであり、どちらかが欠けていては成り立つことはないものであると言えます。例えば、「物質的な要素」のみを求める労働というものも実際は可能であると言えますが、そのケースでは、「物質的な要素」が満たされてしまえばもうそこには労働することの意味がなくなってしまいます。或いは、労働に対して「物質的な要素」ばかりを過度に求めるケースにおいては、途中でやる気を失い労働自体が続かなくなってしまうことも多々あります。これは、米国の心理学者アブラハム・マズローによる自己実現理論や、臨床心理学者フレデリック・ハーズバーグによる二要因理論(動機付け・衛生理論)などからも明らかであると言えます。

つまりは、労働における「物質的な要素」と「精神的な要素」とは、お互いに作用する相互補完の関係にあると言えます。これを一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生が提唱される「知識創造理論」にあてはめるならば、この2つの要素が持つ暗黙知と形式知は、機能面的には異なる機能を持つため対立項であることが分かります。知識創造理論においては暗黙知を形式知に変換することが求められますが、この2つが機能的には対立項となるため、その変換には大変な努力が必要になります。そのため、労働においての悩みや問題を抱える人たちが多く存在することになるのだと考えられます。

しかし、二項対立の状態にある両極を弁証法的に克服し統合化することができれば、矛盾する対立項が相互作用する 「二項動態」 の状態にすることも可能になります。つまり、2つの要素が変化し動いている状況の中で、両極を大局的に捉えつつも、それを統合するポイントを鋭く見抜き、それを互いに膨らませることによって両極が統合され、より大きなものにアウフヘーベン(止揚)させることが可能になります。この状態が、松下翁の仰る「物心一如の繁栄なり幸福なりが生まれてくる」状態であるとも換言できるのだと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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