みんな出口を探してる

都内在住の精神科医。投稿は個人の創作で、実在する人物や団体とは関係ありません。 感想は…

みんな出口を探してる

都内在住の精神科医。投稿は個人の創作で、実在する人物や団体とは関係ありません。 感想は、個人の感想です。

最近の記事

所感240408

「日本の精神科医療制度は諸外国のそれと比べて問題が多い」と言われるが、具体的にどこが問題なのか、よくわからないことが多かった。 病床数が多いこと、非自発的入院が多いこと、入院日数が長いこと。 確かに、なんでも数が多けりゃ良いというものではないことはわかるし、これらを全肯定するつもりはさらさらない。 ただ、物事には必ずそうなってきた歴史があるはずで、日本という島国だからこそ構築されたこのシステムで、この体制だから救われてきた人たちもいたのではないかと、思わずにはいられなかったの

    • 所感240224

      「みんな1人じゃ抱えきれないものがあってここにいる。たくさん葛藤しながら心の病気と闘っている。そんな当たり前のことにどうして今まで気がつかなかったんだろう」 作者が高校時代に経験した精神科病棟での入院生活を元にした、セミフィクション。 患者として、精神科病棟という場所をどのように体験していたか、どのように当時のことを振り返るか、主人公の加藤さんを通して語られる。 この漫画で語られる精神科病院は、比較的安全度が高く、病棟の中にいる人達も比較的均質で、そこに登場する医療従事者も

      • 自動ドア

        240222 開かない。 「ここに手をかざしてください」というシールの指示通り、手をかざしたのに、目の前の片開き自動ドアが開かない。 危うく透明な壁に突進するところだった。 なぜだ。さっきの女性はなんの抵抗もなくドアを開けていたのに。私が来る直前で故障したのか。それとも自動ドア側にも通す人選ぶ権利はあるとでも言うのか。 かざしてください、と示してある場所の辺りで、汗ばんできた手をさらに押したり逆に引いたり、上げたり下げたりする。 すると突然ドアが開いた。 良かった。少なくとも

        • 240107所感

          「ハンチバック」市川沙央 西東京に移住して、白杖を持つ人を多く見かけるようになった。 おそらく東東京よりは住みやすいのだろうという至極簡素な想像と共に、やはり視覚がないということは生活において不便があり、生活圏をある程度制限されるものだという、これまた非常に当たり前のことを改めて認識するようになった。 視覚、聴覚などの五感がうまく働かないことが生活にもたらす影響は、非常に想像しやすい。 一方で、箸を持つ、早歩きをする、口を窄める、といった、24時間機能しているわけでは

          スイミー

          231227 先週から急に気温が下がり、まだ不要だと思ってしまっていたダウンコートを引っ張り出した。 量販店で売っている特に個性のないコートで、街を歩けば同じ物を着ている人を必ず見かける。 洋服、特に防寒具の類にこだわりもなく、そこまでお金をかけることもできないのだ。 職場の最寄り駅はいわゆるターミナル駅で、朝の通勤時間帯にはホームから改札へ、改札からホームへ向かう、大量の人の群れができる。 ダウンやコートでかさが増したこの季節は、より一層「群れ」の感じが強くなり、車内も息

          231210所感

          「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」 国立新美術館 2023年9月20日 ~ 2023年12月11日 近年盛んに行われるようになっているファッションブランド、デザイナーの回顧展。 東京都現代美術館でクリスチャン・ディオール展が開催され多くの集客で話題になったが、国立新美術館では「モードの帝王」イヴ・サン=ローランの回顧展が開催された。 幼少期からファッションに興味を持ち、その才能をディオールに認められ、若くして第一線に躍り出た天才。 男性にとっての正装であったスー

          231203所感

          「We Margiela」 監督: メンナ・ラウラ・メイール 私がマルジェラを好きになったのは社会人になってからだ。 ファッションユーチューバーが、動画でヴァルーズを紹介していたのが1番のきっかけだったと思う。 当時は四つタグ、タビシューズ、ペンキデニム、くらいの、プロダクトを中心としたイメージだった。だからマルジェラが一時期エルメスでデザイナーをしていたと知って驚き、そこからデザイナー自身に興味も持った。 ブランドを立ち上げてからのマルジェラのことを、彼の近くで過ごした

          231207所感

          「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」 監督:渡辺一貴 原作:荒木飛呂彦 脚本:小林靖子 見た人間の過去や後悔を映し出す、黒い絵。 この絵を通して原作シリーズではあまり触れられない過去にフォーカスされたことで、岸辺露伴というキャラクターのリアリティが増し、NHKドラマから続けて、一つのミステリーサスペンスシリーズのような感覚で視聴できた。 高橋一生さんが、これほどこのキャラクターにハマるとは思っていなかった。 美しすぎない、人間らしい艶かしさや、原作ではさらっと流された仁左右衛

          また会いましょう。

          231109 高校生の時、下の名前が自分と同じ友人がいた。 漢字は違うけど、読み方が一緒。 たまたま部活も一緒で、仲良くしていた。 大学生になって、彼が癌になったと聞いてお見舞いに行った。 癌と聞いてびっくりしたけど、病室で会った彼は思っていたよりは元気そうで、少し安心した。 地元を離れてしまった僕が見舞いに行ったのはその一回だけだったけど、その後、無事に退院したと連絡をもらった。 それからはたまに連絡を取り合うくらいだったけど、彼も大学生活を謳歌している様子だった。 数

          見守る

          231026 「給料がいい職に就きたいんですよ。でも、それも難しいのかなって。それで絶望しちゃって...」 一瞬耳を疑った。それが率直な感想だった。 頭の中にハテナが浮かぶ自分を認識しながら、私は彼に尋ねてみる。 「でも、最低限の努力でコスパよく、のらりくらり生活したいって言ってたよね?」 今までの彼の行動はまさしく、彼の理想に近いものだと認識していた。 早々に社会制度について調べ上げ、その方向に突き進んでいく。そのスピードに、正直私の方が面食らっていたくらいだった。 だから

          英語

          231010 数学が得意だったので理系学部に進む気はしていた。 得意科目で学部を決めるのはどうなのかと言われたこともあったけど、とは言っても苦手な科目を必要以上に延々と勉強し続けるのは私にとっては苦行だったし、得意な部分を活かせるならそれで良いんじゃないかと思った。 そうして入学した私だったが、苦労したのは英語だった。 当たり前や!という気持ちと、敢えて避ける方向で選んだはずなのになんでや!という2つの気持ちがせめぎ合っていた。 ただ、理系だから英語がいらないなんていう時代は

          変身

          通勤路に惣菜屋さんがある。 比較的朝早い時間、少なくとも僕が通勤する時間にはもう営業していて、パックに入ったおかずを横目に僕は会社へ向かう。 日替わりで目玉のおかずが変わるらしく、今日は鶏天が並んでいた。 帰りに買って帰ろうと思った。 仕事からの帰り道、塩で食べようか、出汁も良いななどと考えながら惣菜屋さんへ向かう。 朝の鶏天はチキンカツに変身していた。

          自己犠牲

          「自己犠牲と自己中の境界線がわかりません」 彼女は真剣な表情で僕にそう尋ねた。 自分より2回りも年下の少女にここまで考えさせるほど社会が窮屈になっているのか。それとも彼女が大人びすぎているのか、大人にならなくてはいけない環境だったのか。彼女の背景を考えると同時に、純粋に感心する気持ちもあった。 「境界線って言われると僕もわからないかも。はっきりと分かれているものじゃないのかもしれないね。どうしたの?」 「私が今までやってきたことは、自分は、自己犠牲だと思ってたんです。

          駅のゴミ箱

          231001 駅のゴミ箱に「ゴミの持ち込みはしないようお願いいたします」というシールが貼ってあった。 言わんとしていることはよくわかる。つまり昨晩の夕食の時に出た野菜のクズとか、Amazonで注文して大量に出た包装ゴミとか、そういう物はこのゴミ箱に入れないでくれということなのだろう。 ホーム上にあるコンビニで買ったプロテイン飲料を飲みながら、はて、飲み干した後の空容器はこのゴミ箱に捨てて良いのだろうかと悩んでしまった。 このゴミは駅の中で生産され物なので、私の感覚ではむしろ率

          230921 「例えば仕事からの帰り道、雨がポツポツ降ってきて、あ、雨だって思うじゃない。 はじめは傘を差さないでそのまま歩き続けるかもしれないけど、少し雨足が強くなってきて、持っていた折り畳み傘を開くとする。 その傘を開くタイミングって、みんな違うでしょ。 濡れるのが嫌で早々に開く人もいるし、本降りになるまで開かない人もいる。 その後小雨になって、自分にとって許せる範囲になれば、私はさっさと傘は閉じるわ。でも完全に止むまで開いてる人もいるかもしれない。 周りに合わせるのが得

          直面化

          230920 鈴虫が鳴いていた。 最さっきまで鳴いていることにすら気づかなかったが、一度気づいてしまうと、実は複数で大合唱していること、風流などという生易しいものではなく、もはやこれは公害と呼ぶのではないかと思うほどの音量であったことがわかる。 むしろなぜこれに気づいていなかったのか。 非常にうざったく感じられてきて、先ほどまで進めていた原稿の手が止まる。 集中力が途切れて気づいたのか、音量が上がって集中力を阻害されたのか。 いずれにしても気づいてしまったのだ。今さら知らない