怠惰こそ正義


人生は虚しい

人生は何もかも虚しい。
前に進んでいるようで、実状はコマのようにその場を回っているだけ。つまり全部無駄ということ。
仕事に意味を見出し、精を出し、一生を捧げて定年を迎えても、すぐに代わりが入る。
「今まで会社に尽くしたのはなんだったのか…」
努力の形跡など、何も残らない。
ならば偉業を成し遂げて、歴史に名を刻めば無駄にならないのではないか。いや、それも無駄だ。
偉業を成し遂げても、情報のインフレ化で消える。
坂本龍馬は歴史の教科書から消える(た?)らしい。
今後坂本龍馬を知る新しい世代は少なくなるだろう。
50年後には新選組すらマイナーになっているかもしれない。
もっと言うと、地球が滅亡すれば古かろうが新しかろうが全て消える。
始まりがあれば終わりがあるので、本当に全て無駄となるのは現実的だ。

哲学者のシオランは「人間の営みは全て無駄になる」と説いた。

意味がないからこそ楽しい?

意味がないならいっそ楽しく生きるべきか。

それが何になる?

そもそも僕らは生まれることを選んでない。
問答無用で産み落とされたから、仕方なく楽しみを見つけざるを得ない。強迫観念のように。

I'm god Child
この腐敗した世界に堕とされた

月光/鬼束ちひろ

最初から生まれてこない方がマシだったかも。

こんなもののために生まれたんじゃない

鬼束ちひろ/月光

こんな暗い考え方をペシミズム(悲観主義)というらしい。

シオランについて

こんな考え方に至るのだから、さぞ悲惨な境遇で育ってきたのかと思いきや、シオランは貴族出身で、勉強もできた。楽観的だった。
シオラン自身、少年時代は幸せだったらしい。楽園に感じたとのこと。
しかし大学で挫折し、図書館に引き籠もり、哲学にハマる。そこから捻くれて、成功者をディスるような人格になる。
「成功者は自分の能力を過大評価している!」
「失敗は豊かさを持っていて、私達に色々なもの与えてくれる」
大学卒業後は教師になるが、マイナス思考が足を引っ張り、周囲から低い評価をされる。
今で言う《陰キャ》や《チー牛》だろうか。
教師時代に書籍を出版するが、神をディスる内容だったために、本の内容も低評価を喰らう。 
教師の仕事をすぐ辞めて、極貧作家生活をする。

そのうち友人がナチスに囚われ、処刑されたために、シオランの悲観主義は更に加速する。
「一生懸命働いても、勉強しても無駄じゃん」と考えるようになる。
その後も本を出版するが、なかなか売れない。
生涯無名作家として過ごし、晩年は貧困と病に苦しみ、日本でいう平成あたりで他界した。
死後、出版した本はある種の救いとして評価されたらしい。

怠惰こそ正義

勤勉は悪。
皆が怠惰であれば、争いは起こらない。
確かに資本主義社会において、怠惰は悪。勤勉が美徳だ。
しかし資本主義社会は競争社会とも解釈できる。
競争に参加しない、あるいは脱落する、または負けた人間は、社会から低評価される。
特に自らの意思で放棄した場合はなおさら風当たりが強い。怠惰だからだ。勤勉とは真逆。

戦争は競争の極地。
見方によっては人殺しに勤勉ということ。頑なに拒否するのは、見方を変えると高貴にも解釈できる。

失われた30年、不景気。
「今の日本はダメだ」
「岸田が悪い」
「社会が悪い」


この先に何があるんだろう。
バブルが再来したところで、幸せになれるのだろうか。
そもそも日本の目標って、なんだろうか。国が金銭的な豊かさを手に入れることだろうか。
じゃあ国が豊かになったら、そこでゴールなのか。不満は無くなるのか。
「豊かになったところで、それがなんになる?」
「富が増えたところで、それがなんになる?」
「バブルが再来したとて、その後はどうする?」

怠惰とは、無意味な活動をしないこと。

犯罪は勤勉からくるもの。
チームを組み、計画を念入りに考え、凶器を用意する。
怠惰であれば、そんなことはしない。平和になる。

犯罪や戦争は現状に満足していないから起こるもの。
つまり欲からくる傲慢行動とも解釈できる。
怠惰は現状の満足からくるもの。幸せという見方ができる。
怠惰から争いは生まれない。
治安の悪さは勤勉さから生まれるという説。

ただこれだと皆が餓死に一直線である。
そんなのは嫌なので、皆必死に生きていくため働き、いつの間にか競争の渦に巻き込まれていく。
だからこそシオランは、この世界は争いが無くならない世界だと説く。
無駄な争いをするくだらない世界だと。

自由への解放

くだらなく、選択肢の無い世界において、唯一の救いになるのが《自殺》とシオランは説く。
生まれることは選べないが、死ぬことは選べる。
選択肢の無い世界において、この《自殺》という選択肢は、とても強い選択肢になる。
これが皮肉なことに、くだらない世界を生きる活力になる。

「世界は美しい」
「生きてればそのうち良いことある」
「運の総量は平等」
「渡る世間に鬼はない」
根拠が薄く、保証もないポジティブな言葉より、現実的で確実な選択肢を提示してくれる言葉の方が、僕には響く。

死こそ自由への道。

「最悪死ねばいいだけじゃね?」

これがなにより救いになる。
くだらない世界で、常にこの強力な選択肢があれば、逆に心は余裕が生まれる。
事実シオランは「自殺という選択肢が無ければ、余裕も無くして死んでいただろう」
とのこと。

いつでも死ねるから、先送りにできる。
自由は死から生まれる。
ネガティブが一周回ってポジティブになっている。

どうせすぐに死ぬ儚い存在であるとシオランは説く。
事実、過去の人物が生きた痕跡はあるとしても、現状この世にはいないため、影響力なども消えている。
たとえ名を轟かせたところで、なんにもならない。世の中は虚しい。
その辺の虫となんら変わらない。生きてても変わらず、死んでてても変わらず。
一流芸能人が自殺したとして、社会は何も変わらず回り続ける。人を中心に回ってないから。
有無同然。
そう考えると逆に吹っ切れて、生きる気力が湧いてこないか?
意味に縛られないで済むから。

人間が生きる理由を《子孫繁栄のため》とする。
そうすると『子供を作らねば』という強迫観念に苛まれ、心が休まらない。
人間が生きる意義が《労働》になると、何が何でも労働せざるを得なくなり、病気などで労働ができなくなると無価値感を感じて絶望するだろう。
僕にも『〜しなければ』という強迫観念があった。
やる気にはなるが、幸せにはならないかも。
意義や意味、理由の奴隷になっているということだから。不自由だから不幸なんだ。
生きる意味が具体的になると、その時点で人生が不自由になり、余裕がなくなると。
行き着く先は《自分探しの旅》とかだと思う。

人間の営みは総じて徒労で虚しく、有無同然とすれば、何をやっても良いことになる。

全部無駄なら、全部正解。

辛いことがあって逃げるのも正解。
仕事がキツくて辞めるのも正解。
結婚できない人生も正解。
運転免許が無くても正解。
中卒も正解。

正解を強いて言うなら《生まれない》こと。
生まれてしまった時点で手遅れと、シオランは説く。

これだけ悲観的なシオランだが、結局、最強の選択肢である自殺のカードは切らずに、80ちょいまで生きた。

悲観主義の真髄

悲観主義というのは、ポジティブを目指すのでなく、苦しみや悲しみを味わうこと。

靴下の匂いは臭いけど、なんかクセになって嗅いじゃうみたいな感じ。
理不尽を味わったなら、理不尽を楽しむ。
ストレスを受けたなら、愚痴を吐き出すことを楽しむのだ。
くだらない世界を楽しみ、くだらない世界に絶望する自分を楽しむ、ということ。

僕も一生懸命書くnoteは見られないし、孤独だし、知能も低い。

でも…

こんなクソみたいな人生も悪くないか!!


苦く、酔えない酒。
少しも美味しくないし、幸福感も得られないけど、なんかクセになる。


参考動画


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