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陽だまりの中の鎮魂歌(レクイエム)

2020年はどんな年だった??

年の瀬にありがちな、なんてことない質問に。

反射的に浮かんできた言葉は、


たくさん泣いた。


そう答えそうになったけど、
それはそっと心にしまって、適当に答えた。




この写真の撮影の3日前。

父が旅立った。




その日、父を預けていた病院から、「心肺停止です」という連絡があった。

話をしばらく聞いていて、ようやく「心肺停止」って亡くなったって意味なんだ、って気づいて。

こういう時は「お亡くなりになりました」って言わないんだ、って頭のどこか冷静なところで思った。

2〜3週間ほど前から、覚悟をしておいた方が良いということを病院から仄めかされていたので、心の準備は出来ていたけど、やはり父を目前にすると涙は止まらなくなった。

わたしはこれまでの人生で、幸か不幸か、ろくろくお葬式に出たこともなかったので、死顔というのも初めて見た。

面倒を見てくれていた婦長さんが、「苦しむこともなく眠るように息を引き取られました。本当に安らかな良いお顔をされています。」と優しく言葉をかけてくれた。

でも、人の死顔を見慣れている訳じゃないから、そう言われなければ安らかな顔かどうかも分からなかったよ、そうなんだ、これはそういう顔なんだ。

ってまた冷静な言葉が頭をよぎった。

今思うと。
妹が生まれた時に、大人たちはみんな可愛いと言ったけど、生まれたは可愛いというよりサルみたいだよって思って、思わずそれを口に出して大人にこっぴどく叱られた五歳児の時のわたしみたいだ。



病院で紹介してもらった葬儀屋さんの手配をし、そのまま病院でお迎えを待った。

この日、なんという巡り合わせなのか。

母が癌の手術入院の前日だったために、来ることが出来なかった。
と言っても、すでに離縁しているから、来る義務はないのだけど。

妹も県外のため間に合わず、来れなかった。

父方とは親戚付き合いがまるでないので、他には誰も来なかった。

わたしはたったひとりだったけど、お世話になった病院の方々も、お迎え来てくれた葬儀屋の方々も、本当に大切に敬意と尊厳を持って父に接して下さったし、わたしにもとても繊細に心配りをしてくださっているのをひしひしと感じた。

日本人の細やかな感性や、心配り、質の高いサービス精神、そして、死と向き合うことを仕事にされている方々のプロフェッショナルぶりは何と凄いのだろう、とそのレベルの高さに感動したし、心に沁みた。


父は生前から、宗教的な儀礼の一切は必要なく、火葬のみの海洋散骨を希望していたので、葬儀屋さんとのやり取りもいたってシンプルな内容で済んだ。

それでも、家に着いたのは深夜だった。



父はアルツハイマー型認知症だった。

病院のお世話になり始めたのは昨年からどけれども、コロナ禍もあって、家族でも面会が制限される状況のなか、わたしのことも誰なのかは認識できなくなった。




役者をしていると、傍迷惑なことに、人目を憚らず街中でぼろぼろ泣くことに慣れてしまう。

だってめっちゃ泣く役の台詞読み込みながら歩いてたり、心の流れを追ってたら泣いちゃうもん。

だから、病院に行ったり、何か思い出したりするたびに、いろんなところで泣いた。

自転車乗ってたって、電車乗ってたって、歩いてたって、お店で珈琲飲んでたって。

悲しみは閉じ込めてしまうと、行き場を失ってモンスターになってしまうから、泣きたくなったら泣いた。

だから、2020はいっぱい泣いた年。

でも、悲しみは浸り過ぎると、健康とかコンディションにかなりの大打撃を与えるということを、過去に大切な友人を亡くした経験から身に沁みている。

当時、稽古場以外のプライベートな時間はずっと泣いていたことが原因で、鼻の中に大きなヘルペスができてしまい、あわや舞台の本番にお顔が間に合わないかも😨、という別の恐怖を味わった😱

その時に、悲しみは溢れてきたら放出してあげるけど、浸りすぎに要注意、という自分自身との付き合い方を身をもって学んだのかな😓



亡くなる直前の面会で、もう意識も朦朧としているベットに横たわる父の姿が、まるで赤ちゃんみたいだった。

瞳も無垢で、一緒に面会に行った妹とぼろぼろ泣きながら、死ぬ前に人は赤ちゃんに返るって聞いた事あるけど、ホントなんだねって言い合った。

認知症は、まわりはシンドいかもしれないけど、本人は幸せな病気なんですよと何度も聞いた事あるし、それを理解しているつもりではあったけど。

生まれたての赤子のような姿の父を見て、ホントにようやく、その通りだと受け止められた。




父が旅立った翌日、素晴らしいほどの快晴だった。

天気にこの上なく気分が左右されやすいわたしは、もうその素晴らしい快晴だけで、変に滅入ることもなく、心穏やかに過ごせた。




そして。

この写真の撮影の日も。

素晴らしい天気だった。

父の魂はすでに空気に溶けていて、その場に生えている草木の精霊さん達が、陽だまりの中で遊んでいるような感覚があった。

だから、その光の中の精霊さんたちと、陽だまりの中で一緒に遊びながら舞ってるような気分だった。

全ての存在に、ありがとう。

そう感じている瞬間が、写真の中に切り取られてる。



2020の締めくくりに。

生きしと生ける全ての存在に、
あらためて、

ありがとう。

心からの愛を込めて。


photo ほんだいおり
model 丘崎杏

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