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【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ) ⓸ヴィヴィアン・ファイン:よくできた曲はあまり面白くない

Vivian Fine:1913年4月24日~2000年3月20日
シカゴ生まれ。ピアノの神童として知られ、史上最年少の5歳でシカゴ音楽大学の奨学金を受ける。ルース・クロフォードに作曲を学んでいた13歳のとき最初の作品を書き、16歳で作曲家としてプロデビュー。1930年代にはピアニストとしても活躍し、アイブス、コープランドなど現代作曲家の作品を初演している。ロジャー・セッションズに10年近く師事し、調性から非調性まで幅広いスタイルで作品を書いた。1940年代後半からニューヨーク大学、ジュリアード音楽院、ベニントン・カレッジなどで作曲を教える。70年近いキャリアの中で休むことなく作曲をつづけ、交響曲を含む140以上の作品を残している。彼女の公式サイトには、幼少時のポートレイトから孫と一緒の晩年の写真もあり、キャリアと並行して家庭生活を営んでいたことがわかる。

原典:Bruce Duffie Interviewsブルース・ダフィーについて
インタビュー日時:1986年11月8日、(電話によるインタビュー)
だいこくかずえ訳・編集
訳注:1) ルース・クロフォード 2) ヘンリー・カウエル 3)ロジャー・セッションズ
Title photo from her official website

このプロジェクトについて



キュビズムとシェーンベルク


ブルース・ダフィー
(以下BD):現代音楽は(あなたの作品あるいは他の人の作品も含めて)、スタンダードなレパートリーになると思いますか?

ヴィヴィアン・ファイン:とても難しい質問ですね。 今のところ、そのようには見えません。 主流に入るものはあまりないですが、それについて何か言うのはまだ早すぎると思います。早すぎることはないにしても、私はそれについて言うような立場にはいませんから。

BD:それは作曲家のせいなのか、それとも演奏家のせいなのか、あるいは聴衆のせいか。その全部が関係しているのか。

ファイン:「誰かのせい」という風には言いたくないです。過去の作品がレパートリーとして演奏されるようになったのは、ほんの少し前のことです。以前は必ずしもそうではなかった。ベートーヴェンの時代には、彼の作品の初演は注目イベントでした。ところがオーケストラや楽器演奏者の名演奏家や巨匠が出てきて、聴衆の興味は明らかに過去の音楽の演奏を聴くことに移りました。それとともに20世紀の音楽言語で書かれた音楽は、多くの人の関心から離れていきました。アートの世界で起きたことは興味深いです。アート界でキュビズムが出てきたときに、音楽ではシェーンベルクが現れました。キュビズムは人々の気を引きました。日常的に受け入れられるまで時間はかかりましたけど、それでも受け入れられたのです。キュビズムに不快感をもったりしませんでした。シェーンベルクの音楽が、キュビズムの初期の頃と比べて、特別難しいものだったとは思いません。でもキュビズムみたいに一般的に知られるようにはならなかった。ほとんどの人は(多くの人は)シェーンベルクの中期、後期の作品を心地いいとは思っていません。


観客より演奏者を意識して書く


BD
:作品を書くとき、それを聴きに来る聴衆を意識しますか?

ファイン:そうは思わない。音楽を聴きにくる聴衆はそれぞれ違います。わたしは演奏家の編成に注意を向けます。オーケストラ、あるいはその作品を演奏することになる演奏家です。その人たちが演奏して楽しく、気持ちのいいように書こうとしています。これは作品ごとに音楽の書き方を変えるという意味ではなく、演奏家に意識を向けるということです。誰に向けて書いているか、意識して書くのが好きなんです。

BD:演奏家のために書くのでしょうか、それとも自分のために書くのでしょうか?

ファイン:演奏家のために書きます。 つまり自分の書きたいものを書くわけですが、良い演奏家を心に思い浮かべることが、いい刺激になるんです。もし非常に優れた演奏家が初演することがわかっていたら、とても刺激になるし、やる気が起きます。これはモーツァルトのような人にとっても同様でした。彼は特定の歌手のために曲を書いていました。いろいろな方法で、才能ある人を利用していたのです。

BD:ある人のために書いた曲を、同じように優れた、しかしまったく異なる演奏家が演奏することになった場合、作品に手を加えるのでしょうか?

ファイン:いいえ、演奏家は同じ曲を違った風に演奏するかもしれません。技術的には、多くの人にとって演奏不可能なものは書きませんが、特定の歌手の声だったり、楽器の響きだったりが、私が作品を書くときのインスピレーションになります。

BD:それを耳にしながら曲を書いているのですか?

ファイン:そうです。


女性作曲家に師事したことの影響は?


BD
:女性作曲家として、同じ女性であるルース・クロフォード*に師事したことは重要でしょうか?

ファイン:私にとってとても良いことだったと思います。その頃は「ロールモデル」などという言葉はなかったですが、ルース・クロフォードは私にとって、まさにロールモデルだったと言えます。彼女はまだ若くて非常に意欲的な音楽を書いていました。だから私にとって、当時「斬新すぎる」と思われた種類の音楽を書くことが、とても、完璧に自然に思えたのです。

BD:でも彼女に学ぶことと、ヘンリー・カウエル*やロジャー・セッションズ*に学んだこととの間に大きな違いはないのでは?

ファイン:ヘンリー・カウエルには師事してないです。彼はメンターであり、私の音楽の素晴らしい支援者でした。ロジャー・セッションズには長い間師事しました。彼らとの間に音楽的な差はないですが、彼女が良い作曲家であり女性であるという点で、私が得たものは確かにありました。 私にとって、それがとても良かったと思います。当時そのことを意識はしていませんでしたが、いま思い返してみれば、私の人生において素晴らしいことだったということがわかります。

BD:ちょっとだけ触れたいのですが、女性であることを理由に差別を受けたことはありますか?

ファイン:私の答えはいつもこうです、女性はいまの社会で完全な平等を得ていません、経済的な面であるとか。ある種の地位に着くことも受け入れられていませんし。作曲をする女性にとって、状況はずっと良くなっているとは思います、以前よりもずっと良くなっています。ただ、女性だからという偏見とは別に、自分にそのことができるだろうかと能力を疑ったことはありました。
25年も前のことですが、作曲家仲間の一人が私にこう言いました。「君のバレエのオーケストレーションが好きなんだ。自分でやったのかい?」(両者笑い) で、私は彼にこう訊きました。「あなたは作品のオーケストレーションを自分でやるの?」 彼はこう答えました。「うん、やるよ」 で、こう返しました。「私も自分でやってるけど」 こういうことなんですよね。でもこの人はとてもいい人で、私の音楽を好意的に見てくれていて、それでも女性がオーケストレーションを見事に仕上げるということを思いつかなかった。いまはこういうことはないと思う。支援してくれた男性作曲家は、たくさんいます。ヘンリー・カウエルはとても助けてくれたし、デーン・ルディアも早い時期から私の音楽に興味をもってくれました。彼らがしてくれたことにはとても感謝しています。

訳注
1. ルース・クロフォード:1901〜1953年。アメリカの作曲家。1930年、女性作曲家として初めてグッゲンハイム奨学金を給付され、ベルリンに留学。作曲家で師でもあったチャールズ・シーガーと結婚し、3人の子どもを育てる。作曲活動の他、民族音楽の研究、収集、編纂もしている。
2. ヘンリー・カウエル:1897〜1965年。カリフォルニア大学でチャールズ・シーガーに作曲を学ぶ。非西洋音楽に子どもの頃から親しみ、民族音楽学を学んだ後、テヘランなどに研究旅行に行っている。ジョン・ケージ、ジョージ・ガーシュインなどの師でもあった。
3. ロジャー・セッションズ:1896〜1985年、ニューヨーク出身。14歳でハーバード大学に入学、音楽の勉強を始める。初期には新古典主義的スタイルで曲を書き、1946年以降は無調へと変化した。85歳のとき、『管弦楽のための協奏曲』でピューリッツァー音楽賞を受賞。プリンストン大学、ジュリアード音楽院などで教鞭をとり、また音楽評論家としても知られている。


ロジャー・セッションズから学んだこと


BD
:ロジャー・セッションズからはどのようなことを学んだんでしょうか?

ファイン:そうですね、簡単に言うと、彼から学んだのは音楽の伝統じゃないかと思います。ハーモニーを彼から学びました。その当時、私はすでにヘンリー・カウエルの「季刊ニューミュージック」誌でいくつかの歌曲を発表していました。でもセッションズとはまず伝統的なハーモニーから始めて、次に対位法を少しやって、それから作品をたくさん書きました。セッションズは膨大な知識の持ち主で、偉大なる伝統的音楽の感覚を備えた人でもあり、彼が伝統の中で耳にし感じてきたものを、私はできる限り吸収したと思います。

BD:あなたは音楽の系譜の一部であると感じますか? 

ファイン:はい。 そうですね。そう感じています。 初期の作品では、いま私が書いているものよりずっと非伝統的で不協和だった時期でも、対位法的に声部を書いていました。拍子があるし、私の音楽はいつもその感覚を強く持っています。こういった特徴は、音楽の伝統から来るものです。


調性的であるかどうか


BD
:あなたが送ってくれた音楽を聴いていると、その多くが現代作曲家としては驚くほど調性的であるように思えます。これは意図したことなのか、それともあなたの音楽の感じ方なのでしょうか? 

ファイン:それほど調性的だとは思いません。伝統的な感覚から見ればまったく調性的ではないです。シューベルトの中に見られるような和声進行はないですが、ある種の調性感はあります。作品の中で特に調性的だと感じたものはありますか?

BD:いくつかありますが、特にピアノ協奏曲であるとか。

ファイン:あれは意図的に調性を取り入れた作品です。 バッハやヘンデルのコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)をモデルにして書きました。あの作品はネオ・バロックの様式で、特別な作品です。ときにあのような調性的な作品を書きますし、その他の多くの作品は無調ではないですが、無調と調性を同時に自由に取り入れています。


よくできた曲はあまり面白くない


BD
:曲を書くとき、インスピレーションと作曲の技術的なことのバランスはどう取るのでしょう?

ファイン:う~ん、良いバランスでということですね。もしどちらか選べと言われたら、思いの強さ激しさやインスピレーションの方を取るでしょうね、工芸的なことより。思いの強さや集中のない非常にうまく仕立てられた作品というのは、面白いものにはならないからです。曲を書くときに安直にならないよう注意が必要です。表現力のある音楽の方がより素晴らしいです。私は表現力豊かな音楽を書こうとしてきました。

BD:インスピレーションは教えられるものなのでしょうか、それとも作曲を教えるというのは、作曲の技術を教えることなのでしょうか?

ファイン:インスピレーションやアイディアをどうやって得るかを教えることはできません。でも何がいいアイディアかを認識させることで、生徒を手助けできます。作曲を始めたばかりの学生は、良いアイディアをもっていても、それが良いアイディアかどうかの判断がつきません。フレーズの半分は良いのだけれど、残りの半分が良くない場合も、彼らはその区別がつきません。教師は何が素晴らしく何が凡庸か、認知する力を向上させることができ、彼らはそれを学びます。そして自分の書いた作品、あるいはいま書いている作品を見て、安直だったり表現力や作品の強度が足りなかったりすれば、それを破棄することができます。


キャリアの配分


BD
:あなたは指導、演奏、作曲の間で、どのようにキャリアの分配をしてきたのでしょう。

ファイン:わたしのキャリアの中心は作曲です、それは間違いないです。キャリアの初期にはピアノの演奏をたくさんしてきましたし、いまもときに演奏は続けています。ベニントンで教えるようになるまで、大学で教えてはいませんでした。ニューヨーク大学で少し教えましたけれど、1964年にベニントンで教えはじめるまでは、どこでも正規の教員になったことはありません。ですから私のキャリアが全面的に大学にあったことはないです。教えることをあらゆる面で楽しんできましたが、作曲が私の中心的なもの、つまり根幹にあるということです。私の仕事はすべてそのようになっています。他の要素も重要ですが、それが主になることはないです。作曲は核であり、すべてのことはそこから発生しています。

BD:ずっとそうだったのですか?

ファイン:5歳でピアノを弾きはじめて、13歳までは本格的に作曲することなくピアノを弾いていました。そして13歳くらいから、ルース・クロフォードについて学ぶようになり、作曲をはじめました。17か18くらいのときまでに、作曲が一番重要なことになっていき、そこからいまに至っています。でもピアノも作曲も、5歳の頃からやってはいたんです。

BD:結婚したとき、作曲や演奏の仕事をやめようとは思わなかったのですか?

ファイン:あり得ないことです。そんな考えはまったく、一切起きませんでした。生活の一部であり、人生そのものだったんですから。5歳のときに始めたことが、自分にとってとても重要なことであれば、それを捨てることはないです。信仰をもつ人に、信仰を断つかどうか訊くようなことです。それと同じです。

BD:つまりあなたは音楽の祭壇にひざまずいている?

ファイン:そうですね、私は音楽家であり、音の世界や音楽のあらゆる面に囚われています。

BD:ご家族は皆、音楽活動に協力的なのですね?

ファイン:ええ、そうだと思います。家庭をもち音楽のキャリアを続けることには大きなエネルギーがいります。でも運よく、私にはそれがあります。

BD:作曲は楽しいですか?

ファイン:ええ。心の底から、大きな喜びを感じています。私の心を全面的に集中させるだた一つの活動です。作曲しているときには、他のことは何も頭にありません。そしてこの極度の集中というものが、究極の喜びをもたらします。

非常に激しい活動です。体力も精神も使い果たしますが、深い満足感を与えられるものでもあります。ある意味、音による瞑想とも言えます。それを考えれば、全身全霊で集中できることというものは、人生においてそれほどないのです。ピアノを弾いているときでさえ、心にあれこれ思い浮かぶことはありますが、作曲しているときには絶対起きません。15分弾いた後に中休みをし、少しの間、他のことを考えたりする。けれども作曲中は、完全な集中の中にいて、それはしようと思ってなるものではないのです。集中しなければ、ということはありません。

こういう状態がどれだけ楽しいか、わかると思います。何の努力もいらない集中なんです、ヨガとか瞑想のようなものかもしれません。しようと思って始めたわけでも、その訓練をしたわけでもないのです。ごく初期からこの経験はありました。

心の内から聞こえてくる音を捉えて形にすること、これほど夢中になれることはありません。

庭仕事をしている人たちは、このような感覚について話します。何時間も庭で土いじりをして、時が過ぎるのも忘れています。どんな活動であれ、人がこんな風に引き込まれてやっていることは、どれも楽しいことです。やっていることが何であれです。家具づくりを楽しんでいる人がいるなら、そしてそれにすっかり入れ込んでいるなら、まったく同じです。


書き直しをするかどうか


BD
:曲が完成したとき、どうやってそれがわかるのか。

ファイン:面白い質問ですね。もしテキストを使って書いている場合は、テキストが終わればそこで終わります。もちろん器楽による後奏曲を書くことはできますけど、どう終わらせるかの選択の一つになります。どこまで続けるかという。ときにそれを決めるのが難しいこともあります。いま私はある曲を書いていて、ある楽章の終わりまで来ました。とても驚いたんですが、思っていたよりも早い段階で終わりが来ました。でもどうやらそこが章の終わりらしく、曲の方は他に行きたいみたいです。で、そうしています。「さてと4ページしかまだ書いてない。一つの楽章にしては短すぎる」という風には考えません。もし短くなるのなら、それは短い曲なのです。もし長くなるのであれば、それは長い曲なのです。

BD:では、何秒かかるとか何分かかるとか、そういう時間の観念はないのですか?

ファイン:ないです。成すがままに任せます。彫像をつくっているとき、どれくらいのカーブをかけたらいいか。もしまったく現実から外れるカーブをかけたら、人はこう言うでしょう。「どうしてこんな風にするんですか?」 それは人が持っている比率とか全体像に対する感覚から来ると思います。

BD:テキストが終わったとき、あるいはある楽章の終わりに来て終止線を書いたとします。あなたは曲に戻ってあれこれ手を入れるのか、それとも一度終えたら、それで終わりにするのか。

ファイン:通常、そのときに手をいれることはあります。あまり修正はしません。推敲は上手くないんです。修正が上手い人もいます。私は出てきたものをそのままにする傾向があります。書いているときにアイディアを変更することはありますが、たいていは出るに任せます。私はそれを使います。書いているとき出てくるものに満足しています。もし不満があれば、書きながら修正します。それが私の指針です。それで満足しています。曲を終えたところで全部書き直すことは、私には不可能だと思います。

BD:行き着いたところが最初に思っていたのと全く違っていて、驚くことはあるんでしょうか。

ファイン:はい。 よくあります! (笑)それが創作のいいところでもあります。でもそれを可能にして、それを受け入れなくてはいけません。考えていたものから、すっかり外れていてもです。曲を書くときには、こういった細部が全体としてピッタリはまってくることを信じなければなりません。


ディキンソン、ウルフ、スタイン、ダンカンが出会うオペラ


BD
:オペラ『庭の女たち』について少し教えてください。

ファイン:テキストは、エミリー・ディキンソン、ヴァージニア・ウルフ、ガートルード・スタイン、イサドラ・ダンカンの著作から引用しています。

BD:みんな独立したアーティストです。

ファイン:そうです、この人たちがオペラの登場人物になります。あとテノールと呼ばれる男が登場します。彼は複数の役を演じます。あるときはエミリー・ディキンソンの想像上の恋人になり、あるときはイサドラ・ダンカンの本当の恋人であったりします。エミリー・ディキンソンの父親のこともあれば、ガートルード・スタインの友だちだったりもします。彼は非常にたくさんの役柄を演じます。私がテキストを一つにまとめたんです。

ある日、アイディアを思いつきました。そしてそれを進めていきました。わたしは全米芸術基金から、オペラを書くために助成金をもらっていました。私は使えそうなテキストを提案していたのですが、それを使わないと決めました。それで別のテキストを求めていて、そうしたらこのテキスト案が出てきたのです。

このテキストを書くのは本当に面白かったです。彼女たちの作品をあれこれ物色しました。イサドラ・ダンカンは本を1冊しか書いていませんでしたが、他の3人はたくさんの著書や詩があり、そこから私はオペラを作りました。筋書きはほとんどありません。筋というものが実際なくて、オペラの中で4人の女性が知り合うというだけのものです。

BD:登場人物たちの想像上の出会いですか?

ファイン:そうです、その通りです。彼らは庭で出会います。

BD:テレビタレントのスティーブ・アレンが自分の番組でやった、『心のふれあい』に似ていますね。彼は歴史上の様々な人物を取り上げて、その中の2、3人がもし出会っていたら繰り広げそうな議論をさせました。

ファイン:彼はその人たちの著作を使ったのですか、それとも別の著者のものを?

BD::登場人物が書いたものを多く使いました。そしてそれを使って脚本をでっち上げました。

ファイン:そうですね、とてもよく似ています。対象になる著作が違う、ということを除けばですが。

BD:あなたはこれをオペラと呼んでいますね。 本当の意味でのオペラですか?

ファイン:そうですね、登場人物は歌っています。演技をしています。筋書きはないけれど、どうでしょう。演劇作品ではないです、すべてが歌で表されていますから。その意味でオペラと呼ぶほかない。

BD:そう呼ぶことは気乗りしない?

ファイン:そうですね、他に何と呼べばいいのかわかりません! (笑)この作品はオペラハウスで上演されてきました。サンフランシスコ・オペラがやりました、だからオペラなんでしょう。

BD:オペラをまた書くつもりはありますか?

ファイン:ぜひとも書きたいですね。あの作品をとても楽しんで書いたけれど、再度やるにはテーマを探し、脚本や脚本家を見つけるという課題があります。でももう一つオペラを書いてみたいと思っています。脚本とそれを作品にするアイディアを見つけたら、すぐにでもオペラを書くと思います。いろいろな登場人物たちとの仕事は、とてつもなく面白いことでした。オペラを書き終えたら、とても寂しくなったくらいです。

BD:彼女たちにさよならを言いたくなかった?

ファイン:そうです、まったくね。


Original text:( 日本語版は、英語原典のテキストを抜粋・編集しています)
A Conversation with Bruce Duffie, "Composer Vivian Fine"

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【小評伝】 作曲する女たち(19世紀生まれ)
テキサスのカウガール:Radie Britain
歌が唯一の楽器だった:Mabel Daniels
初めての学校は子育ての後:Mary Howe
1000 人の大合唱団を率いて:Gena branscombe
ブーランジェと交換教授:Marion Bauer

【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ)
オーガスタ・リード・トーマス(作曲家かどうか、決めるのは自分)
ジェニファー・ヒグドン(ロックを聴いて育った)
タニア・レオン(世界を見たくてキューバを離れた)
⓸ヴィヴィアン・ファイン(よくできた曲はあまり面白くない)このページ
エレン・ターフィ・ツウィリッヒ(音楽には浅いレベル、深いレベル両方必要)


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