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【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ) ⓵オーガスタ・リード・トーマス:作曲家かどうか、決めるのは自分

Augusta Read Thomas:1964年4月24日~ 
ニューヨーク州グレン・コーブに生まれる。ノースウェスタン大学でトランペットと作曲を専攻、イェール大学、王立音楽アカデミー(ロンドン)でも作曲を学んでいる。ダニエル・バレンボイムとピエール・ブーレーズ在籍時のシカゴ交響楽団で、長期にわたり(1997〜2006年)ミード・コンポーザー・イン・レジデンスを務めた。ここで作曲された『アストラル・カンティクル』(バイオリンとフルート、オーケストラのためのダブルコンチェルト)は、2007年のピューリッツァー音楽賞の最終候補の一つとなった。トーマスの楽曲2曲が含まれるシャンティクリア(男声アンサンブル)の『カラーズ・オブ・ラブ』はグラミー賞を受賞(1999年)。最新アルバムはBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団による『Dance Foldings』(2023.7)。
Her official website)

原典:Bruce Duffie Interviewsブルース・ダフィーについて
インタビュー日時:1993年12月3日、シカゴにて(29歳当時)
だいこくかずえ訳・編集
訳注:1) スーザン・B・アンソニー 2) 憲法修正第19条の批准
Title photo: by Wyastoneassistant (CC BY-SA 4.0), 2020

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オーケストラ曲を書くのは自然なことだった


ブルース・ダフィー(以下BD):作品の依頼が次から次へと来ているのでしょう?  受けるものと断るものを決めているのでしょうか、それとも来たものはすべて受けているのでしょうか?

オーガスタ・リード・トーマス(以下トーマス): すべて受けてはいません。 受けるものもあれば、受けないものもある。 時間はとても貴重で、私はとてもハードに長時間働いています。ただ人ができることは限られています。すべて受けるのではなく、数を減らして、いい作品を書きたい。

BD:では、どれがイエスでどれがノーか、どうやって決めるのですか?

トーマス:さまざまです。 まず第一に、その作品を書きたいかどうかです。 そのジャンルで伝えたいことが自分の中になければならないし、そうであれば、お金がまったくなくても、25,000ドルあってもやります。 金銭的な面も大事ですが、その作品をやりたいと思えばやります。 これまでにも、やりたいと思いながら、自分には無理だと思った作品はいくつかありました。

BD:それは5年後、10年後にできるようになるものですか?

トーマス :そうですね!  願わくば同じスポンサーから、あるいは別のスポンサーから、また機会が訪れて、それを果たせるようになりたい。

BD:心の片隅に今はここまで磨き上げたから、あと少し頑張れば、いずれすべてがうまくいくという思いがあるのでしょうか?

トーマス:ジャンルということであれば、ある程度はそうですね。 オーケストラ曲はスコアをよく読みます。 大曲はたくさん書いてきたし、オーケストラ曲に数年前から情熱と集中力を注いでいるんです。

BD:なぜオーケストラなのですか?

トーマス:まず、ただ好きだから。シンプルな答えですね。 13年間トランペットを勉強していたからでしょう。 ノースウェスタン大学に在籍していたことがあり、アンサンブルという側面から音楽を理解しています。例えばピアノの人とは少し違う。 多くの作曲家はピアニストですけど、どちらが良いとか悪いとかではないと思う。 私はたまたま管楽器だったから、オーケストラ曲を書くのはとても自然なことでした。 自分の演奏や感性の延長線上にあるんです。 室内楽もたくさん書いてきたし、それもとても楽しいんですけど、オーケストラと室内楽では書き方が違います。


完璧な演奏より生命力が大事


BD:あなたの曲でも、他の人の曲でもいいですが、ピッタリはまる演奏というのは可能なんでしょうか?

トーマス:そう、あると思う。 私は音楽を作るという考えが好きなんです。 実際、私の曲の演奏が意図どおりになることはあり得るし、20箇所音が間違ってるということも起きるけど、すべて正確でピッタリじゃなくちゃいけないってことはないですから。 音楽は、願わくば、ある一つの演奏よりも大きなものであってほしい。 もちろん、とても正確で完璧な演奏を望む人もいるけれど、生き生きとして生命力があり、とても的確な演奏というのもある。少し間違いがあったり、雑音が聞こえたりしても、私はまったく気にならない。 私にとっては、完璧だけど心臓の鼓動がまったく感じられない乾いた演奏よりも、生命力が感じられる演奏のほうがずっとワクワクします。 完璧であるがゆえに呼吸をしていない、完璧さのとりこになってしまうという場合があります。 芸術作品には余白と、余白の中に謎がなければいけないと思う。 正確さばかりで死んだようなパフォーマンスであれば、そのような謎は出てこないでしょうね。

BD:正確に記譜はするけれど、正確に演奏されることは望まないということですか?

トーマス:そうです。 非常にグレーで微妙な領域です。 グレン・グールドがゴルトベルク変奏曲で次の声部を始める前に、 ほんのちょっとの 間を入れるかどうかみたいなことです。髪一筋の差ですが、それが重要だという。 非常にささいなことではありますが、生と死の分かれ目になります。高度に訓練された聴き手でなければ、こうした微妙な変化や違いを聴き取ることはできません。

BD:ということは、ピッタリな演奏が何種類かあった場合も、それぞれかなり違う演奏になる可能性もありますね。

トーマス:そうですね。 こんな経験があります。 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが私にいくつかの作品を委嘱してくれたのですが、私は大きな交響曲を考えていました。彼は当時ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督・指揮者で、ケネディ・センターでのシーズン開幕に私の曲を選びました。 木曜日から火曜日の夜まで、彼はその定期公演で5回演奏したんですけど、曜日によって演奏がまったく違いました。 そのどれもが素晴らしく、どれもが生き生きしていて、信じられないほど情熱的でした! 彼はとても音楽的で、すべてがほとばしるような演奏です。 夜によって、ある箇所でテンポが極端に違っていたにもかかわらず、私は特に気になりませんでした。


作曲家かどうか、最終的に決めるのは自分


BD:あなたは作曲家としてまだ若いと思います(インタビュー当時29歳)。 トランペット奏者ではなく、作曲家になりたいと思ったのはいつですか?

トーマス: 高校を卒業したときです。 芸術や音楽の盛んな高校に通っていました。 ノースウェスタン大学でトランペットを学びましたが、トランペットだけでなく作曲科にも出願して、1年目は両方やりました。 二重専攻でした。当時、ノースウェスタン大学では学部生に作曲専攻という選択肢はなかったんです。特別なプログラムで、特別な学生になる必要がありました。 私を受け入れるかどうか彼らは判断できなかった、そういうことです。ノースウェスタン在学中、私は学部生として作曲を専攻することを許されました。 でも、高校時代にはトランペット、作曲どちらにも同じように関わっていました。だけど心の底では作曲の道に進みたいと思っていました。 作曲は非常に厳しい分野です、私が作曲することをノースウェスタンが応援してくれて、正規の過程として許可してくれたのはとても嬉しかった。 おそらく他の大学だったらダメと言われたでしょうね。XとYとZを履修するよう言われ、作曲家ではないから他のことはできないと断られたでしょう。 でもノースウエスタンは、新しいカリキュラムとして挑戦させてくれた、本当に素晴らしいことでした。

BD:ちょっとした曲を書くだけの人であることをやめて、本格的に作曲する人になった瞬間はあったんでしょうか?

トーマス:わからない。そういうところを通過したとは思わない。 もっと若い頃からたくさんの曲を書いていて、大学に行く前に80曲は書いていましたから。 それは膨大な量の音楽だったから、自分のことを作曲家だといつも思ってましたね。 私は作曲家ではなかったんですけど、自分では作曲家だと思っていました。 自分が作曲家でないなんて思いもしなかった。

BD:作曲家かどうかを決めるのは誰ですか? 聴衆でしょうか? 教師でしょうか?

トーマス:最終的には自分自身だと思う。 私にとって、それがすべてです。 聴衆は私を嫌うかもしれないし、教師は私を落第させるかもしれない。 あるいはいろんな賞や学位をくれるかもしれない。でも最終的には、お茶と五線譜をもって自分の机の前にすわり灯りをともしたとき、自分が作曲家なのか、そうでないのかがわかる。まわりの人や世界がどう言うかは問題じゃない。これが私の答えですね、自分にとってはですが。


自分の中に存在しなかった別の場所へ行くこともある


BD:お茶と五線譜と鉛筆を持って机に座ったとき、あなたは常に鉛筆の行き先をコントロールしているのですか? それとも鉛筆があなたを導くときもあるんでしょうか。

トーマス:いい質問ですね。 ラジオで(このインタビューはラジオ放送のためのもの)このことを認めていいのかどうかわからないけど、いろいろな理由から、鉛筆が私を導いてくれるときというのが確かにあります。まず一つは、その楽曲の中心的な要素が非常に特殊で緊密に構成されていて、建築的である場合、どの方向に進むべきか教えてくれることがあります。私はカデンツァの素材に戻るべきだと感じるかもしれないけど、楽曲の方はいやいや、こっちに行くべきだと言うかもしれない。作曲家である私の仕事のひとつは、作品を耳で聴くだけでなく、頭でも聴くことなんです。 作曲しているとき、自分のあずかり知らない人に変身することがよくあります。 そういう意味で、音楽が私の書く手を五線譜の上に滑らせていることもあるわけです。

BD:新しい自分になるのか、それとも既存の自分の別の面を発見するのか?

トーマス :両方でしょうか。 この二つをどう切り離せるのかわからないけど、どのようにして創造的なアーティストになるかと言えば、自己表現への欲求があってこそだと思います。 ただそのことの中には、自己理解への欲求があって、そんな場所が自分の中にあるとは知らなかったところを発見したりもする。どうしてかというと、その音楽はどこかに行く必要があったから。だからどちらもあると思う。

BD:(軽く突いて)「精神科治療としての音楽」という新しい学科を設けましょうか?

トーマス:(笑)どうでしょうね...。 音楽に人生を捧げてきた人たちにとっては、最高レベルに達することかもしれません。でもそこにはある種の儀式のようなものがあって。あることを何度も何度も繰り返していると、瞑想的になったりします。コンピューターでの仕事であれ、銀行の仕事であれ、なんであっても、儀式みたいな感じになります。1日中机にすわって音楽を書いていると、私は瞑想をしてるような気分になります。だから自分にとって、こんな風に何かを吐き出せるのは、心理的にいいことじゃないかと思うんです。

BD:あなたが書く音楽は万人向けのものなんでしょうか?

トーマス:わからない! 多分そうではないと思う。 そういう風に考えたことはないですね。私は自分のために書いてますが、そこに何か見つけてくれる人がいるなら素晴らしいし、100万人そういう人がいるなら、それもまた素晴らしいです。人がどう思うかを考えて音楽を書いているわけじゃないです。自分の曲が世界中で演奏されたりレコーディングされているのは幸運だと思ってます。聴衆の反応はとても素晴らしくて、そのことから考えて、私は万人のために書いているんじゃないと言えます。もし自分にとって真実であるもの、誠実な音楽を書けば、そしてそれが人間の暮らしの何かを反映していれば、聴衆はそれを感じとってくれるでしょう。彼らに向かって作品を突きつけた場合も、ただそこに提示したとしても、聴衆はそれを感じると思います。

BD:では、ズームインしてみましょう。 あなたはなぜ書くのですか?

トーマス:(少し考えて)自分を表現するため、そして自分自身についてもっと知るために書いています。 抽象的な感覚に照らせば、私にとって書くことはとても宗教的なことでもあります。 儀式であり、私の人生そのものです。 音楽を書くことと自分の人生を切り離すことはできません。とても大きな問題なので、答えるのは難しいです。ただ成長したり発展したりのプロセスの中で、音楽によってそれを表せると感じています。自分の言いたいことをそこで表せるとね。

BD:大きな問題だと言われました。 どんどん大きくなっていくのですか?

トーマス:いえ、私という人間の核にあるものはすべて、音楽を書くことと関係しているということです。


政治ではなく、抽象的な意味でのアートが好き


BD:あなたは女性作曲家です。それによって何か違いが生まれるのか、それとも単に作曲家として知られたいですか?

トーマス:創作に性別はありません。私が机に向かって作曲しているとき、私は作曲家です。自分の芸術を作っているだけです。 たまたま女性で、たまたま金髪で、たまたま1時間後に飛行機に乗らなければならないということです。状況がどうであれ、そういうことが創作のプロセスに関係することはないです。

BD:男性の作曲家にはない、女性らしさみたいなものをスコアに持ち込むつもりはないのですか?

トーマス:率直に言って、そうは思いません。 女性らしさというのは難しい言葉で、男性にも女性的な麗しい面があり、女性にもとても強い男性的な面があるからです。 だからこの問題について言葉で語るのはとても難しいですね。 私は女性であり、それゆえ女性作曲家になりますが、創作活動をしているときには、別に女性であるということではないです。 私は私であり、 私は音楽家であり、作曲家です。 私の音楽の中には、男性的で大胆で力強いと思われるものもあれば、非常に繊細で優しさのあるものもあります。 どんな音楽でも、これは男のものだとか女のものだとか言えないと思います。そういう人がいるのは知ってますが、わたしはそうではないです。さっきも言いましたけど、創作に性別はありません。

BD:では、あなたは女性作曲家のために奔走しているわけではないのですね?

トーマス:いい仕事をする女性も好きだし、いい仕事をする男性も好きです。どちらの性でも自分のベストを尽くすべきで、長い目でみて誰かが本当に素晴らしい仕事をして、良い絵を描いたり、良い音楽をつくったなら、みんながそれを良いと認めるだろうし、その作品にはチャンスが訪れると思う。それがたまたま女性であろうと、男性であろうと、ゲイの人であれ、黒人あるいは白人であれ、中国人だったとしても、まったく問題になりません。素晴らしい作品が生まれたとすれば、私は敬意を表します。それはただただ素晴らしいこと、私の知っている人が良い仕事をしたら誇りに思うし、それはそれがどれだけ大変なことか知ってるから。女性はとてもいい音楽を書きます。繊細で創造的で非常に才能のある女性作曲家を私はたくさん知ってます。でもそれはたまたま彼らが女性だったということに過ぎない。

BD:今、私がここでした2つ、3つの質問はもう、無関係なもの、あるいは不要になるところまで来ているのでしょうか?

トーマス:よくはわかりません。 なんであれ不必要とか無関係とは言いにくいので、そうは言いたくないです。 でも、違う形で関係するかもしれない。違う次元のこととして関係することがあるかもしれません。 今、私たちは平等であること、その権利について考えるようになっていますから。

BD:私たちはこの点で、前向きに進んでいるのでしょうか?

トーマス:大衆文化としてはそう言えます。 私たちは、いくつかの課題を克服しつつあります。 男女同権、同性愛者の権利、女性の権利など、多くの問題が繰り返されていますね。同じ種類の課題といっていいと思います。お互いを人間として受け入れる、そういう文化が必要です。性的嗜好や女性だからといって非難するのではなく、互いを愛し合うことだと思います。

BD:あなたの音楽はこのようなことを扱っているのでしょうか、それとも音や人間性を扱っているだけなのでしょうか?

トーマス:後者だと思う。 自分の書いているものが何なのか、意識することはないです。女性であるという主張を音楽で表すことはないです。音楽で女性は迫害を受けてきたと抗議することもないです。女性はオーケストラ曲を書く機会を奪われてきた、だから私はこれこれというタイトルによる、これこれの様式の音楽を書き、自分が女性であることを明記したプログラムノートを書く、こういったことを私はしません。そういったことに興味がないんです。そうする人を非難したりはしませんけど、私はしません。必要なことと思えないんです。抽象的な感覚という観点でアートを愛してるんです。政治的なアートは好きではありません。

BD:スーザン・B・アンソニー*の交響曲を書くことを躊躇しますか?

トーマス:実際のところ、そうですね。たとえば女性の書いた詩であるとか、憲法修正第19条の批准*に関係する素材を使うなど、別の次元で明白な裁定に関わることになります。非常に強い引力をもつ特別な考えを引き受けざるを得ないです。でももし仮に私がそれをした場合も、私はアート的な側面から取り組みます。あからさまに女性についての女性のためのものだったとしても、あるいは男性についての男性のためのものだった場合も、非常に芸術的であれば面白いものになるかもしれません。ただ私は政治的な理由からそれをすることはないと思う。面白いとは思えないし、アートとして何か違いがつくれるとも思えません。アートとしていい作品というのはアートとしていいということ。それは見ればわかります。題材が何であっても、それはわかると思います。

BD:最後の質問です。 作曲は楽しいですか?

トーマス:はい。楽しいです、素晴らしいです。究極の楽しさです。抵抗できないくらい面白くて、非常に消耗するものでもあり、とても謙虚で、そういったすべてが一つになっています。そうですね、財政面や時間的な問題などいろいろ厳しいし大変ですが、作曲することを愛してます。たくさんの労働が求められますけど、私は完璧に幸せです。少しも変えたくない、ただただ好きだし、だから本当にラッキーだと思います。


訳注
1) スーザン・B・アンソニー:1820〜1906年。アメリカの公民権運動の指導者で、エリザベス・キャディ・スタントンと共にアメリカ合衆国における女性参政権獲得のために活動した人物。(Wikipedia)
2) 憲法修正第19条の批准:修正第19条は、女性参政権を具体的に拡張することを意図 したもの。1919年6月4日に提案され、1920年8月26日に批准された。(Wikipedia)

Original text:  ( 日本語版は、英語原典のテキストを抜粋・編集しています)
A Conversation with Bruce Duffie, "Composer Augusta Read Thomas"

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【小評伝】 作曲する女たち(19世紀生まれ)
テキサスのカウガール:Radie Britain
歌が唯一の楽器だった:Mabel Daniels
初めての学校は子育ての後:Mary Howe
1000人の大合唱団を率いて:Gena Branscombe
ブーランジェ姉妹と交換教授:Marion Bauer

【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ)
⓵オーガスタ・リード・トーマス(作曲家かどうか、決めるのは自分)
ジェニファー・ヒグドン(ロックを聴いて育った)
タニア・レオン(世界を見たくてキューバを離れた)
ヴィヴィアン・ファイン(よくできた曲はあまり面白くない)
エレン・ターフィ・ツウィリッヒ(音楽には浅いレベル、深いレベル両方必要)


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