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【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ) ⓹エレン・ターフィ・ツウィリッヒ:音楽には浅いレベル、深いレベル両方必要

Ellen Taaffe Zwilich::1939 年4月30日~
フロリダ州マイアミに生まれる。フロリダ州立大学でバイオリンを学び、音楽学士の学位を取得。アメリカ交響楽団で演奏するためニューヨークに移り住む。その後ジュリアード音楽院に入学し、エリオット・カーター、ロジャー・セッションズなどに 作曲を師事し、作曲法の 博士号(女性初)を得る。バイオリン奏者であった夫のジョゼフ・ツウィリッヒのためにも、作品をいくつか書いている。『管弦楽のための3楽章(交響曲第1番)』(1982年)が、1983年のピューリッツァー音楽賞を受賞(女性初)。以降も多数の受賞歴があり、多くの委嘱を受ける作曲家として活躍。現代音楽の作曲家としては珍しく「中身のある音楽を書くと同時に、さまざまな聴衆に即座にアピールするという幸運な組み合わせを持っている」と評される。最近のアルバムとして『Zwilich: Cello Concerto & Other Works』(2022年)がある。

原典:Bruce Duffie Interviewsブルース・ダフィーについて
インタビュー日時:1986年1月、シカゴにて(46歳当時)
だいこくかずえ訳・編集
訳注:1) 漫画『ピーナッツ』から生まれた作品
Title photo: from her official website

このプロジェクトについて


賞をもらうために努力すべきではない


ブルース・ダフィー(以下BD):ピューリッツァー賞の受賞は、作曲家であるあなたにとって、どのような意味がありますか?

エレン・ターフィ・ツウィリッヒ:自分がそこにいて、音楽を書いていることを人々に知ってもらうのに役立ちます。

BD:それは目指すべきものなのか、それともただ授けられるものなのか?

ツウィリッヒ:賞のために努力すべきではないと思う。賞が欲しいと思ってはいけないとか、コンテストに応募すべきじゃないという意味ではありません。ただ賞や審査に選ばれることへの視点をもつべきです。音楽は賞よりもっと重要なものです。音楽でやるべきことは自分のすべてを捧げ、使い果たすことです。

BD:あなたにとって、音楽の目的(到達点)は何でしょうか?

ツウィリッヒ:私にとって、作曲することが一番重要だと思います。自分の作品を素晴らしい演奏で聴くことは、最大の報酬です。賞をもらうことや栄誉を受けることよりもです。賞を軽視しているわけではないです。そういうことが言いたいわけではありません。なぜならピューリッツァー賞を受けたことには感動したし、同業者から認められることは素晴らしいことだから。

BD:あなたはピューリッツァー賞を受賞した最初の女性です。そのことは重要なんでしょうか、それとも単にピューリッツァー賞を受けたのがあなただったということなのか。

ツウィリッヒ:ピューリッツァー賞を受賞した最初の女性ということで、より多くの人に知ってもらうことができました。それはいいことです。ただそれが私たちのやっていることの本質ではない、ということです。

切り離すのが不可能な方法で思考と感情が結びついている、それが音楽

BD:作曲しているとき、どれぐらいが心で、どれぐらいが頭なのでしょうか?

ツウィリッヒ:(笑)音楽のいいところは、正しくやっているとき、この二つは分けられないことです。音楽を作るには、演奏するにも作曲するにも、膨大な知識が必要だということです。情報と理解の蓄積が必要ですが、それがあっても何か言うべきことがなければ、意味のないものになります。逆に素晴らしいことをもっていても、それを言うだけの技術がなければ、実行不可能になります。ですから理想を言えば、完成した作品を見たとき、思考と感情が分かち難く結びついていることです。音楽で起きることはそれで、私たちが音楽を愛する理由はそこにあると思います。

BD:すべての作品に満足していますか、それともまた戻って少しいじりたいと思うことはあるのでしょうか?

ツウィリッヒ:1971年以前に書いたものは作品に入れていません。作品というのは個人的なものです。 それが世に出ているなら、私がそれを信じているということ。思い入れの強い作品というのも中にはあります。

BD:では、作品一つ一つが子供であるという例えは、通らないこともある?

ツウィリッヒ:そういう面もありますけど、バランスをとる必要もあります。非常に長い曲を書き終えたとき、気分を変えてもっと軽い作品を書くのはいいことです。その場合、自分の作品としてそれほど重要でないと感じるかもしれない、でも作曲家としての成長やライフワークとして考えるなら、それも重要なんです。

聴衆に期待するのは冒険心


BD
:音楽はアートですか、それともエンターテインメントですか?

ツウィリッヒ:両方だと思う。

BD:そのバランスはどこにあるのでしょう?

ツウィリッヒ:わかりません。この2つを分ける必要はないと思います。エンターテインメントは思慮がなく、アートは非常に真面目なもので薬みたいなもの、多少味が悪くてもからだにいいと考えるのは現代社会の問題だと思う。こういった態度はアートに関わる人間には、全くなじまないものです。私たちは音楽やその他のアートによって、啓蒙もされるし楽しみもするからです。

BD:あなたの作品を初めて聴きに来る観客に何を期待しますか?

ツウィリッヒ:冒険心を持って来てほしいし、これまで聴いたことのないものを聴くんだ、ということを楽しみにして来てほしい。新作の場合、その曲を聴いたことがない人々でホールが埋まっていて欲しい。音楽はとても生きているアートで、それが大きな魅力です。聴衆は驚かされることを期待して、あるいはどこか見知らぬ場所に連れていかれたり、新しい考えに触れたり、先のことが見えたり、そうやって来る人々が理想です。日々の、普通のことから少しはみ出す準備ができている人ですね。

BD:今の聴衆は、普通とは違うものを求める準備ができているのでしょうか?

ツウィリッヒ:もちろんです。多くの人はそうです。音楽と聴衆についてはいくつかの問題があります。聴衆はこのような冒険を愛しています。モーツァルトの交響曲40番に対して、何か新しいものを求める、あるいは正確な演奏であると同時に、新たな解釈を求めています。新しい曲を聴かせてほしい。古楽を本物の楽器で聴かせてほしい。私の耳を刺激するあらゆるものを聴かせてほしい。それと同時に、音楽で麗しいことは同じ曲を繰り返し聴くことでもあります。たとえばこの日のプログラム*で、メンデルスゾーンの『八重奏曲』を知ってる人は、これをここで再び聴けることをありがたく思います。音楽には様々なレベルのことがいろいろあって、聴いたことのあるものを再び聴いて、また新たなことを見つけることもあります。そこには聴く人にとって新しいことがあるんです。結末を知っているから、ミステリー小説を再読できないというのとは違います。前に読んだものをまた読んでも、そこに豊かなものを発見できる偉大な小説みたいなものです。だから新しい作品ではそれを感じることができません。過去に聴いたことがないからです。

*訳注:この日のプログラム:1986年1月、シカゴでツウィリッヒの『ダブルカルテット(二重四重奏曲)』が演奏された。 その際、メンデルスゾーンの『八重奏曲』がプログラムの一つとして組まれたと思われる。インタビュアーのブルース・ダフィーは、リハーサル時にツウィリッヒへのインタビューを行なった。

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音楽は生きた芸術、人生は整然としてはいない

BD:カルテットであれオーケストラであれ、誰かがあなたの作品を演奏するとき、あなたはどの程度関わりますか?

ツウィリッヒ:作品の初演のときは、作曲家と演奏家の間でかなりの共同作業があります。時間を節約してやることもできれば、両者であれこれ試すこともできます。あるいは演奏家がやるにまかせて聴いていることもできます。素晴らしい演奏家の手に作品を預けることを、私は楽しんでいます。自分の考えを彼らがつかみとり、作品にイマジネーションを加えてくれる能力を目にするからです。

BD:では、あなたの『ダブルカルテット』のような作品を中学生のグループに渡すのは間違いということですね?

ツウィリッヒ:ええ、これは中学生のグループには向かないでしょう。

BD:もし突然手紙がきて、「中学でこれを演奏しましたが、素晴らしかったです」と言われたらどうします?

ツウィリッヒ:あー、それはまた別のことです。実をいうと、1982年に『弦楽三重奏曲』を書いてから、何年もの間、難易度の低い作品を書いていないことに気づきました。それで『ディベルティメント』を書いたんですが、これが非常たくさん演奏されています。初演はロチェスター・フィルハーモニックのメンバーによるものでしたが、素晴らしい演奏になりました。それからそこまで素晴らしくはない演奏もいくつか聴きました。でも皆が演奏してくれて、とても幸せだったんです。音楽は生きているアートです、人生というのはいつもキチキチ整然としているわけではありません。人は音楽を演奏するよう、音楽をつくるよう背中を押されるべきで、それがいつも最高レベルである必要はありません。電子時代がきて私たちがなくしたことの一つは、人々はピアノの前にすわって、ベートーヴェンの交響曲を四手連弾で引く必要がなくなった*ことです。巨匠の解釈を選べばいいのです。とはいえピアノの前にすわってベートーヴェンを自分なりに弾けば、作品から学ぶことがあるし、原始的なやり方だったとしても音楽を再現することができます。フルトベングラーとトスカニーニのレコードの違いを言えるよりずっと、作品と近しい関係が結べます。だから私の作品を演奏してくれる人がいれば、作曲家としてとても嬉しいんです、そのレベルが高くなかったとしても。もちろん、初演であったり、重要な演奏会であれば、高いレベルでなければなりませんけど。

*訳注:レコードやCDなど音楽の再生技術がまだ未熟だった時代は、(音数が多く、音域の広い)オーケストラ曲はピアノ連弾で再現するのが普通だったと思われる。

BD:あなたは、自分の音楽の演奏が行われていることをすべて知っているのでしょうか。それともその演奏が行われたことを新聞などで読んで知るのでしょうか。

ツウィリッヒ:印刷されたり配布されている私の作品の多くは、コントロールの外にあります。

BD:いったん世に出せば、それはあなたのものではなく、公のものということですか?

ツウィリッヒ:はい、いつのまにか私があちこちで演奏している、と知ります。でも全く知らなかったわけです、それが(私の住む、そして注目度の高い)ニューヨークであったとしても。新聞で、誰かが私の『室内交響曲』を1ヶ月前に演奏したという記事を目にするわけです。私は知らなかった、でも私はそこで生きていた!(笑)でもそれはとても喜ばしいこと。本当に素晴らしいことなんです。人々が私の音楽を演奏してくれているわけですから。

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音楽には浅いレベル、深いレベル両方必要


BD
:フルタイムで作曲をしているのですか?

ツウィリッヒ: はい。

BD:教えることは 全くしないんでしょうか?

ツウィリッヒ:いいえ、教えることはありません。ミート・ザ・コンポーザーのようなプログラムをやって、そこで聴衆に会うことはとても好きです。 出かけて行って演奏したり、演奏に関わることは、私の仕事のとても重要な部分です。

BD:あなたは教えていらっしゃらないようですが、作曲は教えられるものなのでしょうか、それとも内なる情熱から生まれるものなのでしょうか?

ツウィリッヒ:内なる情熱から生まれるものであることは間違いないと思いますが、そこまで内面的でも情熱的でもないことの中に、学べることはたくさんあります。 私は曲を作るための技術をとても尊重しているし、知るべきこと、学ぶべきことはたくさんあります。この技術が問題で、そこに内なる情熱があります。 作曲を教えられるかどうかについては、それを助けることは可能だと思います。学生の中にあるものを引き出したり、作曲技術を進化させるよう導くなど。でも言葉や数学のように教えられるか、といえばそうは思いません。数学だって教えられるかどうか。あるレベルについては、どこまで教えられるのかわかりません。どうしても理解できない人がいる一方で、子どもの時に素早く理解してしまう人もいますから。

BD:音楽はつかみ取るべきものなんでしょうか?

ツウィリッヒ:もちろんです!

BD:それともただ感じればよくて、コンサートで心洗われればいいのか。

ツウィリッヒ:あー、そういうことの全てですね。つかみ取り、感じるべきものです。モーツァルトはこう言ってます。音楽は愛好家のためのものと、もっと気軽に聴く人のためのもの、両方をもつべきだって。音楽にはいろいろなレベルがありますから。人の心を惹きつける表面的なものも、つかみ取るべき深い意味もあるべきです。

BD:弦楽四重奏の奏者の中には、演奏で余計な音(ノイズ)を出し始める人がよくいます。 自分の名を冠したカルテットをもつアーヴィン・アルディッティは、例外的に大きな音を出す人です。彼らがそれを意識していないのは確かで、でもそれが演奏の一部になっています。

ツウィリッヒ:確かにそうですね。

BD:このような音に対して、異論はないのですか?

ツウィリッヒ:あー、ないですよ。これが人間のつくる音楽だから。素晴らしい音です。私が電子楽器よりアコースティックな楽器にほぼ100%傾倒している理由です。そっちが好きなんです。松脂がこすれる音や息づかいを聞くかもしれない。それが押しつけがましくない限り、いいと思います。

オペラは書かない、そこには徒弟制が……


BD
:あなたは楽譜に指示マークをたくさん入れますか、それとも基本的に音高と音長だけのクリーンな楽譜なんでしょうか?

ツウィリッヒ:意図が明確になるよう、できるだけ編集はします。2回リハーサルしてわかることが、言葉を二つ添えることで1回のリハーサルで済むことがあります。そういう場合は、二つの言葉を添えることをします。編集はどこまでやるべきか、わからないものです。やり過ぎか、まだ足りないかといった。スコアから演奏を引き出す興味深いところで、私はこれについてよく考えます。

BD:あなたは声楽と室内楽のための曲をいくつか書いていますね。 声楽には、ヴァイオリンやクラリネットにはない特別な問題がありますか?

ツウィリッヒ:楽器と声とは非常に違います。声は楽器ではないですから。最近は声の出し方の技術を拡張している人々がいますが、私の考えでは、声そのものは進化することはありません。とても特別なものです。楽器とは違う領域のもので、私は器楽曲を主に書いてきました。その分野が私の興味の対象だからです。

BD:声楽のために書くのは難しいのでしょうか、それとも単に違うだけなのでしょうか?

ツウィリッヒ:何であれ書くのは難しいです。(笑)私が声を使った最後の作品は『パッセージ』という作品の中で、非常に基本的な人間についての問題を考えていました。私は声を伝統的な歌い方に近い感覚で使いました。私がそう言うと、「よく知る歌い方になってる」と聞いた人を困惑させるかもしれません。でもそうじゃない。私は声をもっと普遍的な方法で使い、楽器を現代的な、より名人芸的な使い方をしたいと思ってのことです。よく伝わるかわかりませんが。

BD:そうでしょう、わかります。全く違うものだと言えますから。

ツウィリッヒ:ええ、全く違います。言葉が加わることで、全く新しい認知が生まれますから。

BD:多くの歌い手が、現代音楽の作曲家たちは、声をクラリネットやバイオリンのように書くと不満を言っています。

ツウィリッヒ::そうです、違うと思う。

BD:作曲家がそう言ってくれて嬉しいですよ。

ツウィリッヒ:間違いなく違います。特別な拡張技術を使う歌い手を除けばね、でも彼らは一種の楽器ですから。

BD:オペラを書くことはありますか?

ツウィリッヒ:いえ、オペラは書きません。確かだと思います。心のどこかにドラマチックなものへの衝動はあったとしても。

BD:あなたは音楽は劇的であるべきだと言ってますよね。

ツウィリッヒ:ええ、そうあるべきだと思いますが、器楽曲というのは、信じられないほど劇的で力強いものです。

BD:では、なぜオペラを書かないのでしょう?

ツウィリッヒ:それは劇場作品は、徒弟制度のようなものが求められるからです。他の人の書いたオペラを聴いたり、オペラについて読んでも、オペラの書き方は学べません。劇場やオペラのプロダクションに弟子入りしなければならない。私は器楽曲を書いていて幸せですし、書きたいものが一生分以上ありますから。私が見習いをやってきたのがこの領域で、今も成長したり学んだりしています。本質を学ぶだけの時間がないところに行くために、今の分野を離れてよそに行くことは考えられません。オペラ界で成功している人たちは、オペラに集中していて、どこかに所属しています。シカゴ・リリック・オペラとかニューヨークのメトロポリタン・オペラに限ったことではありません。カレッジのキャンパスの中であれ、小さな町の劇場であれです。オペラを書く人はカンパニーに入って書きます。小さな作品を書き、それから大きな作品を書き、そうやって書くことでのみ技術を学びます。所属して、何が起きているか知り、地位を得るわけです。今やっていることを中断してまでやりたいことではないですね。

BD:あなたは少し違う方向でそれを獲得してきたわけですね?

ツウィリッヒ:そうですね。

BD:作曲家であることが好きなんですか?

ツウィリッヒ:作曲家であることが大好きです!  朝起きたとき、この仕事をやっている自分はとてもラッキーで恵まれていると思うんです。非常に苦しいことも多いので、不平不満もたくさん言います。でも、とても恵まれているし、作曲家として幸せな人生を送っているとも感じています。

BD:あなたが作曲家でいてくれてよかったです。

ツウィリッヒ:(笑)ありがとうございます。

↑ Peanuts Gallery, six pieces for piano and chamber orchestra (1996)

訳註
1) アメリカの人気漫画『ピーナッツ』のキャラクター(チャーリー・ブラウン、ルーシー、ライナスなど)を題材にした作品。カーネギー・ホールがツウィリッヒに子供向け音楽の作曲を依頼した際、作曲された。漫画の原作者チャールズ・M・シュルツとツウィリッヒは友人だった。漫画『ピーナッツ』の中でも、ツウィリッヒの名前やこの作品のことが出てくる。

Original text:  ( 日本語版は、英語原典のテキストを抜粋・編集しています)
A Conversation with Bruce Duffie, "Composer Ellen Taaffe Zwilich"

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【小評伝】 作曲する女たち(19世紀生まれ)
テキサスのカウガール:Radie Britain
歌が唯一の楽器だった:Mabel Daniels
初めての学校は子育ての後:Mary Howe
大合唱団を率いて:Gena branscombe
ブーランジェと交換教授:Marion Bauer

【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ)
オーガスタ・リード・トーマス(作曲家かどうか、決めるのは自分)
ジェニファー・ヒグドン(ロックを聴いて育った)
タニア・レオン(世界を見たくてキューバを離れた)
ヴィヴィアン・ファイン(よくできた曲はあまり面白くない)
⓹エレン・ターフィ・ツウィリッヒ


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