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【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ) ⓶ジェニファー・ヒグドン:ロックを聴いて育った

Jennifer Higdon:1962年12月31日~ 
 ブルックリンに生まれ、 その後アトランタ、シーモア(テネシー州)など南部で育つ。中学生になって初めて学校の吹奏楽団で打楽器に触れ、自宅では母親が買って来たフルートを独学で始めた。ボーリング・グリーン州立大学で音楽学士を、カーティス音楽院でディプロマを、ペンシルバニア大学で修士号と博士号を取得。グラミー賞を3度受賞(2010年、2018年、2020年)、またバイオリン協奏曲で2010年ピューリッツァー賞を受賞した他、多数の受賞歴がある。作品は世界中の主要オーケストラで演奏されている。弟の死に捧げた音詩『ブルー・カテドラル』は、2000年の初演以来、200以上のオーケストラで演奏されてきた。作品の多くは調性構造を用いるが、伝統的な和声進行ではないより開放的な音程、和声の変化や転調を特徴としている。1994年から2021年まで、カーティス音楽院で作曲を教えた。

原典:Bruce Duffie Interviewsブルース・ダフィーについて
インタビュー日時:2004年2月14日、シカゴにて(41歳当時)
だいこくかずえ訳・編集
訳注:1) 「バンド・クエスト」シリーズ、2) 20世紀の音楽、3) ジョン・アダムス
Title photo: by J.D. Scott (from her website)

このプロジェクトについて



中学生のための楽曲づくりは難しい


ブルース・ダフィー
(以下BD): 中学生の吹奏楽団のために曲を書いているそうですが、技術的に難しくないものを書く面白さというのはあるんでしょうか。

ジェニファー・ヒグドン: 実際のところ、プロの音楽家のために書くよりずっと難しい、と言わざるを得ないですね。ちょうどガスティ(オーガタスタ・リード・トーマス)とそのことについて話していました。 技術的な限界はすごく大きいです。 生徒たちの楽器の音域はとても狭いし、16分音符への移行はなんであれ問題になります。彼らがそれを面白いと思っているのはあるんだけど。たくさんの曲を作る人間は、いつも面白い響きを試そうとしているわけで。ただ私が面白いと思うものと、彼らが面白いと思うものは違うわけです。(笑)

BD:彼らにとって 面白いものを書く責任があるのか、それとも面白い曲を書くことに責任があるのか。

ヒグドン:多分、両方でしょう。いい質問ですね。面白いことに、『バンド・クエスト』シリーズ*のアイディアは、実績ある作曲家を集めようとしていること。陳怡(チェン・イー)とかマイケル・ドアティとか、普段オーケストラ曲を書いている人に吹奏楽団のための曲を、若い人たちに伝わるようなものを書かせようとしてる。それがどれほど難しいことか、びっくりです。何か書いて、それを検証して、うまくいくだろうか、彼らに演奏可能だろうかと考えます。私からすればごく簡単なものですが、一緒に練習をしてみれば、中学生にとっては全く違う見え方をするとわかります。(笑) ああ、まったくね!

ロックを聴いて育った


BD:あなたは音楽の系譜のどこかに属していると感じますか?

ヒグドン:そうだと思う。でも、クラシック音楽でキャリアを得るまでの道筋は変わってるから、実際のところはよくわかりません。マスコミの批評を見てるととても面白くて。誰もが私をどこに置くべきか迷ってます。 私に「似ている」と言う作曲家のリストには爆笑です。 全然違うから。ワシントン・ポストのある記者は4人の作曲家の名前をあげていました。メシアン、スティーブ・ライヒ、ルトスワフスキ、ストラヴィンスキーの4人で。

BD:そりゃまた! (笑)

ヒグドン:似てるですって! 基本的にはいいけど、20世紀の音楽家がズラリとだからね。まったく違うスタイル、まったく違う言語、まったく違うリズムなのにね。

BD:これは線ではなくて、4つの角でしょう。

ヒグドン:その通り! つまり巨大な図式のことを言ってるわけで、そこからその記者が何を得ようとしてるのか、何を見つけようとしてるのか、何を聴いているのか、と不思議に思う。

BD:ある系譜の中に入りたいのか、それとも自分自身でありたいのか。

ヒグドン:自分らしくありたい。 それが正確な言い方かもしれない。 私はクラシック音楽に囲まれて育ったわけではないので、私にとって系譜というのはあまり意味を持たないし、自分のやっていることの文脈として感じられない。おそらく、私はたくさんの曲を書いているから、どうすればその曲をもっと良くできるかをいつも考えているんだと思う。いつも自分の音楽に集中していて、歴史的に何が起きているかは考えてないです。その方がいいのかもしれないけどね。 歴史の重みでおじけづく、ということがあるから。

BD:では、どうやってこの世界に入ったのでしょう? どこからやって来て、どうやってクラシックの世界に入ったのか?

ヒグドン:私はロックンロールを聴いて育ちました。家の中にクラシック音楽はなかったんです。 父は自宅で仕事をする商業的なアーティストだったから、いつも60年代、70年代の音楽が流れていました。 サイモン&ガーファンクル、ビートルズ、キングストン・トリオ、大量のレゲエ。 レゲエが流行る前のことです。 彼はその手のレコードをたくさん持っていました。 だから、フォークとロックとローリング・ストーンズが私のルーツかな。

BD:じゃあ、なぜあなたは次なるジョーン・バエズ*にならなかったのか?
*訳注:アメリカのフォークロックの草分け的なシンガー・ソング・ライターで、今も活躍する。1941年生まれ。

ヒグドン:面白い質問だけど、 何があったのかよくわからない。

BD:あなたのお父さんは、「娘はどこで道を誤ったのか 」と言っていませんか?

ヒグドン:そうですね! そう、私は一家の黒羊(厄介者)でしょう。クラシック音楽界に行ったことで、まったくの、完璧な家族の黒羊になりました。両親はロックコンサートによく行っていて、クラシックよりもロックのコンサートの方が多かったから。家の中にはクラシック音楽があまりなくて。

BD:では、両親の考えに対する拒絶なのでしょうか?

ヒグドン:そうかもしれない。実際そうかもしれない! 変に聞こえるかもしれないけど。

BD:それはクラシック音楽に希望があるということかもしれませんよ! 親たちがロックを聴いていて、その子どもたちがそれを拒否して、我々クラシック音楽サイドに戻ってくるということなら。

ヒグドン:本当にね! ある意味、私が他の人たち以上に音楽的な背景をもっている、としたら面白いことです。クラシック音楽を聴くという意味ではなく、音楽全般を聴くということで。クラシック音楽ばかり聴く、という背景で育ったわけじゃないので。多くの人が、私のリズムは他の音楽の影響を受けている、と言います。他の人が言うことに、耳を傾けねばと思います。あまりに自分が音楽に近過ぎて、彼らが私の何に反応しているのかわからないから。たくさんの人が、私の拍やリズム感はビートルズの音楽から来てると考えていて、それは私が成長過程でたくさん聴いていたから。一番大きな影響だったかもしれない、その通りだと思う。子ども時代、毎日のようにビートルズのレコードを聴いていたと思います。それが影響した。それにしても、なんでまた私がクラシック音楽に夢中になったのか、というのはいい質問ですね。

ベートーヴェンもピアノ三重奏も知らなかった


BD:あなたの音楽は、同じように育った人たちに通じるのでしょうか?

ヒグドン:そう思う。そういうことが起きていると思う。確かではないですが。10年たてば、もっと明快な答えができると思います。面白いことですね。面白い視点だと思う。変な話ですけど……最近、子どもの頃のものが入った箱を見つけて……

BD:何か書いたものとか、オモチャとか?

ヒグドン:絵なんです。たくさん絵を描いてました。弟と私はいつも絵を描いてました。ただただ描きまくって、普通の子よりたくさん描いていた。普通もう描かなくなる年を超えて、まだ描いていた。6歳か7歳のとき、書いた曲を見つけました。クラシック音楽調で、五線譜にト音記号とメロディがあって。メロディには輪郭と形式がありました。クラシック音楽について何も知らなかったし、楽譜の読み方だって知らなかったから、いったいどこからやって来たんだろう、って思いました。すっかりそのことは忘れていて、つい最近になって見つけたわけ。それを見て思いました。「なんてこと、私がこれを書いたとは!」

BD:それ、使うつもりですか?

ヒグドン:いい質問ですね。

BD: 『子供時代の変奏曲』になるかもしれない。

ヒグドン:(笑)それ、作りましょうか。何か頭の中にあったんだとわかりました。それを見つけたとき、何の知識もない6歳や7歳の子どもが、こんなものを書くはずないと思いました。家にはフルートが転がっていて、私は音楽の力はいつも感じていたけれど、やっていたのは創作でも違うジャンルのことでした。弟と私は8ミリフィルムでアニメーションをよく作っていました。父が8ミリカメラを持っていて、私たちはそれでちょっとしたクレイアニメを作っていたんです。それから文章もたくさん書いてました、文学的なね。弟と私は絵をよく描いていて、子どもがよくやっているそういう創作的なことをやっていました。ある時、私はフルートを手にとり、自分で吹く練習を始めました。それは今考えれば、ずいぶん遅いスタートでした。いま私が教えているカーティス音楽院では、みんな2歳で楽器を始めてます。どの学生も始めたのは赤ん坊のとき。私は15歳で、独習を始めたわけです。ですから音楽の指導というものを受けたことがなかった。18歳でカレッジに入ったとき、ベートーヴェンの交響曲を知りませんでした。クラシック界で働く人で、18歳のときにベートーヴェンの交響曲を知らなかったという人がいったい何人いるでしょう。私が言ってることって、本当に馬鹿げてるでしょう? 

BD:でも、そのおかげで音楽全体に対して違った視点を持つことができますよね。

ヒグドン:そうですね、以前は不利だと思っていたことが、今では有利に働いているのかもしれません。 学校では、 当然知っていると思われていることをこっちは知らないわけで、大変でした。特に博士号レベルでは、知っているべきことだから。 他の人たちは「drop -the-needle exams*」にすぐに合格していたけど、私はそういうものをやっと学ぼうとしてたわけで。だから、当時は遅れをとっていたかもしれないけれど、今となっては、それがアドバンテージになっているのかもしれません。
*訳注:drop -the-needle exams=リスニングのテスト。 曲の抜粋を聴いて、曲名、作曲家、音楽的要素、歴史的意義などを答える。

BD:そういう経験を積んでからシンフォニーに臨んだ人は、まったく違った展望が開けると思います。

ヒグドン:まったく違うでしょうね。今もまだ発見しているような気がします。去年の春にピアノ三重奏を書くまでは、ピアノ三重奏を知らなかったんです。 みんなにこう言われました.。「ブラームスは要チェック、フォーレもね」。

BD:あなたにとってトリオ(三重奏)とは、ピアノ、ベース、ドラムのことですよね。

ヒグドン:その通り! で、タワーレコードに行って「トリオ」を買うわけです。 ピアノ三重奏曲なんて一つも知らなかったんですから。今持っている知識で、こういったものを実際に探求できるのは、かなり素敵なこと。10代の頃からこういうものを知っている仲間たちとは、まったく違うはずだと思うと、もうワクワクしかない。

音楽は鏡、人間の魂を表現するもの


BD:単刀直入に質問させてください。 音楽の目的は何ですか?

ヒグドン:人間のあり様を表現すること、そしてその魂を表現することだと思う。心からそう思う。 音楽は人間のあり様をさまざまなレベルで表現するもので、だから心の迷いを表したり、最高の喜びを表したりしているように聞こえる。心安らかな曲もあれば、緊迫した曲もある。人が生きること、その魂の完璧な反映です、だけど聴く人はそのことを知らなくてもいいんです。私が曲を書いているとき考えるのはそのことです。20世紀の音楽*には多くの議論があったのはわかってます。聴いている人が理解できない音楽だから、こういうタイプの音楽について知らないから、とね。でも私の音楽を聴いて楽しむのに知識はいらない、そう言いたいです。他の音楽についても同様です。音楽を聴く楽しみはそこにあるはず。一方で私は音楽を鏡として見ています。人々の鏡であり、あらゆるものの鏡であり、社会とか、そこに生きる人とか。音楽は人間の鏡なんだと思うことがあるんです。モノを反映すると見る人もいます。ラヴェルが工場のことをいつも話していたことや、時計製造の話をしていたのは知ってますけど、私は人間を考えます。

BD:あなたの音楽はあなたを映す鏡なのか、あるいはすべての音楽は人々を映す鏡なのか?

ヒグドン:あらゆる音楽はみんなの鏡だと思う。自分の音楽が何の鏡なのかはわかりません。 おそらく他の人たちの鏡なんだろうけど、私の鏡である作品というのもあるでしょうね。

BD:音楽を自己分析に使っているわけではないですよね?

ヒグドン:自己分析のように感じることもあります。5年半ほど前に弟を亡くしました。弟が亡くなってから数年間、作曲をすることが一番の癒しでした。それを自己療法のように言うこともできるでしょう。 確かにそうかもしれません。悲しみの時期を耐えるために、それを表す音楽を使うことは身近な方法でした。アルバム『レインボウ・ボディ』に収録されている「ブルー・カテドラル」は弟のために書きました。当時、私は弟のための曲をたくさん書きました。書くことで自分は救われたと思います。ですから一種の自己分析と言えるかもしれない、そんな風に作品を書くことがね。でもある作品については、完璧に他の人々の反映のように見えます。それ以外の作品はもっと自分の反映があるように見えたりもする。曲ごとにそれは変わります。それが作品を面白くしている、ということもあるのでは。

BD:あなたの作品はたくさん録音されていますし、これからもどんどん増えていくでしょう。 これまでの録音には満足していますか?

ヒグドン:はい、もちろんです。本当に満足しています。 素晴らしいミュージシャンと仕事ができて本当にラッキーでした。普通の人以上に、目を見張らせるような演奏を手にしてきましたし、アトランタ交響楽団やロバート・スパーノとの仕事は、本当に素晴らしい経験でした。

BD:スパーノはあなたの先生だったでしょう?

ヒグドン:そう、1年間でしたが。これがとても面白くて。彼がカーティス音楽院を出て1年目のときだったんですが、よりによってオハイオ州のボウリング・グリーン(州立大学)でバッタリ出会って。 だから彼のことは1985年から知ってました! 彼に1年間、指揮を学んだんですが、本当に面白かった!  もうただただ素晴らしかった。彼は最高の先生でしたね。

テキストがなければ、歌のために自分で書くこともある


BD:今、あなたはヴォーカル・グループのレジデンスで作曲家をしていますね?

ヒグドン:ええ、フィラデルフィア・シンガーズです。

BD:人間の声で仕事をするのはどんな感じでしょう。

ヒグドン:素晴らしいです。楽器とはまったく違うから。 私の音楽は楽器の場合、名人芸的なところがかなりありますが、声ではそうはいきません。言うなれば、私はサム・バーバー流合唱曲かアーロン・コープランド流のどちらかに属しているはずで。テキストが聞き取れるのが好きなので、基本的にシンプルなテクスチャーがいいと思ってます。テキストによって形式が決まる、それによって違いが生まれる、そこがとても違うところです。

BD:そのことは、テキストを選択するときの助けになるのか、妨げになるのか。

ヒグドン:助けになる方だと思う。テキストを自分で書かねばならないことも起きましたけど。ちょっと恐ろしくも感じました。具体的な委嘱作品が2、3あって、あるご夫婦からの委嘱では、ええと正確なところを思い出しますね、冬至、クリスマス、クワンザ(アフリカ系アメリカ人の祭り)、ハヌカー(ユダヤ教の祭り)を祝う作品が欲しいということでした*。でもそういうものに合うテキストが見つかるかどうか。で、自分で書くのがいいと思いました。これらの行事に沿ったスピリチュアルなテキストを書きました。一般的なものである必要があったんです。音楽とともに言葉が浮かぶこともありました。一つ一つの歌を書いているとき、何度もそういうことが起きました。私は何であれ取り組もうとするし、試してみます。やってみるんです。去年、テキストにラテン語を入れてみました。音節をどうやって合わせるか、把握するのにいい経験になりました。
*訳注:冬至、クリスマス、クワンザ、ハヌカーはすべて12月の行事、背景の違う人々を一つに、という意図(インクルージョン)と思われる。

BD:ラテン語を話す人はもういないでしょう?

ヒグドン:いないです、でもラテン語を使った宗教的な曲はたくさんあります。だから、他の作曲家がラテン語をどう使っているか過去の作品を調べて、ラテン語の置き方が正しいか確認する必要がありました。なかなか厄介なことだったけれど、やるだけの価値はあります。うまくいったので、不平はありません。ありがたいことです。

クラシック音楽のことを知らなくてもいい、ただ聴きに来てくれればいい


BD:あなたの楽譜はオーケストラやソリストに渡されたとき、楽譜だけで演奏できるよう明確に書かれているのでしょうか、それとも小さな指示があちこちに書かれているのでしょうか?

ヒグドン:私の楽譜はかなり明確です。いつも自分が国の片側にいて、演奏者が反対側にいることを、そして初演に立ち会えなかったり、指導ができなかったりすることを想像しています。そういうことは私の場合、よくあることなので、そこに自分がいないことを想定して、演奏者が必要とすることがすべて書かれているようにしています。おそらくジョージ・クラムからそれを学んだと思う。彼はいつも注意深く記すよう、そうすればたくさんのことが伝わる、と言っていました。演奏家たちにとってもこれはいいことで、練習に入るとき、彼らは作曲家に向かって「ここはどう演奏すればいいんです?」と聞くことに躊躇するから。書き込み過ぎないようにしつつも、できるだけの情報を与えるように、彼らが演奏の仕方を見つけて、疑問が出ないようにしています。演奏家が必要とすることは何かを予測して書きます。

BD:インターネットが新たな策略を持ち込もうとしてはいませんか? 電話をかけるより、メールを送る方が簡単でしょう?

ヒグドン:彼らは内気で、そうはしないでしょう。何でなんでしょうね。楽譜にメモを添えて渡すことがあります。「うまくいかない箇所や、やりにくいところ、質問があったら知らせてください」と書きます。彼らが何か言ってくることはありません。で、練習しているところに足を運んで、こう言います。「どんな具合?」 すると彼らは「ええとですね、一つ聞きたいんですが」「なんでもっと前に言ってこないの?」と言います。やりにくい箇所を我慢して練習したということだから。彼らはみんな内気なんです。

BD:あなたの新作を聴く聴衆に、アドバイスはありますか?

ヒグドン:あります、たしかに。私の音楽に対して、先入観を持つことはいりません。クラシック音楽について知っている必要もないです。来て、聞けばいいだけ、それで楽しめます。何年もの間、聴衆の反応を見た結果、そう言ってるんです。音楽はちゃんと機能するんです、クラシック音楽を知っている必要はないんです。コンサートの後にものすごくたくさんの手紙やメールをもらっています。すごく嬉しいことです。「好きなのはバッハだけ、でもあなたの音楽は好きです」というメールをしょっちゅうもらっています。これ以上の賛辞はないでしょう。すごいこと。

BD:あなたが何らかの形で、彼らの心に触れたということですね。

ヒグドン:そうです、究極の賛辞ですね。本当にそうです。聴衆の中で私のところにやって来て、口がきけない人がいます、泣いているから。そのことに驚かされもします。人生の中でそんなことが起きるなんて、驚くべきことです。アートというものが、人の心を動かすんです。

BD:あなたが記した小さな点や線が、深く人々の心に触れるというのは恐ろしいことなのか?

ヒグドン:はい、恐ろしいと思います、実際の話。ときに重大な責任のようなものです。それを感じています。本当に起きることで、アートにおける創作に、ある種の責任をいつも感じています。それは私にはチャンスがあり、それを生かす必要があるとわかっているから。私は他の作曲家の作品をいつも読んで、誰かに伝えられるものを見つけようとしています。いつもそうしていて、他の人がやっていることを聴いて素晴らしさを発見しています。それも私の愛することの一つなんです。

楽しくて、ただただ苦しい、それが作曲


BD:最後の質問です。 作曲は楽しいですか?

ヒグドン:楽しくもあり、苦しくもあります。喜びの部分があって、ただただ苦しい部分もあります。作曲がどれだけ大変なことか、驚くべきことで、簡単になせるとは思っていません。とにかく厳しいです、いつも心配だらけで。これじゃうまくいかない、そう思います。うまくいくはずがない! 本番直前までうまくいかないと思っていることもあります。驚くことに、よく起きることなんです。最近、ある本を読んで勇気づけられました。ジョン・アダムス*が自作を初めて聞くとき、いつも恐怖に襲われると言っているんです。あー、ほんと勇気づけられます。私はジョン・アダムスは物事の処理において本物のプロだなと、いつも思っていて。そんな彼がそう言っているのを聞くと、心からホッとするんです。

BD:自分の作品がうまくいったら、ほっとするんじゃないですか?

ヒグドン:確かに、でも私の音楽は演奏が難しいから、自分は人に何をやらせているのかと不安になったりします。それと自分の聞き方というのは、聴衆の耳の経験とは違うと知っています。私が心配している箇所はわかっていて、聴衆が音楽を聴いているとき、私はそこで反応しています。「いい感じ? うまくいってる?」とそんな風に。うまくいってるか、いってないかで、ドキドキすることもあります。音楽家の人に「これ、うまくいくだろうか。大丈夫だと思う?」と聞いたりする。でも嬉しい驚きをもらうこともあって、そういうこともある。とても厳しい仕事だけれど、音楽なしには生きられない。だから質問にどう答えたらいいか、よくわからないんです。作曲することは必要なこと、本当に必要。他の選択肢はない、でもアー、なんていうか、すごく苦しいときがあります。

BD:フルートの演奏は続けるのでしょうか?

ヒグドン:はい。もう少し続けます。私は出版社も経営しています。忙しい仕事で。1年にたくさん公演があって、そのバランスをどう取るか見つけようとしています。

BD:作曲する時間は充分にとれますか?

ヒグドン:はい。今年はいつもの年より、少し苦労してますが。ノートパソコンを持ち歩いているから、ホテルの部屋で仕事ができます。フィリーからシカゴまでのフライトでもずっと仕事をしていました。パソコンの電源を切るよう言われるまで、ずっとやっていました。もう少し時間を作ろうと思っているから、そこまで押し込まれることはないです。その方が創作にとっても健康的じゃないかな。

訳注
1) 「バンド・クエスト」シリーズ:アメリカを代表する経験豊かな作曲家たちが、中高生の吹奏楽団のために創作する新曲シリーズ。作品が出版に至るまでには、作曲家と生徒の直接的なつながりが大切にされ、両者によるレジデンシー(在留研修)が行われる。作曲家と生徒が会話をもち、ワークショップが行なわれ、共同創作の過程を経て曲が完成される。このようにして、2000年から今に至るまでに、何百万人もの若い音楽家たちに質の高い音楽が提供されてきた。ミネソタ州セントポールの非営利作曲家サービス組織「アメリカン・コンポーザーズ・フォーラム」によるプロジェクト。
2) 20世紀の音楽:ここで言及されているのは、主として20世紀に入ってから現れた、和声や楽曲構成、記譜法など、クラシック音楽の伝統とは異なる音楽(作曲法)を指していると思われる。聴衆にとっては、調性感のない音楽は聞きづらく、耳に馴染まなかった。シェーンベルク(1874-1951)によって確立された12音音楽をはじめとする、無調音楽が代表的。
3) ジョン・アダムス:アメリカの作曲家(1947年 - )。「ミニマル・ミュージック」を提唱する作曲家の一人とされている。オペラ『中国のニクソン』は最も有名で、1989年にグラミー賞を受賞。他に、ピューリッツァー音楽賞など受賞歴は多く、作曲家、指揮者、クリエイターとして、アメリカの音楽界で唯一無二の位置を占めているとされる。

Original text: ( 日本語版は、英語原典のテキストを抜粋・編集しています)
A Conversation with Bruce Duffie, "Composer Jennifer Higdon"

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【小評伝】 作曲する女たち(19世紀生まれ)
テキサスのカウガール:Radie Britain
歌が唯一の楽器だった:Mabel Daniels
初めての学校は子育ての後:Mary Howe
1000人の大合唱団を率いて:Gena branscombe
ブーランジェ姉妹と交換教授:Marion Bauer

【インタビュー】 作曲する女たち(20世紀生まれ)
オーガスタ・リード・トーマス(作曲家かどうか、決めるのは自分)
⓶ジェニファー・ヒグドン(ロックを聴いて育った)このページ
タニア・レオン(世界を見たくてキューバを離れた)
ヴィヴィアン・ファイン(よくできた曲はあまり面白くない)
エレン・ターフィ・ツウィリッヒ(音楽には浅いレベル、深いレベル両方必要)


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