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何度でも読み返したいnote1

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
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#エッセイ

あんぱんは、欠けて、満ちて

久しぶりにあんぱんを食べた。 それも横綱級のあんぱんだ。 まず仕事が終わって、職場近くの美味しくて安いパン屋さんに行こうと思っていたのだけど、風がとても強く吹いていたのと、空に広がった灰色の雲が今にも雨を降らせそうだったので、それをやめて、地元のパン屋さんに行くことにした。 地元のパン屋さんは、最寄駅を降りたらすぐ何軒かあって、たまたまふらりと入ったそのパン屋さんは、あんぱんがとても有名なお店で、けれど10時と15時しか焼いていなくて、しかも30食限定で、すぐ売り切れる

朝の3分クイックルワイパーと畳まない洗濯、そしてお気に入りのある暮らし。

ツバキ文具店を読んだとき、鳩子さんは凄いと思った。朝から掃除をして、お茶を沸かして、そんな風に一日を始めるなんて。ギリギリまでベッドの上でうねうねもぞもぞしている私とは大違いだ。 きっと鳩子さんは、朝から深く息を吐いて、大きく息を吸って、その日その日の温度や湿度を感じながら朝を過ごしている人なんだろう。そして少なくとも私のような低血圧ではないのだろう。そんな一日の始め方、私にはきっと出来ない。そう思っていた。 自分に自信をつける為にはまず、毎朝ベッドメイキングをしましょう

人間は空の上でコンソメスープを飲める日が来るんだよって、1000年前の人に言ったらなんて返ってくるんだろう

飛行機の機内で飲むコンソメスープが、他のどのコンソメスープよりも好きだ。 初めて飲んだ時まだ私は小さかった。飛行機爆酔いの果てにCAさんに勧めていただくまま飲んで、染み渡るような優しい暖かさと少し強めの塩分でみるみる元気になったのがきっかけだったと思う。以来コンソメスープというものをとても好きになった。 なんならスーパーでJALのコンソメスープを買って家で飲んでたこともあった。が、やはり身動きの取りづらい機内で紙コップからいただくあのコンソメスープがことのほか美味しく感じ

確か60デニールくらいの左足だった

一定数の人々の気分から波は消えないみたいだ。 彼らのバイオリズムからくる理不尽なあれこれというものは、それなりに起こる。 波を被って、ここ3週間ほどふまじめだった。 どんな風にかというと、12時まで起きていて本を開いちゃうとか、久しぶりにテレビを観たとか。いつもよりちょこっと遅く家を出たとか。 ところが置かれた状況は変わらなかった。 そして驚くことに、わたしのやってることも、全く変わっていなかった。家での過ごし方をマイナーチェンジしようとも、職場に行けば至って通常運転だっ

お客さんが自然にバイト化する定食屋

ぼくは定食屋が好きだ。中でも、個人で経営してて、孤独のグルメに出てきそうなところが好き。 使い古された中華鍋で、年季が入ったお皿に、変わらない味の料理を盛る店がいい。なんなら、店主はおじいちゃんかおばあちゃんがいい。 そこに行けば、長い年月が自分を受け止めてくれるような店がいい。 そんなぼくにとって、忘れられない定食屋がある。 🚶‍♂️ 「よさくくんがさ、絶対好きな定食屋教えてあげる」 ハンドルを握りながら、嬉々として先輩は言った。 ぼくは先輩の車でテニスコート

たまごに愛された男

誰もいないキッチンから、「ぱさっ」という音がした。 あぁ、またか。 想像したくないけど、きっとアレに違いない。 渋々、音のしたほうへと歩いていくと、悪い予感は当たっていた。 ふきん掛け(吸盤式)の落下。 ゆうべ洗ったばかりのふきんが、シンクで水を吸ってへたっていた。 落ちたふきん掛けとふきんを手に取り、なんか言ってやりたい気持ちになる。 ものにも心があるならば、言霊的にはけっして言ってはならない言葉だが、もろくもブチ切れた私の堪忍袋は収まりがつかず、捨て台詞のようなク

好々爺しげさんの独り言は         かるくて深くてせつない

この世を去った後に その人の存在が さらに 大きくなるということがある。 しげさんが亡くなったのはコロナ禍真っ只中の春だった。 葬儀はひっそりと行われ、家族だけに見送られて旅立った。 あれから1年半。しげさんの言葉は生き続けている。いや、その言葉の重みは増しているのだ。 しげさんの生前の生活は平凡だった。穏やかな日々。でも、だからこそ心豊かに生きるヒントがいっぱい。 ちょっと覗いてみましょうか。 第1章 縁側でにゅうめんを      すするしげさん しげさんの好物は

見知らぬあなたに、卒業おめでとうを、伝えたい。

きのう、同じハッシュタグをつけている 記事のひとつと、とても印象的に出逢った。 タイトルがわたしになじみのある学科の名前 だったので、なんとなくタップしてみた。 この3月21日に卒業された大学4年生の方。 無事に卒業証書(学位)を受け取って来たことが 綴られていた。 よくよく読んでいると、それはわたしの母校だった。 4年通ったあの大学だ。 いや、実を言うと4年よりも少ない。 半年ぐらい心の病で、休学していた。 ちょうど二年生の春か夏頃だったかも しれな

「頑張ったんだから、いいんだ」と言い聞かせて家を出たあの日。

私がひとり暮らしを始めたのは、26歳の秋だった。 大学を卒業後、塾の講師をしながらフリーライターになり、1年経って、ようやく仕事がうまくまわり始めていた。 お金の心配がなくなると、私はすぐに家を出ることにした。 子供の頃から、実家を出て「自分の家」を持つことが夢だったからだ。もちろん最初は賃貸でいい。だけど、そこは自分が愛情をそそげるものだけで固めた、私だけの城にする。そう決めていた。 ひとり暮らしをしたいと両親に告げると、父はあまり良い顔をしなかったが、母は賛成してくれ

愛嬌が最強

愛嬌というものについて、よく考える。 愛嬌がある人に出くわすと、惚れ惚れしてしまう。 この人みたいになれたらいいな、と思うことも多々ある。 成功している芸能人には、愛嬌がある人が多い。 例えば、僕の尊敬するお笑い芸人の一人、ハライチ澤部さんは類まれなる愛嬌の持ち主である。 本人も「愛嬌だけでここまで来た」と語っており、娘や息子にも「愛嬌は無敵だよ」と教えているらしい。 澤部さん以外にも、愛嬌のある有名人、そしてそれにまつわるエピソードを挙げていきたいところだが、挙げ始めると

明日、君は指揮を振る

「卒業式で、指揮者やらないかって聞かれたんだけど、、」 三学期が始まってすぐ、戸惑いがちに長男が言った。 「え?今年も?すごいやん」 そう答えるも、複雑そうな顔で「うーん」と言う。 卒業式での合唱の指揮者は先生からの推薦で決まる。その日、長男は学年主任の先生から指揮者をやって欲しいと言われ、その場で即答をせずに持ち帰った。 「去年もやってるからさ、僕ばっかりでいいのかと思って」 去年、在校生として卒業式に参加する二年生の指揮者を任された。結局、コロナ禍の中で、卒業

桜の季節、誰かが誰かを待っている。

noteをふいに訪れていると、誰かが 誰かのためだけを想っている言葉に であうことがある。 ふだんは、わたしはわたしのことしか 考えていないようなにんげんなので。 宛先がいつも誰かであるひとに会うと、 どうしようもないぐらい、恥ずかしく なってしまう。 じぶんの心を整えるために書いてきたので たぶんわたしの言葉はいつも宛先はじぶん だったような気がする。 だから、いっそもうじぶんのことは置いておき たいと思うことがある。 「わたし」や「じぶん」から遠

チャーハンのようなものに、わたしはなりたい。

「今日のしょうチャン、おいしかったなあ」 わたしが小学生のころ、土曜日のお昼過ぎによく交わされていた会話だ。 平日の月曜日から金曜日まで、小学校では給食が提供されていたのだけれど、土曜日は12時頃までの授業で終了し、お昼ごはんは自宅で食べることになっていた。 学校から走って帰って、息を切らせながらテレビをつける。土曜日のお昼は吉本新喜劇を見ながらお昼ごはんを食べるのが常だった。 母親が準備してくれていたお昼ごはんのレパートリーはいくつかあったけれど、俄然しょうゆチャー

結婚したい、その理由|エッセイ

 「20代のうちに結婚したい」私はここ2年ほどそう言い続けているし、実際にそう思い続けている。  果たしてなぜ、そこまで20代での結婚に執着するのだろうかとふと考えた。今時、30過ぎての結婚なんて珍しい話ではないし、そもそも結婚しないという選択をする人も少なくない。なぜ、私はそれではだめなのか。 理由1 ひとりぼっちになるのはいやだ そのままである。家族はいつかいなくなる。友人であっても、人生の伴侶として共に家庭を築くことのできる人はいないだろう。  「家庭」という帰る場所