マガジンのカバー画像

何度でも読み返したいnote1

98
何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 100作品たまったので、何度でも読み返したいnote2を作りました。
運営しているクリエイター

2021年12月の記事一覧

思い出の欠片を作ること。

子どもの頃の楽しかった記憶は大人になっても結構しっかりと残っているもので、だからこそ自分の子どもにも、たくさんの思い出の欠片を残してあげたいと昔から思っていた。 妊娠してからその思いはさらに強くなり、今年は数十年ぶりに実家の母と味噌作りをすることにした。 毎年冬になると味噌を仕込んでいた母。私はその光景も、ホクホクに煮上がった大豆のふくよかな香りもよく覚えている。大豆を小皿にわけてもらって母のそばでつまみ食いをするのが大好きだった。寒い冬の、温かい記憶だ。 だけどいつか

素敵な「文化的雪かき」

昨晩、ようやくトンネルの向こうに一筋の光が見えた。 出口はもうすぐだ。 今月は出張や取材が多く、次から次へと仕事が来るものだから、土日も関係なくひたすら仕事をしていた。 そして22日の今日になっても、まだ年内に4件取材が残っているという状況。ちょっと震える……。 だが、それでも今日を乗り切れば、「なんとか28日中には仕事を終えられる!」というところまでこぎつけた。ようやくだ。 私はしがない商業ライターなので、仕事はいつもやりがいのあるものばかりじゃない。新聞や雑誌に記名入

高気密高断熱の。

父が60歳になり定年退職した。 一大事だ。 一大事? 定年まで勤めあげてめでたいじゃない、お父さんお疲れさま~。とお思いになるかもしれないが、こちらにはのほほんとはしていられない事情がある。 退職祝いの宴である。 退職する人間が自ら会場を借り同僚後輩知人親戚をもてなす。 父の職場の独特な慣習だ。 この宴は、縁故のあるひとたちに「3月〇日にどこそこで退職祝いをやります」とだけ伝えておき、来たいひとが来れる時間にきて好きに帰っていくというシステムになっている。 なので

40.かすかに感じた淡い春

今日、クリスマスイブを迎え、いよいよ週末明けると年末ムードが色濃くなり、なんとなく忙しない、そわそわ焦ったような気持ちになる。毎年繰り返されることなのに、ちゃんと毎年そわそわする。特に小さい頃、新しい年を迎えることは、まったく新しい世界に飛び込むような、大晦日にはそんな壮大な気持ちになっていた。それを繰り返すうちに、大晦日も元日も、ついに日常の延長であることを実感しながら、それでも大人になった今、新しい年を迎えることというのは、なんとなく背筋が伸びるのだ。 先日、冬至を迎え

手前味噌に、彼のくれた恋文のこと

彼から恋文をもらった。 彼から手紙をもらうのは、実は2度目だ。 前回は中学3年生、卒業記念に同級生へ手紙を書く企画でもらった、感謝の手紙。 今回、15年ぶりにもらった手紙は、来週にひかえた私の30歳に誕生日に寄せたもの。 ハガキでも便箋でもカードでもない 縦書き明朝体、B5サイズ コンビニで印刷、自分で製本した、 手作り小冊子の恋文だった。 *** M-1の決勝は、本格的に年末に突入するためのスイッチのようなものだ。 世間ではクリスマス、大晦日、年越し。私にとっては

小学1年生の“幸福論”

「あ〜あ、昨日はなんにもいい事なかったなぁ」 今朝、起きて早々、5才の息子が言う。 昨日。 朝はおしゃべりが止まらなくて、幼稚園に行く時間になって、朝食のお皿を下げられた。夜は娘が本を読んでいて、一緒に遊んでもらえなかった。そんなことが続いた一日を振り返っての発言だった。 私は言う。 「それは残念だったね」 おざなりな声のかけ方で、息子はムッとしている。 息子は、最近こういうことをよく言う。 「今日一日、楽しいことなかったなぁ」なんて。たぶん構って欲しいんだけど、毎回

人生7周目らしい私と、30周目くらいの彼。

会うと不思議な気持ちになる人がいる。 彼とは昔共通の友人を通じて知り合った。 10才以上年上の彼は、映像やデザインの仕事をしていて、音楽でもプレイヤーとして活躍する、字面だけで書くととてもキラキラした世界の人だ。 でも実際は、キラキラしたオーラはいい意味であまりなく、見かけると気軽に話しかけてくれたり、ずっと昔から知っている関係の深い友人のようにふいっと芯をついた話をふってきたりする。 真剣な話をしても圧迫感のような重い雰囲気はなく、心地よく流れる音楽のようにゆらゆらと

あの日わたしは、サンタになりきれなかった。

「うちんち、サンタさん遅れて来るねんて!」 クラスの子どもたちが、休み時間に何人かでわたしの机の周りに集まり、クリスマスにサンタから何をもらうかの話をしている時だった。 当時担任を受けもっていた、Nちゃんが笑いながら、さらっとそう言った。 「え〜クリスマスに来えへんのー?へんなのー!」 とそれを聞いて、横にいたSちゃんが不思議そうな顔をする。 「待つ楽しみが、大きくなっていいやん! ねえ、Nちゃん!」 わたしは、丸つけから顔をあげ、笑ってそう言った。が、内心ぎゅっと

平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった

この文章は、ツムラ#OneMoreChoiceがnoteで開催する「 #我慢に代わる私の選択肢 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。 数年前にできたのであろう、白を基調とした清潔感たっぷりのトイレで、私は泣いていた。なるべく息が漏れないように、歯を食いしばり、顔を手で覆いながら涙が止むまでじっと耐える。めんどくさいヤツだと思われるだろうが、小学生の時からたまにトイレに閉じこもって泣いてきた。公の場で突然目頭がカッと熱くなったとき、私は我慢ができない

ゾウは自分の意思で虹をかける

「自分の意思で虹をかけるのって、人間とゾウだけなんだよ」 ある日、不意に話しかけられた内容は、妙にファンタジックだった。 彼は、言いながら黙々とゾウの絵を描いている。 「え、そうなの?クジラは?クジラも虹出すんじゃない?」 私は、思いついて、意地悪く否定する。 「クジラはさ、たまたま潮を吹いた時に虹がかかるんだ。でも、ゾウは、虹を出そうと思って水を撒くんだよ。それって、同じ虹でも、大分違う」 ゾウって虹がみえてるの? そう言うのはやめた。 彼の描く絵のゾウが、虹を作

その仕事を続けられる理由は何ですか?

気がつけば、随分たくさんの人を取材してきた。 今月に入ってからも、すでに名古屋、神奈川、佐賀と出張取材に行き、メーカーや酒蔵、飲食店の社長さんたちに話を聞いた。 今月取材した人たちはなぜかみんな「おしゃべり」で、毎回インタビューに3時間以上かかった。これを一体どうやって記事にまとめたらよいものやらと、今は頭を抱えている。 長時間話を聞いた人のことは年月が経っても記憶に残るが、短い取材でも深く印象に残っている人もいる。 今でもよく思い出すのは、20年以上前、関東一円にチェー

地図は雰囲気で読むタイプ

私は地図がうまく読めない いやちゃんと読んではいるんだ 駅を降りてコンビニを目印にその先を右に… あっと言う間に地図に載っていない道へ出る 不思議だ、ワープしたとしか考えられない さっきまで無かった道が急に出現したり 看板が変わっていたり通せんぼするように壁が現れる 誰かが私が歩く道を先々に瞬時にいじくってやがる そう思うことがよくある 「またやってるな」 といたずらをする誰かによく言う 私も馬鹿では無いから克服しようと調べたこともある 平面で見るのでは無く立体的に

夜のキッチンで、ワインを一杯

もうずっと、平日の夫は帰りが遅い。 月に数回、今日みたいに出張の日もある。 夜。怒涛の一日をなんとか乗り越え、息子を寝かしつけて、しんとしたリビングに戻った瞬間。私はいつも、その散らかり様に呆然とする。 絵本、積み木、人形や、ボールや、ありとあらゆるオモチャというオモチャが、部屋中に、というか廊下や洗面所や玄関にまで、飛び散っているのだ。 棚にあったはずの本や書類はぽいぽいと放り出され、サプリや薬をまとめているプラスチックケースは丸ごと床にぶちまけられている。 缶詰た

井の頭公園でボートに乗りながら「今の自分」について考える。

とある週末の話。 地元に帰ってしまった大学時代の友人が出張がてら東京に来ているとのことで、かなり久しぶりに何人かで集まって食事をした。 食事をしたなんて綺麗に言っているが、学生時代によくアホのように飲んでいたメンツ、いわゆる飲み会である。 皆仕事終わりで集まったのが遅かった上、ここしばらく夜遅くまで人と思う存分飲むなんてことはできなかった世の中。 それがやっといつも通りに戻り始めてきて、数年ぶりに再会し積もる話に華を咲かせていたら、いつの間にか皆、終電を逃してしまっていた。