噺のついで

落語についての記事をアップしていきます。

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一、猫の災難 小三治

口をすぼめてやにわに茶をすすると、紐を解いて羽織を落とし、肩を上げて大袈裟にふうっとため息を吐いた。客席がどっと沸く。いかにも世知辛い世の中をぼやきそうな風情。「マクラの小三治」の口から今日はいったいどんな話題が飛び出すのだろう。固唾を飲んで高座を見守る。 「あー、酒が呑みてえ。」 語り出したのは、しかし柳家小三治ではなかった。より正確には、もう小三治ではなかったのだが、客には高座で独り言ちているのが小三治なのか、それとも噺の登場人物なのか、未だ判然としなかった。

    • 平成23年7月30日

      東日本大震災のあった平成23年、落語協会では復興支援寄席が行われていました。 そのうちの1回7月30日に池袋演芸場において『柳家小三治・入船亭扇橋二人会』が行われました。 それから2週間ほど後に脳梗塞で扇橋師匠は倒れ、今も療養生活中です。 この7月30日の高座が倒れる前の最後の高座となっています。 その数年前から、噺がループしたり、抜け落ちてしまったりといったことがあり、声も小さくなっていたのは確かですが、存在感がすばらしく、小三治師匠の映画でも「助演男優賞」とでもいうべき活

      • 『とある落語愛好家の一日』 一度落語を生で聴いてみたい。でもどこで?どうやって?...といった声をよく耳にします。そんな方々の参考になれば。フィクションの体裁で書かれていますが、その99%は実際の情報に基づきます。

        • とある落語愛好家の一日

          瞳は目を覚ました。これは永遠の休暇の始まりだろうか。枕もとの赤い目覚まし時計に視線を向ける。その刹那、短針がローマ数字Ⅶを指す。けたたましいベルの音が家中に鳴り響く...と思われたが、瞳の腕は自由形の水泳選手がプールの壁面にタッチするようななめらかな動きで上部中央のボタンを押し込み、両脇に鎮座する猫の耳に似た銀鐘の振動をたった1度しか許さない。 「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ...」 落語『寿限無』に登場する名を続けざま5度唱えるのが瞳の朝の日課である。いつも

        一、猫の災難 小三治

        • 平成23年7月30日

        • 『とある落語愛好家の一日』 一度落語を生で聴いてみたい。でもどこで?どうやって?...といった声をよく耳にします。そんな方々の参考になれば。フィクションの体裁で書かれていますが、その99%は実際の情報に基づきます。

        • とある落語愛好家の一日

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        • トーリスガリーの記事
          2本
        • マユコの記事
          1本
        • 佐藤瞳の記事
          1本
        • 水田隆の記事
          9本

        記事

          一、庖丁 一朝

          噺家を評するに「軽さ」ほど両義的な言葉はない。落語という芸が聴衆に与える印象の軽重は、芝居、とりわけ感情表現のレアリズムへの力点の置き方に拠っている。寄席の客はしばしば、泣き過ぎることを嫌う。一方で、人情を排した型の美しさへの拘泥は薄っぺらい芸術家気取りと揶揄される危険性を孕んでいる。了見をしっかりと感じさせながら、しかしそれぞれの人物に入れ込み過ぎて噺全体のバランスを崩すことのないように。適度な軽さを高座に纏わせることが出来るのは、的確に人物を演じ分け配置していくドライな編

          一、庖丁 一朝

          一、たらちね 小里ん

          見るたび印象に残るのは、その端正な座り姿である。どこも力んだところがなく、ただすとんと座布団に乗っている。しかし、高座の下に根を張り巡らせてでもいるのか、些細なことでは毫も揺らぎそうにない。 柳家小里んの高座での姿勢は、師匠である五代目柳家小さんを彷彿させる。映像や写真のなかにかつての名人の姿を追えば、肩からの線がなだらかに床へと流れ落ち、まるで生まれた瞬間からずっと高座に住まっているかのよう。舞台に溶け込んで、いかにも自然体である。 とはいえ、滑稽噺を得意とする

          一、たらちね 小里ん

          一、船越くん 百栄

          油断してはいけない。銃弾は常に視界の外から飛んでくる。高座は戦場だ。いま客席右手後方を引き裂いた女のヒステリックな叫びは、笑い声ではなく断末魔なのだ。 春風亭百栄の噺の多くはメタフィクションとして構成されている。とはいえ、新作落語において外からの視点が介入するのはさして珍しいことではない。当たり前のものとして受け入れられてきた枠組みを次々と逸脱していくなかで語りを駆動するのは、新作落語の主要な特徴の一つでさえある。 一般的なイメージが強く固まっている対象ほど、逸脱

          一、船越くん 百栄

          一、禁酒番屋 馬風

          落語協会最高顧問の鈴々舎馬風師匠というと、一般的には柳家かゑる時代のキックボクシングの司会、テレビ東京でのハリセン大魔王、そして何と言っても名作「会長への道」というイメージかと思います。 かつて、誰も会長になるとは思っていなかったころに、放送で「会長への道」を聴いて大爆笑した記憶が私にもあります。 先輩落語家を、「もう長くない」「糖尿だから」とか「そろそろうれしい知らせが・・・。」と言ってみんな殺してしまうようなすごい内容でした。 小さん師匠もよく許していたと思います。 それ

          一、禁酒番屋 馬風

          一、猫の災難 文左衛門

          隣家より猫見舞いの鯛の残りが舞い込んだことから、熊のもとでひと騒動持ち上がる。落語らしい、いかにも他愛ない噺。休みの日に一緒に酒を呑もうとやってくる兄貴分と熊の気のおけない関係がなんとも可笑しい。 初天神や時そばなど、お馴染みの演目のなかには食の所作を観客が心待ちにしているものが多い。なかでも酒の噺は、そこにさらに酔っていく演技が加わり噺家としては腕の見せ所。猫の災難も、兄貴分が買ってきてくれた酒を味見のつもりでとうとう一升瓶まるまる空けてしまうことになる熊の呑みっぷりが、

          一、猫の災難 文左衛門

          一、風邪うどん あさ吉

          あさ吉さんの高座を聴くのは今回で2度目。彼は桂吉朝師の総領弟子で、笛も得意とし、若手を集め講習会を開催している。 去年の夏に動楽亭で初めて見た時、上品な所作とよく通る明るい声、謙虚で物腰の柔らかい口調に惹かれ、今回再び大阪へ高座を聴きに行った。 マクラでは趣味の料理の話をよくする。今回もポトフをざこば師匠宅に作りに行かねばならない話や浅漬けのコツなどを楽しそうに話していた。 * 「そ~いや〜〜ぅ~。そ~いや〜〜ぅ~」といううどん屋の掛け声からこの噺は始まる。 いつものよ

          一、風邪うどん あさ吉

          一、甲府ぃ 扇辰

          7月12日土曜日、鈴本演芸場夜の部、入船亭扇辰主任。 TBS『落語研究会』( http://www.tbs.co.jp/rakuken/ )で扇辰師の「甲府ぃ」に心をうばわれて以来、一度は生で聴きたいと思いつづけてきたその願いが、夏の盛りを迎えようとしている上野・鈴本演芸場で叶うこととなった。 「甲府ぃ」は立身出世をめざして江戸へ出てきた青年・善吉と、縁あって彼を雇い入れることになった豆腐屋一家とのかかわりを描いた人情噺だ。端麗なる芸を身上とする扇辰師がひとたびこの噺を高座に

          一、甲府ぃ 扇辰

          一、死神 小三治

          死神。柳家小三治の十八番の一つ。どうやらグリム童話『死神の名付け親』を三遊亭圓朝が輸入翻案したものらしい。圓朝といえば『牡丹灯籠』や『真景累ヶ淵』などの怪談が有名だが、この噺に登場する死神にじっとりとした日本的な怖さはない。しかし、怪談をベースにした滑稽噺とも違う。そもそも始まりからどうも妙なのだ。仕事もせずどうしようもない夫を妻が家から叩き出す、まるで芝浜のような語り出し。ところが、いわゆる人情噺のような展開にもならず、家を出た主人公はただふらふらと死に場所を探すばかり。木

          一、死神 小三治

          一、蜘蛛駕籠 三三

          蜘蛛駕籠。三代目小さんにより上方から東京に輸入された一席。次々訪れる身勝手な客たちに良いように翻弄されてしまう、二人組の雲助(人足)のドタバタぶりが可笑しい。冬の寄席でお馴染みのうどん屋などと同様の展開で、酔っぱらいの客が同じ話を何度も繰り返すくだりなど、共通した趣向も見られる。今回初めて柳家三三の高座で聴いて、その構成の見事さにあらためて驚かされた。 如才ない兄貴分と、どこまでも抜けている新入りの弟分。この二人の雲(/蜘蛛)助の関係性が、噺を貫く縦糸を紡ぎ出す。そこに様々

          一、蜘蛛駕籠 三三

          一、青菜 小三治

          柳家小三治主任、六月下席夜の部、千秋楽。平日月曜日にも関わらず、仲入りには二階席まで満杯となった。 独特の親密な空気が末廣亭を満たし始める。小三治の興行はいつもそうだ。往年の落語ファンも、知人に誘われ初めて寄席を訪れた人も、そこにいる誰もがその噺家の登場を心待ちにして、どこかそわそわとしている。いつもと同じ、でも特別。そうした客席と高座との絶妙な距離感こそ、名人なるもののひとつの条件なのではなかろうか。 いつものように三味線が「二上りカッコ」を鳴らし、いつもの楽屋の声に送

          一、青菜 小三治