一、猫の災難 小三治

口をすぼめてやにわに茶をすすると、紐を解いて羽織を落とし、肩を上げて大袈裟にふうっとため息を吐いた。客席がどっと沸く。いかにも世知辛い世の中をぼやきそうな風情。「マクラの小三治」の口から今日はいったいどんな話題が飛び出すのだろう。固唾を飲んで高座を見守る。

「あー、酒が呑みてえ。」

語り出したのは、しかし柳家小三治ではなかった。より正確には、もう小三治ではなかったのだが、客には高座で独り言ちているのが小三治なのか、それとも噺の登場人物なのか、未だ判然としなかった。虚を衝かれた戸惑いのなか、『猫の災難』が始まる。

台詞に含みを持たせるためというにはやや長過ぎる間と、回収されぬままの伏線。熊五郎と兄貴分の遣り取りは、どちらかといえばたどたどしい印象だった。しかし酒の件になって、浅草演芸ホールの空気が一変する。橘家文左衛門の語った同じ場面について、以前「愛すべき酔っ払いが本当に高座に息づいているとしか思えない」と書いた。一方小三治の高座では、酔いが深まるにつれ歪みを増していく酒呑みの目に映った景色を、客が自身で目の当たりにすることとなる。もちろん舞台上で小三治が演じているのは他ならぬ熊五郎の姿なのだが、熊五郎の脳内で展開されている位相の変化した世界がまるまる立ち現れたかのように錯覚されるのだ。

熊五郎と視線を共有するなかで、当初の戸惑いは新たな世界のルールを発見していく喜びへと変わる。混迷を極める熊五郎の一挙手一投足に、その都度新鮮な笑いが客席を包む。小三治が飄々と投げ出していく他愛ない台詞や所作の一体なにがこんなにも可笑しいのか。唐突に『不思議の国のアリス』が頭をよぎった。次々と訪れる不条理な状況に戸惑い、それでも颯爽と不思議の国を駆け抜ける勇敢なアリス。彼女はただ数奇な運命に翻弄されるだけのヒロインではなく、徐々に異世界に適応し、やがてはその秩序を飼い慣らす侵略者としての側面を持つ。そんなアリスを媒介として、読者は不思議の国との共犯関係を築き上げる。噺家が纏ういわく言い難い可笑しみ、フラもまた、客席との共犯関係から生まれるものなのである。

サゲの台詞に現実へと意識が戻る。追い出し太鼓が鳴り始めた。幕が完全に降り切るまでずっと、小三治は手をついて客の顔を一つずつじっくりと順番に窺っていた。噺がそれぞれの客のなかにどんなふうに浸透したのか、瞳の奥を覗き込んで確かめようとしているように見えた。昨年齢七十五を迎えた人間国宝の眼差しは、まるで少年のようだ。

(文/水田隆 2015/5/9 「五月上席夜の部」@浅草演芸ホール)

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