平成23年7月30日

東日本大震災のあった平成23年、落語協会では復興支援寄席が行われていました。
そのうちの1回7月30日に池袋演芸場において『柳家小三治・入船亭扇橋二人会』が行われました。
それから2週間ほど後に脳梗塞で扇橋師匠は倒れ、今も療養生活中です。
この7月30日の高座が倒れる前の最後の高座となっています。
その数年前から、噺がループしたり、抜け落ちてしまったりといったことがあり、声も小さくなっていたのは確かですが、存在感がすばらしく、小三治師匠の映画でも「助演男優賞」とでもいうべき活躍でした。
二人旅の最後で、「どうして」を唄ったり、道具屋で「タコの唄」を唄ったり、自由な芸の域に到達していたというのは、言い過ぎかもしれませんけど。
 
『どうして』(和田誠作詞)
空はどうして青いの?
海の色が映るの。
海はどうして広いの?
魚がたくさん泳ぐから。
魚はどうして跳ねるの?
雲を近くで見たいから。
雲はどうして白いの?
カモメの好きな色だから。
カモメはどうして飛ぶの?
虹を渡ってみたいから。
虹はどうしてきれいなの?
坊やが空に描いたから。
 
『タコの唄』(湖畔の宿の替え歌)
昨日生まれたタコの子が
タマにあたって名誉の戦死
タコの遺骨はいつ帰る
骨がないから帰れない
タコの母ちゃん悲しかろ
 
いきなり、これを唄って、おしまい、というのはびっくりしましたけど、他の人にはできない技でしょう。
 
昭和40年代の落語協会で圓生会長が認めた真打ちは3人しかおらず、今の圓窓師、小三治師、扇橋師の3人だけ。
(これが後の落語協会分裂騒動へ影響するわけですが・・・。)
寄席が似合い、俳句の宗匠としての一面もあり、島倉千代子さんの大ファンでもありました。
人間国宝が二人(米朝・小三治)もいる俳句会の宗匠なんて、ほかにいないんじゃないでしょうか。
 
そんな4年前の7月30日の思い出です。
 
当日は、開演が11時半でしたが、用心して2時間前にいったら、既に立ち見で札止め寸前でした。
整理券が配られましたので、同じビルの2階喫茶店に行き、待っていたのですが、お弟子さんたちに支えられてその喫茶店に扇橋師匠が到着しました。
煙草を吸っていたように見えましたので、まあ、高座は大丈夫だろうと勝手に思いながら、先に客席へ移動しておりました。
 
最初に実行委員長の圓丈師匠から、挨拶。何でも、朝の五時半から並んだ人がいたそうです。 
次いで小袁治師匠はサクッと「夏泥」。 
そして扇橋師匠は転倒して脚を痛めたのに夏バテが加わって、扇遊・扇治の両師匠に支えられて盛大な拍手の中登場。声もさらに弱々しくなっていました。 
そんな中、「心眼」が始まりました。黒門町の文楽師匠に習ったというネタです。
正直いうと、無理せず挨拶だけでも構わないと思う登場の仕方でしたので、心配になりました。
小三治師匠との会だから、無理して出てきたのかなとも思いました。
場内は扇橋師匠の言葉を聴き逃すまいと、みんな聞き入ってました。 
未だかつて、あれだけ場内が一つになっていた高座というのは、経験していません。
もちろん、携帯電話が鳴ることもなく、ビニール袋のガサガサもなく、話の筋を大声で説明する迷惑客もいません。
噺も破綻することなく、淡々と進んでいきました。
終わったときには、大拍手でしたが、まさか、程なく倒れてしまうとは・・・。
 
次に登場した小三治師匠も想像以上の状態で驚いたみたいで、マクラで触れていました。今日のお礼や今の日本についてなど、硬派なマクラが20分以上で「小言念仏」へ。 
小三治師匠を引き立てる扇橋師匠という感じの二人ですが、この日については、間違いなく扇橋師匠が主役だったと言えるし、あの高座は忘れることが出来ません。 

三遊亭圓丈 挨拶 
柳家小袁治 夏泥 
入船亭扇橋 心眼 
柳家小三治 小言念仏 

今回は思い出の高座について、書いてみました。

(文/トーリスガリー 2011/7/30 落語協会復興支援寄席「柳家小三治・入船亭扇橋二人会」@池袋演芸場)

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