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水田隆の記事

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記事一覧

一、猫の災難 小三治

口をすぼめてやにわに茶をすすると、紐を解いて羽織を落とし、肩を上げて大袈裟にふうっとため息を吐いた。客席がどっと沸く。いかにも世知辛い世の中をぼやきそうな風情。「マクラの小三治」の口から今日はいったいどんな話題が飛び出すのだろう。固唾を飲んで高座を見守る。

「あー、酒が呑みてえ。」

語り出したのは、しかし柳家小三治ではなかった。より正確には、もう小三治ではなかったのだが、客には高座で独

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とある落語愛好家の一日

瞳は目を覚ました。これは永遠の休暇の始まりだろうか。枕もとの赤い目覚まし時計に視線を向ける。その刹那、短針がローマ数字Ⅶを指す。けたたましいベルの音が家中に鳴り響く...と思われたが、瞳の腕は自由形の水泳選手がプールの壁面にタッチするようななめらかな動きで上部中央のボタンを押し込み、両脇に鎮座する猫の耳に似た銀鐘の振動をたった1度しか許さない。

「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ...」

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一、庖丁 一朝

噺家を評するに「軽さ」ほど両義的な言葉はない。落語という芸が聴衆に与える印象の軽重は、芝居、とりわけ感情表現のレアリズムへの力点の置き方に拠っている。寄席の客はしばしば、泣き過ぎることを嫌う。一方で、人情を排した型の美しさへの拘泥は薄っぺらい芸術家気取りと揶揄される危険性を孕んでいる。了見をしっかりと感じさせながら、しかしそれぞれの人物に入れ込み過ぎて噺全体のバランスを崩すことのないように。適度な

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一、たらちね 小里ん

見るたび印象に残るのは、その端正な座り姿である。どこも力んだところがなく、ただすとんと座布団に乗っている。しかし、高座の下に根を張り巡らせてでもいるのか、些細なことでは毫も揺らぎそうにない。

柳家小里んの高座での姿勢は、師匠である五代目柳家小さんを彷彿させる。映像や写真のなかにかつての名人の姿を追えば、肩からの線がなだらかに床へと流れ落ち、まるで生まれた瞬間からずっと高座に住まっているかのよ

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一、船越くん 百栄

油断してはいけない。銃弾は常に視界の外から飛んでくる。高座は戦場だ。いま客席右手後方を引き裂いた女のヒステリックな叫びは、笑い声ではなく断末魔なのだ。

春風亭百栄の噺の多くはメタフィクションとして構成されている。とはいえ、新作落語において外からの視点が介入するのはさして珍しいことではない。当たり前のものとして受け入れられてきた枠組みを次々と逸脱していくなかで語りを駆動するのは、新作落語の主要

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一、猫の災難 文左衛門

隣家より猫見舞いの鯛の残りが舞い込んだことから、熊のもとでひと騒動持ち上がる。落語らしい、いかにも他愛ない噺。休みの日に一緒に酒を呑もうとやってくる兄貴分と熊の気のおけない関係がなんとも可笑しい。

初天神や時そばなど、お馴染みの演目のなかには食の所作を観客が心待ちにしているものが多い。なかでも酒の噺は、そこにさらに酔っていく演技が加わり噺家としては腕の見せ所。猫の災難も、兄貴分が買ってきてくれた

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一、死神 小三治

死神。柳家小三治の十八番の一つ。どうやらグリム童話『死神の名付け親』を三遊亭圓朝が輸入翻案したものらしい。圓朝といえば『牡丹灯籠』や『真景累ヶ淵』などの怪談が有名だが、この噺に登場する死神にじっとりとした日本的な怖さはない。しかし、怪談をベースにした滑稽噺とも違う。そもそも始まりからどうも妙なのだ。仕事もせずどうしようもない夫を妻が家から叩き出す、まるで芝浜のような語り出し。ところが、いわゆる人情

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一、蜘蛛駕籠 三三

蜘蛛駕籠。三代目小さんにより上方から東京に輸入された一席。次々訪れる身勝手な客たちに良いように翻弄されてしまう、二人組の雲助(人足)のドタバタぶりが可笑しい。冬の寄席でお馴染みのうどん屋などと同様の展開で、酔っぱらいの客が同じ話を何度も繰り返すくだりなど、共通した趣向も見られる。今回初めて柳家三三の高座で聴いて、その構成の見事さにあらためて驚かされた。

如才ない兄貴分と、どこまでも抜けている新入

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一、青菜 小三治

柳家小三治主任、六月下席夜の部、千秋楽。平日月曜日にも関わらず、仲入りには二階席まで満杯となった。

独特の親密な空気が末廣亭を満たし始める。小三治の興行はいつもそうだ。往年の落語ファンも、知人に誘われ初めて寄席を訪れた人も、そこにいる誰もがその噺家の登場を心待ちにして、どこかそわそわとしている。いつもと同じ、でも特別。そうした客席と高座との絶妙な距離感こそ、名人なるもののひとつの条件なのではなか

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