見出し画像

発達障害でも良いところはある話。

私は大人になってから発達障害であると診断された人間である。

幼いころから周囲となじめず、社会人になってからも仕事のミスが増えて、周囲との関係がギスギスしていた。
職場で先輩が「ああ、私達仕事柄そういう子にも会うけど、あなたもしかするとそっち側かもね」と軽い気持ちで言った言葉が今でも棘として残り続けている。
ミスは許されないような環境、陰口を言われるような世界。
気が付けば私は精神を病むようになり、精神科の扉を叩くこととなった。

そして最初にも述べた通り「ASD,ADHD」の併発型発達障害と診断された。

その時にドクターからは「上手くいかないことがあれば障害のせいにしてもいいからね」と言われた。
だが自分はどんなに頑張っていても”普通”の人間にはなれないのか、と絶望して生きる価値すら見いだせなくなってしまうことが何カ月も続いた。
今まで人生が上手くいかないのは、生まれつきこの特性を持っていたからか。
どんなに周りと仲良くしたくても、自分がミスをして上手くコミュニケーションを取れなくなるから結局はそのコミュニティーから外されてしまう。

ならば何故私は存在しているのだろう。生きているだけで迷惑をかけてしまうくらいならば、いっそのこと消えてしまえばよかった。

生まれ変わる地へ。

数カ月の月日が流れ、私は突然人事異動を出されることとなった。
人数調整や必要な資格を偶然私が持っていたことが最大の決め手だったらしい。
まあ差詰めその職場ではあまり使えなかったから、別の場所に引っ越しせざる得ない状況だったのだろう。

そんなこともあり私は次の職場に何も期待をしていなかった。どうせまた何もできずに爪はじきにされてしまう。私に残されていた感情はただただ恐怖だった。
前の職場の方には「発達障害」の診断のことを伝えられずに立ち去ることとなった。

環境が大きく変わること、私はここでなじめないかもしれないという不安もありつつも、新しい職場の門をたたいた。
だが私の考えに反して職場の先輩たちは温かかった。
・ミスをしたり、何か忘れたら他の人がカバーをして後で埋め合わせをすればいい。誰だってミスをしない人間なんていない。
・誰でもわかるマニュアルがあれば、混乱しないで一日の手順が分かるようになると考えて、膨大な量のデータをまとめてくれた。
・経験不足の私にも気にかけたり、愛情たっぷりの言葉を伝えてくれた。
これだけでは足りないくらい温かいエピソードは星の数ほどある。
なじみにくい私に手を引っ張り、輪の中に一生懸命入れてくれた先輩たちの愛に徐々に心が穏やかになってくるのを感じた。

だが私は発達障害のことをまだ職場に伝えていなかった。

伝えたらきっと今度こそこの場所にいられなくなってしまうかもしれないと悩んでしまっていた。
しかし伝えなければ伝えなかったで、何かあった後に「発達障害でした」なんて言えるわけがない。
頭を抱え続けた結果、私は正直に自分の持っている特性について語ることにした。

その時の状況はよく覚えている。リーダーとふたりきり、重苦しい空気が流れていた。こんな私を雇ってもいいのか、責任を持たせてしまっても良いのか。ありとあらゆる気持ちや不安を伝えてみた。
するとリーダーは私にこう伝えてきた。

「みんなにも共有しておこうね。困った時に助けてくれるし、お互い様だからね。それと、発達障害だから何もできないじゃなくて、良いところにいるといつか見えない才能が見えてくるんだよ」

私は最初何のことを言ってるのか分からなかった。
それなりの時間生きていても、障害を活かすことができなくて周りに迷惑をかけた自分に才能がある?あまりにも楽観的過ぎではないか。
私はそんなことは無いと反論したくなったが先輩は言葉を続けた。

「あなたは純粋で一瞬の世界にこだわれる人なんだ。だからその時見たものをそのままきれいに表現することができる。そして相手の良いところを伝えて伸ばす力があるの。あと少し待っててごらん。それが分かるから」

その話だけをして私のカミングアウトは終わった。
私の特性は、純粋でこだわりがある?これが一体何の役に立つというのか分からなかったが、リーダーの言葉を信じて時が来るまで待つことにした。

キミの才能は。

カミングアウトからさらに数カ月が過ぎ、いつものようにミスをしながらも仕事に取り組んでいた。
そのころには先輩の姿を参考にスケジュール帳やメモを取るようにして、いつものルーティンをほぼ間違えることは無くなるようになってきた。
そんなある日リーダーから私は呼び出されることとなった。一体何のことだろう、何かしてしまったのだろうか。内心穏やかではなかった。
心臓が激しく高鳴る中私は話を聞くことにした。するとリーダーから

「おめでとう、あなたは今月の最優秀文章賞を取ったのよ」

と一言言われた。私は驚いてしまった。この賞は数多くの社員の中で、心に響くような文章を人に送れた時にしかもらえない貴重なものであった。
「この文章からは、子ども達の一瞬の様子を純粋な目線から見て、それを文章に上手くまとめることができたからこの賞を取れたのよ」
そう伝えるとリーダーは私に向けた多くのコメントを見せてくれた。
文から伝わる躍動感、丁寧な様子、楽しそうな日々…そんな言葉が多く届けられていた。
気が付かなかった。これが私の持っていた才能だったんだ。
いつもならば、こだわることも、深く考えないで表面上でしか見られない自分の力を嫌って直そうとばかりしていたのに。
自分の嫌だと思っていた短所が、気が付かずに人の心を動かすことのできる長所になるんだって。
あまりの嬉しさに涙が出てしまった。私のことをしっかり見てくれる人たちがいたんだと。
このエピソードの後にも、読んでいただいた保護者からは
「子どもの見えないところを文章にしてくれてありがとう。家族で見ています」と言われることが多くなってきた。
私は誰かに文章で言葉を伝えて幸せな気持ちにできていたのだと。

この出来事以降、私の特性を忌み嫌うのではなく向き合うようにしてみた。
今までは特性があったから失うものばかりで、良いところなんて何もなかったと、不貞腐れるだけの日々を送ってみた。
だけど自分の受け入れてくれる世界が見つかるだけで、ここまで伸ばすことのできる才能にも変えられるようになるんだって。

発達障害は可能性を狭められるんじゃない。むしろ特化すれば能力は最大まで伸ばすカギにもなるんだ。
無理に潰さなくても良い。それが私の自慢の特性なんだ。
大丈夫、きっと大丈夫。
新しい可能性を信じてまた歩いてみるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?