渡会ななせ

どこかにいる人。 トラブル体質でよく事件に巻き込まれているけれど、何とか生きています。…

渡会ななせ

どこかにいる人。 トラブル体質でよく事件に巻き込まれているけれど、何とか生きています。 人生は流れるようにしかならない。 そんな日々の出来事や思い出を書いていきます。

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ぼちぼち生きてみる。

私には叶えたい夢がいくつもある。 しかしその中でも特に叶えたい夢は「ぼちぼち生きてみる」ということだ。 なんだ、簡単そうですぐにこんなものは目標達成できるじゃないか。そう思う人もいるのかもしれない。 しかし私にとってはとても難しい生き方であり、生涯を通じてでも叶えたいことなのだ。 そもそも去年、一昨年、そしてそこからかなり前で(悪い意味で)いろんな経験を積み重ねることができてきた。 そのおかげで、ときどき悪夢にうなされることや、動けなくなってしまうこと、そして白黒の考え方し

    • 友だちと向き合ってみようと思った日。

      私は友だちを簡単に作ることができる。 気さくで明るい、愛嬌があるという理由で私と仲良くしてくれる心優しい人たちだ。 だが、私はどことなく一歩的に壁を作ってしまい、最終的には自分からフェードアウトをしてしまうことが多かった。 理由は簡単。「どうせいつかいなくなってしまう。お別れが来るから。」というものだった。 今までの友達付き合いをしていると、とても仲良く遊んでいたのに、時間が経つにつれて、新しいコミュニティに夢中になって連絡をしても返ってこなくなってしまう、ささいなトラ

      • 生きてるだけで偉いんだ。

        私は俗にいう「つまらない人間」だ。 視野は狭く、面白いことを言えないから個性も目立たない。そして何よりも、場に合わないことをして浮いてしまうことが多い。 そんなことをしているから結局は特定のコミュニティーから最終的に抜けざる得ない状況になったり、知らないうちに知り合いと縁が切れてしまうことばかりだった。 人に合わせようとしても、結局他人軸に合わせてばかりで、「少しは自分で考えて、頭を使って動いたらどうなの?」と言われてしまう始末。 ただ生きているだけなのに、どうしてこん

        • 反面教師1

          私はどうも生まれつき「やばい人間」を集める体質があるらしい。 この間子どもを支える恋人からお墨付きで「人間性の死んだ教師、5段階でいうと1」と評価をされた先生が2人おり、1人目の方を供養がてら載せようと思う。 ちなみにこれは昭和の話ではなく、体罰の概念がしっかりして、法律もでき始めていた平成のエピソードだ。 この先生は私の小学校中学年の時の担任である。 年はまあお察しの通り、更年期に入っている方だった。 当時の私はお釈迦様ですら説法をすることに心が折れてしまうレベルで要領が

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        ぼちぼち生きてみる。

          愛で支配をしたかった元カレの話

          私は学生時代、一つ年下の男の子と付き合っていた時期があった。 以前Noteに登場していた彼の話をしようと思う。 出会ったきっかけはよく覚えていないが、出会った数日で付き合った。 まったく知らない相手ではあったが、言われたから付き合ったというなんとも浅はかな理由だった。 当時の私に一発助走をつけたドロップキックをかましたい。 彼はとても愛情が深く、優しくしてくれる素敵な人だった。 お互い些細なことでもやりとりをして、休みの日は一緒に出掛けるというありきたりな恋人関係を築いて

          愛で支配をしたかった元カレの話

          誰かの居場所を作りたい

          私は将来、誰かにとって居場所になるような「居場所カフェ」を作りたい。 居場所カフェの存在を知るきっかけになったのは、高校時代に子ども食堂のボランティアを体験したこと、そして大学時代にアパートの一室を借りて誰でも自由に過ごすことにできるカフェを見つけたことが始まりである。 発達障害を持っている私は幼いころから周囲から浮いた人生を歩んでいた。 独特の感性や世界観を持っており、思いついた時にはその行動を取ってしまうことで、大人から「問題児」、そして周りから「変なやつ」というレッ

          誰かの居場所を作りたい

          初めての一人旅で”自分”を見つけた話

          マイペースで人と合わせることが苦手な私は、ある日突然遠くへ逃げようと思いついた。 もちろんいろんな人といる時間は勉強にもなるし、自分の見えないものも見える良い機会だった。 でも、それでも自分は周りと何か歯車が合わないと苦しめられることがあった。周りは個性もあり、自立しているのに私だけ何もない。ただ私は漠然と「普通」になりたかった。 気が付けば私は住んでいるところよりも遠い、一人で気兼ねなく考えることのできる大阪の新幹線チケットと旅館を予約してしまった。 そんなこともあり私

          初めての一人旅で”自分”を見つけた話

          俳句で人生を彩りたい

          「せんせい」との出会いは何とも変わったものであった。 せんせいは辺境の村で小さな店を営んでいる老人である。 数年前、私は友人達と旅をしているときに、ふとせんせいに呼ばれてその店に立ち寄ったことがきっかけでささやかな交流が始まった。 せんせいはとても奇抜でロックな人であった。 彼は年をとっても若々しく、人生はハングリー精神で生きるものであると捉えて、常に新しいことに挑戦し続けては新しい世界を作るようなことを繰り返していた。人生経験の豊富ではない私にとって話のすべてが新しく、そ

          俳句で人生を彩りたい

          性別が違えば。

          愛って難しい。 上手くいって人生を添い遂げることもできれば、ボタンの掛け違いが起きてしまい、枯れてしまうこともある。 誰かを思い続けることは苦しいし、どうしてもかなわないと分かった時は、生きていることの意味を失ってしまうほどだ。 私は過去に心の底から愛した人がいた。 好きなタイプや性格もにその子のために近づけて、その子の気持ちを振り向かせようと一生懸命頑張っていたこともあった。 しかしその恋は実らなかった。手折られた飾りの花のように次々と枯れてはしぼんでいった。 だって

          性別が違えば。

          自分軸ノートの作り方

          友人からは再三「お前はイエスマンで、自分の意見を全く持っていないね」と指摘されることが多かった。 分かってはいたけれども、本当の自分と向き合うことへの不安、対人関係が壊れてしまう怖さに悩まされ続けてきた。 その結果相手のことしか考えずに、自分を大事にできない「自己犠牲」の存在になってしまった。 ある日ふとこの生き方をしていると、いつか自分が自分ではなくなってしまうような恐怖が全身に降り注いできた。 そんな私は最近他人軸から自分軸へ生きるための練習を始めるようにした。今日はその

          自分軸ノートの作り方

          拝啓 好きじゃないあなたへ。

          私の恋人へ。 私とあなたは出会って数年の時間を過ごしましたね。あなたはおそらくnoteをやっていないと思うので、ここに愚痴を書いておきたいと思います。 はっきり言いましょう。私は出会ったときからあなたのことは好きではありませんでした。 そもそもあなたとの出会いは、私が迷子になっていたところをひょんなタイミングで見つけて案内してくれて、その後にいろいろあって付き合いましたね。 あなたは私のことを「愛している」と真面目な顔で伝えてきたときは、何も考えずに返事をしました。 正直

          拝啓 好きじゃないあなたへ。

          発達障害でも良いところはある話。

          私は大人になってから発達障害であると診断された人間である。 幼いころから周囲となじめず、社会人になってからも仕事のミスが増えて、周囲との関係がギスギスしていた。 職場で先輩が「ああ、私達仕事柄そういう子にも会うけど、あなたもしかするとそっち側かもね」と軽い気持ちで言った言葉が今でも棘として残り続けている。 ミスは許されないような環境、陰口を言われるような世界。 気が付けば私は精神を病むようになり、精神科の扉を叩くこととなった。 そして最初にも述べた通り「ASD,ADHD」

          発達障害でも良いところはある話。

          自分をほめて大事にする生き方を探してみようかな。

          私が今年特に学ばなければならないこと―それは自分を大切にする方法を学ぶことであると言いたい。 まず私は過去の投稿を載せている内容から見てわかるように「自己肯定感」「自分を大切にする」ことに疎い。 周りが犠牲になるくらいならば自分がその役目を請け負って恨みを買えばいい。だから自分をいかに傷つけても全く気にしない。 どんなに褒めてもらっていても、いつかは裏切られる。そんなことならば素直に言葉を受け取らずに一人で生きていたほうがいい。 どんなに大事にしてくれる人がいたとしてもそ

          自分をほめて大事にする生き方を探してみようかな。

          大事な人を失った話

          今でもときどき思い出しては胸を苦しめるエピソードがある。私の愚行によりある人生が狂ってしまった。きっとこの話を見た人は私のことを醜い、軽蔑するべき人間であると思うだろう。しかし他の人には私のような人生の二の舞を踏んでほしくはない。だからその胸のつかえを取るためにもここに書き残していこうと思う。 私にはかつて心の底から大事にしていた親友がいた。 物語の始まりまずその子との出会いについて語ろうと思う。 出会いはとある高校で同じクラスになったというありきたりな話だった。 しか

          大事な人を失った話

          発達障害と一緒に生きていく

          この話には投稿者の実話が含まれています。拙い文章ですが見ていただけると幸いです🙇 "変な子"として生き続けた私は幼い頃からいわゆる"変わった子ども"として見られることが多かった。 集団生活の中で生活する時も、自分の興味のあるものにしか目がいかず、時々輪の中から外れてしまうことがあった。 そのせいでいじめや周囲の環境から浮き続けてしまうことがあった。 何とか周りの人に合わせようと努力をするものの、物忘れや考えの弱さ、そしてコミュニケーションが上手くいかずに結局は人を信じること

          発達障害と一緒に生きていく