渡会ななせ

どこかにいる人。 トラブル体質でよく事件に巻き込まれているけれど、何とか生きています。 いつかどこかの誰かに自分の言葉が届くことを祈っています。

渡会ななせ

どこかにいる人。 トラブル体質でよく事件に巻き込まれているけれど、何とか生きています。 いつかどこかの誰かに自分の言葉が届くことを祈っています。

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ぼちぼち生きてみる。

私には叶えたい夢がいくつもある。 しかしその中でも特に叶えたい夢は「ぼちぼち生きてみる」ということだ。 なんだ、簡単そうですぐにこんなものは目標達成できるじゃないか。そう思う人もいるのかもしれない。 しかし私にとってはとても難しい生き方であり、生涯を通じてでも叶えたいことなのだ。 そもそも去年、一昨年、そしてそこからかなり前で(悪い意味で)いろんな経験を積み重ねることができてきた。 そのおかげで、ときどき悪夢にうなされることや、動けなくなってしまうこと、そして白黒の考え方し

    • あの日、私は性被害者になった。

      ※今回の話は性暴力・性犯罪の内容が含まれます。フラッシュバックをしてしまう方や、苦手な方はブラウザバックをしていただけると幸いです。 私は何度か性暴力の被害者になったことがある。 その出来事は私の心に大きな傷を残していった。もちろんすべてが良い方に解決したわけではないし、泣き寝入りをせざる得ないことも。 でも今性暴力に悩む誰かに向けて、私の体験談や感じていることを伝えていこうと思う。 きっかけ受験を乗り越えて晴れて大学生になった私は、一人で新しい地に踏み込んで生活を始めて

      • 友だちにアカウントがばれたって話。

        私は今、あるアーティストを猛烈に推している。 どのくらいの愛かというと、何度もライブが落ちても先着でギリギリチケットをもぎ取ったり、一回のグッズ購入で家賃越えのお金を吹き飛ばすことに躊躇が無いレベル。その人が引退するならば地球に隕石が落ちて滅んでしまえ、と思うほどやや過激な思想寄りの人間。 その推しを愛するきっかけになったのは、それなりの付き合いのある友人がいろんな曲を熱心に布教してきたことから始まった。 当時「推し」という概念を知らない私は、特に誰も好きではない無趣味で、

        • 自分の限界を超えていけ。

          「もっと外の世界を見てみたいなあ」 社会人として毎日忙しい日々を過ごしているうちにふと、自分の人生を彩りたい気持ちになった。 大人になってから仕事で貴重な経験をすることが増えて、徐々に自分に自信を取り戻せるようになった私。 そして周りのサポートもあり、仕事の資格も取得することができるようもなった。 社会に生きる術をちぐはぐだけれども、何とか身につけたし、やりたいことにも触れられて充実している。 でも何かが足りない。 仕事や資格に熱中していても、私には趣味がない。 あると

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        ぼちぼち生きてみる。

          「ありがとう」ってたくさん言いたい。

          小さいころの私の口癖は「ごめんね」だった。 生まれつきの不器用さもあり、ミスばかりを繰り返していて、いろんな人から嫌悪感を丸出しにされ続けていたことが大きかったのかもしれない。 自分は気を付けているつもりでも、周りから見れば「当たり前のこともできないやつ」というレッテルを貼りつけて、それ相応の態度をとるなんてことは至極全うなことだった。 もちろん私はそんな空気を吸っているうちに、できない自分への失望感、周りの人の足を引っ張る息苦しさを覚えていた。 そんな私はいつからか

          「ありがとう」ってたくさん言いたい。

          誰でも受け入れられる家を作りたい。

          未来のためにできること…。それは誰でも気軽に立ち寄れて「おかえり」と言われるような居場所を作ることと宣言したい! 私はいわゆる「大人の発達障害」と呼ばれる類の人間だ。幼いころから周りから浮いて、そのコミュニティから追い出される経験を何度も体験したことがある。 もちろん教師はそんな私を「困った子」と称して扱っており、より悪い方へとエスカレートするばかり。 そんな場所から逃げ出して大人になってからも仕事のミスや周りとの温度差が重なり、うつ病の一歩手前まで追い詰められて常に「死」

          誰でも受け入れられる家を作りたい。

          「消えたい」って思うのは悪くないと思う。

          普段からポジティブで明るくいるように努めている。 そうすることで多少は生きることへの苦しみはどうにかなると暗示をかけられるかもしれないから。 でも最近はその効果が薄れてきている時期なのか、ふとした瞬間に「消えてしまいたい」と考えることがある。 何事もなく過ごしていたのに、突然昔のことを思い出したり、自分のコンプレックスが蒸し返されるような感覚に苦しむようになっている。 「大丈夫、大丈夫」と暗示をかけても全く効かないほど凹んでしまう。 もっと厄介なのは、そう思うのに特に

          「消えたい」って思うのは悪くないと思う。

          友だちと向き合ってみようと思った日。

          私は友だちを簡単に作ることができる。 気さくで明るい、愛嬌があるという理由で私と仲良くしてくれる心優しい人たちだ。 だが、私はどことなく一歩的に壁を作ってしまい、最終的には自分からフェードアウトをしてしまうことが多かった。 理由は簡単。「どうせいつかいなくなってしまう。お別れが来るから。」というものだった。 今までの友達付き合いをしていると、とても仲良く遊んでいたのに、時間が経つにつれて、新しいコミュニティに夢中になって連絡をしても返ってこなくなってしまう、ささいなトラ

          友だちと向き合ってみようと思った日。

          生きてるだけで偉いんだ。

          私は俗にいう「つまらない人間」だ。 視野は狭く、面白いことを言えないから個性も目立たない。そして何よりも、場に合わないことをして浮いてしまうことが多い。 そんなことをしているから結局は特定のコミュニティーから最終的に抜けざる得ない状況になったり、知らないうちに知り合いと縁が切れてしまうことばかりだった。 人に合わせようとしても、結局他人軸に合わせてばかりで、「少しは自分で考えて、頭を使って動いたらどうなの?」と言われてしまう始末。 ただ生きているだけなのに、どうしてこん

          生きてるだけで偉いんだ。

          反面教師1

          私はどうも生まれつき「やばい人間」を集める体質があるらしい。 この間子どもを支える恋人からお墨付きで「人間性の死んだ教師、5段階でいうと1」と評価をされた先生が2人おり、1人目の方を供養がてら載せようと思う。 ちなみにこれは昭和の話ではなく、体罰の概念がしっかりして、法律もでき始めていた平成のエピソードだ。 この先生は私の小学校中学年の時の担任である。 年はまあお察しの通り、更年期に入っている方だった。 当時の私はお釈迦様ですら説法をすることに心が折れてしまうレベルで要領が

          愛で支配をしたかった元カレの話

          私は学生時代、一つ年下の男の子と付き合っていた時期があった。 以前Noteに登場していた彼の話をしようと思う。 出会ったきっかけはよく覚えていないが、出会った数日で付き合った。 まったく知らない相手ではあったが、言われたから付き合ったというなんとも浅はかな理由だった。 当時の私に一発助走をつけたドロップキックをかましたい。 彼はとても愛情が深く、優しくしてくれる素敵な人だった。 お互い些細なことでもやりとりをして、休みの日は一緒に出掛けるというありきたりな恋人関係を築いて

          愛で支配をしたかった元カレの話

          誰かの居場所を作りたい

          私は将来、誰かにとって居場所になるような「居場所カフェ」を作りたい。 居場所カフェの存在を知るきっかけになったのは、高校時代に子ども食堂のボランティアを体験したこと、そして大学時代にアパートの一室を借りて誰でも自由に過ごすことにできるカフェを見つけたことが始まりである。 発達障害を持っている私は幼いころから周囲から浮いた人生を歩んでいた。 独特の感性や世界観を持っており、思いついた時にはその行動を取ってしまうことで、大人から「問題児」、そして周りから「変なやつ」というレッ

          誰かの居場所を作りたい

          初めての一人旅で”自分”を見つけた話

          マイペースで人と合わせることが苦手な私は、ある日突然遠くへ逃げようと思いついた。 もちろんいろんな人といる時間は勉強にもなるし、自分の見えないものも見える良い機会だった。 でも、それでも自分は周りと何か歯車が合わないと苦しめられることがあった。周りは個性もあり、自立しているのに私だけ何もない。ただ私は漠然と「普通」になりたかった。 気が付けば私は住んでいるところよりも遠い、一人で気兼ねなく考えることのできる大阪の新幹線チケットと旅館を予約してしまった。 そんなこともあり私

          初めての一人旅で”自分”を見つけた話

          性別が違えば。

          愛って難しい。 上手くいって人生を添い遂げることもできれば、ボタンの掛け違いが起きてしまい、枯れてしまうこともある。 誰かを思い続けることは苦しいし、どうしてもかなわないと分かった時は、生きていることの意味を失ってしまうほどだ。 私は過去に心の底から愛した人がいた。 好きなタイプや性格もにその子のために近づけて、その子の気持ちを振り向かせようと一生懸命頑張っていたこともあった。 しかしその恋は実らなかった。手折られた飾りの花のように次々と枯れてはしぼんでいった。 だって

          性別が違えば。

          自分軸ノートの作り方

          友人からは再三「お前はイエスマンで、自分の意見を全く持っていないね」と指摘されることが多かった。 分かってはいたけれども、本当の自分と向き合うことへの不安、対人関係が壊れてしまう怖さに悩まされ続けてきた。 その結果相手のことしか考えずに、自分を大事にできない「自己犠牲」の存在になってしまった。 ある日ふとこの生き方をしていると、いつか自分が自分ではなくなってしまうような恐怖が全身に降り注いできた。 そんな私は最近他人軸から自分軸へ生きるための練習を始めるようにした。今日はその

          自分軸ノートの作り方

          拝啓 好きじゃないあなたへ。

          私の恋人へ。 私とあなたは出会って数年の時間を過ごしましたね。あなたはおそらくnoteをやっていないと思うので、ここに愚痴を書いておきたいと思います。 はっきり言いましょう。私は出会ったときからあなたのことは好きではありませんでした。 そもそもあなたとの出会いは、私が迷子になっていたところをひょんなタイミングで見つけて案内してくれて、その後にいろいろあって付き合いましたね。 あなたは私のことを「愛している」と真面目な顔で伝えてきたときは、何も考えずに返事をしました。 正直

          拝啓 好きじゃないあなたへ。