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山口順平
2019年9月26日 12:44
東村山庭さきゃ多摩湖狭山 茶所 情が厚い東村山四丁目東村山四丁目東村山三丁目ちょいと ちょっくらちょいとちょっと来てね一度はおいでよ三丁目 一度はおいでよ三丁目ワーオヒガシムラヤマ イッチョメ ワーオイッチョメ イッチョメ ワーオイッチョメ イッチョメ ワーオヒ・ガ・シ(ワオ)ムラヤマ イッチョメ ワーオ ─ 志村けん「東村山音頭」(1976年) 「
2019年9月25日 01:09
「ウルトラマン」シリーズ史上最も異彩を放つものに「ウルトラファイト」(TBS:1970-71年)がある。ぼくは80年代の再放送世代。たしか毎朝5時台に局のオープニング映像、童謡のビデオクリップに次いで放送され、当時ビデオデッキの使い方をおぼえたばかりの兄がまめに留守録していた。「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の放送が終わってからの円谷プロには暫しヒット作が出ない低迷期があった。世の子供たち
2019年9月22日 08:16
永年さりげなく存続してきて、遂になくなったと分かったときにだけ何かを心にもたらすものが、世の中には数々ある。テレビの中に限ると、ぼくがそのてのもので真っ先に思い出すのは、エイケンが20年近く制作していた関東ローカルの5分アニメ「親子クラブ」(1994-2013年)だ。日常生活のちょっとした知恵を紹介する(ミニ枠ではよくある)趣向を、敢えてアニメ主体でやっていた番組。エイケンといえば「サザエさん
2019年9月12日 13:42
今から9年ほど前の日記をたまたまみつけたら、ポケットラジオを買ったと書いてあった。球場のオヤジが観戦しながら片耳で聞くやつ。で、買った理由は土曜夕方5時からTOKYO FMで「Suntory Saturday Waiting Bar」(1992-2013年)を聴くためだとある。外出の予定がある休日、いつも不安なのは放送開始までに帰ってこれないかも知れないことだった。球場のオヤジになってまでして聴き