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「変わりたいのに変わることができない」のは、自分が弱いからではない

「変わりたいのに変わることができない」と聞くと、あなたはどう思うだろう?「意志薄弱だ」「本当に変わりたいと思っているのか」などと思う方もいるのだろうか。


先日、私は今年の抱負noteを書いた。

私は過去の経験から、他の人に心を開くことをあまりしなかった。特に、直接顔を合わせるタイプのコミュニケーションが苦手だ。実際職場では、その苦手が足を引っ張りまくっている。

なので、自分から声をかけて気持ちを伝えられるようになりたい、と思うようになった。「あなたに一歩踏み出したい」、それが私の今年の抱負となった。

だが執筆中に、一歩踏み出したいのに踏み出せないという無限ループに入ってしまった。踏み出すのが怖い。仕事以外でも必要なコミュニケーションだから、変わらないといけないのに。一歩踏み出せた私の状態を想像して自分を鼓舞させようとしても、イマイチ乗り気になれない。


私は変わりたいのではないのか?それとも、一歩踏み出すのが怖いから言い訳をしているのだろうか?


①変わることにあれこれ言われるのが嫌

今年の抱負noteを書いていて「変わりたいのに変わることができない」という現象に気付いた時、私は過去の自分を思い出した。

自分が変わろうとしていることを誰かに知られるのが、ものすごく嫌

昔の私は変わろうとしている姿を見られて、周りからあれやこれやと色々言われるのが嫌でたまらなかった。家で英語の発音の練習をするのも、就活の自己分析で家族や友人に私の人物像を掘り下げてもらうために付き合ってもらうのも。

職場でも、できない自分を変えたくて実用書を読み漁っていた時期があった。しかし知識は得たものの、何一つ行動に出なかった。少しは意識して行動していたかもしれないが、他の人が気付くほどの変化は見られなかった。


私は些細なことでも変化を見せたくなかった。変わりたいはずなのに、少しでも変わった素振りを誰かに見られるのが本当に嫌だった。特に親に対してだ。親に「何かあったの?」と聞かれるのが、また思われるのが、ものすごく嫌でたまらなかったからである。


「嫌」という言葉が嫌になるほど、文章に出てきている。それほどの拒否反応が当時の私にはあった。どうしてかというと、私が少し違ったことをすることで、誰かに否定されたり茶化されたりしてしまうと思い込んでいたためである。


では、どうして「自分のことを否定されたり茶化されたりしてしまう」という思い込みが、私にはあるのだろうか。


②自分の気持ちに整理がついていない

私は転職を機に、家を出て一人暮らしを始めた。今までは親の目を気にして何もできない状態だったが、一人になったことで自分を変えるための行動をしやすくなった。

また、Twitterでは常に自己研鑽に取り組む方々と繋がれた。生活もSNSも、自分を取り巻く環境は良くなった。だけど、最初に挙げた今年の抱負が「変わりたいのに変わることができない」の無限ループに突入している現状がある。


抱負noteにも少し書いてあるが、私は過去の経験から、周りの大人に自分を認めてもらえなかったことが、ずっと心の中で引っかかっていたのである。そして、その気持ちの整理がついていない。

子供の頃に、周りの大人が自分自身を認めてくれなかったことについて、私は今でも無意識ながら根に持っている。今でも自分の心の中にいる子供の私が、事あるごとに「私を否定しないで」と騒いで泣きわめくような感じがするのだ。

また、自分を変えようと行動することが、過去の大人に認めてもらえなかった自分を否定しているような気持ちになってしまう。「何で私ばかりが悪いのか、そのままの私じゃダメなのか」と、子供の私は猛抗議してくる。

「心の中にいる子供の私」とは、いわゆるアダルトチルドレンだと思う。このアダルトチルドレンをどうにかしない限り、私は「変わりたくても変わることができない」の無限ループから抜け出せないだろう。


そして、子供の頃に身につけた、どうにかしてでも周りに自分を認めさせようとするための行動が染み付いてしまっている。大人になった今でも、その行動の癖が無くなっていない。

例えば、あたかも自分に非がないような話し方をする(他の人からは言い訳と捉えられがち)、言葉ではなく表情や仕草で自己主張する、など。この動作が、無意識で条件反射で出てきてしまうのだ。それを指摘されて初めて、私は我に返り、後悔する。

こんな社会人がいたら、迷惑極まりない。まあ、私のことなのだが……。だから、こんな私が嫌だから、変わりたいのに。



未完了を完了する

無限ループに悩む日々を過ごしていた時、こちらのnoteを読んだ。映画『すずめの戸締まり』のネタバレがあるので、観ていない方は注意されたい。

そこで、「未完了のものを完了する」という概念を知った。未完了とは、頭の片隅にある気がかりのことだ。

未完了とは、エネルギーの漏れを表します。一見些細なことに感じる未完了は、気がかりを知らず知らずのうちに増やしていくことになります。
自分では意識していなくても、無意識がいつもその気がかり(未完了)を解決しようと頭が回転している状態が続きます。これはエネルギーを削ぐ原因となったり、ストレスを引き起こします。

未完了を完了する


そういえば、私は以前受けていたキャリアコーチングで、未完了を完了させていたことがあった(職場でのモヤモヤ過去の恋愛にけりをつける、その他多数)。

人間の成長と発達において「閉じる」という行為が、すごく大切で。傷ついたり、何かが損なわれたりして、感情が溢れ出てしまったとき、ちゃんとその声を聞いたうえで心で閉じておけると、人って成長するんですよね。

すずめの旅は何を変えたのか。『すずめの戸締まり』をプロコーチの2人が語る。

あの時は、担当のトレーナーが私の話を傾聴し、その時の自分の気持ちや今ならどう行動するかを、私に問いかけた。その結果、私は行動を起こして未完了を完了した=「戸締まり」をした、ということだったのか。


だとしたら、私の「周りの人に認められたい」という感情が「戸締まり」できてないということだ。認めてもらえなかった過去が清算できていない。このことに気付けたということは、「戸締まり」のタイミングは、無限ループに陥った今なのかもしれない。


というわけで、私はとある本を読むことにした。

こちらの本、私のTwitterのタイムラインにも読者が多数いるので、少し気になっていた。でも買ってなかった。買うなら、そう、今だ。今こそ私はこの本を読んで、過去の自分の「戸締まり」をするぞ……!と意気込んでいる。


まとめ

自分が変わるまでには時間がかかるだろうし、私のように未完了のことがあって、それを解決することが先なのかもしれない。

「変わりたいのに変わることができない」のは、自分が弱いからなのか。私は「変わりたい」と思っている時点で、その人は強いんじゃないかと思っている。

今の自分を見つめ直して「変わる必要がある」と判断ができている自分を、まずは褒めるべきだ。全てを他人のせいにせず、自分と向き合おうとしていることに、その人の強さがあるという感じだ。


自分を変えるということは、相当のエネルギーが必要だ。もし、自分の力で変わるのが難しいなら、誰かに頼るのも一つの手だ。

実のところ、ここまで内省していても、私1人だと変わることが難しいと思っている。なので私も他の人に頼るつもりだ。


このnoteを投稿後、私は本を読み始める。変わりたい。だけど、やっぱり怖い気持ちはまだある。それでも、あなたに一歩踏み出せる私になりたいから、私は少しずつ進んでいく。

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