はなかがり

君はそのからだから逃れられずしかし不自由ではないね

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最近の記事

出会って半年経ったみたいにはじめましてって言ってね

働き始めて、どう?という質問には答えかねるけれど、4月は気の重い季節です。 まだ生徒だった春、新しいクラスのメンバー表を見て、他の人は何を思っていたのだろう。私は教室に入るまでずっと胃を痛めていました。私の座る席は、本当にあるんだろうか。お昼を一緒に食べる友人ができるんだろうか。休み時間になるとみんながそわそわと周りを見わたして、何かに気づかれないように「私たち」を作り出す空気に充てられて、薄い酸素を必死で吸っていた。 あの頃、ひとりが嫌だったのではなく、「一人でかわいそ

    • 『千と千尋の神隠し』と欲望

      金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』を観ました。今年は辰年です。 物語の最後に、なぜ千尋は豚々(ぶたぶた)のなかに父母がいないことが分かったか、という疑問に対して、今現在での理解として書き留めておくことにします。これは正解でも考察でもありません。 飲食店のバイトから帰宅して22時過ぎのファミリーマートで店の中を徘徊している。今日はお客さんがたくさんで、皿洗いを何時間もしてとても疲れている、この疲れを癒せる何かがあるかもしれない。けれど、ありとあらゆるものが並んでいる場所

      • また次回、という不確かな約束と彼女

        完結していない物語を追うことが、いつしか怖くなりました。毎週ジャンプを読んだり、好きな役者の出ているドラマの放送を火曜日まで待ったり、そういう些細なことです。 「この物語は続く」ということを理解しながら、できたてほやほやの最新作を読むことは勇気と体力が必要です。 好きな漫画が次回もある、その次もある、それは喜びでありながら、しかしその先どこまで続くかは分かりません。私がこの世から消えても果てしなく紡がれるかもしれないし、もしかすると今読んでいるこれが最終話になるかもしれない

        • 扇風機の恋

          起きたら、恋人が扇風機になっていた。扇風機は部屋の隅に立って俯いていたが、私がすぐに状況を理解したのを見てほっとしたようだった。 かくいう私は扇風機と添い寝していないことに安堵していた。家電とセックスする趣味はない。 最近暑かったから扇風機になってくれてありがとう。大好きだよ、と抱き締めると彼は羽をカチカチ鳴らした。コンセントを差してやり、首振りは左右、風は強めに設定する。扇風機はブーンと羽を鳴らして首を右左に動かしはじめた。 家電になってしまった彼の分の朝食を作る必要もな

        出会って半年経ったみたいにはじめましてって言ってね

          眠れない夜と、私でない何か

          ふと死にたいという感情を抱くことがあっても、結局生きてるし、と飯を食べ始める。その辛さが大したことがなかったというよりも、わざわざ抗うような意志を持つ面倒さを能天気というのだろう。母は私の幼い頃から「死んだら全部なくなるだけだよ」と教えていたし、そこには善悪も喜怒哀楽もなかった。 普通は「いつかは自分も死ぬ」という現実に気づき眠れない夜を過ごすものだ、と、友人に言われたのがショックで、そういえば私は、宇宙の大きさに想いを馳せて自らの矮小さを卑屈に思ったこともない。私の悩みが

          眠れない夜と、私でない何か

          京都大阪てくてく記①

          大学も4年生になると卒論を1本書けば良い。 だが、こうなると卒論以外の文章を書けなくなることにやっと気づいた。 常に「卒論の作業しなきゃ」というタスクに頭が支配されて毎日が8月30日なのである。やらなきゃ、と思うが、まあ明日があるし、という気持ちに勝てない。 しかも、時間があれば卒論に使ってしまい、ゼミでも卒論の報告をして。そもそも調査もしておらず「書く」段階にないからキーボードをぺちぺちする楽しみも得られない。 そんなわけで、気晴らしに旅行記でも書こうと思う。今年の4月上

          京都大阪てくてく記①

          ミケの炬燵戦争

          これは私が2年生の頃、学科の講義で書いた練習作品です。割とよくできていて可愛いものを見つけたので公開します。 吾輩は猫である。名前はまだ無いが、まあ当然、とてもかわいい。寒い冬に歩いていたら、この家のドアが開いていて、中から暖気が漏れていたので入らせてもらった。そんなわけでここの家主との付き合いはもう4年になる。 さて、吾輩はときどき考える。家主はアイスが好きすぎやしないか。家主は毎日アイスを買ってくる。丸いの、三角の、白いの、青いの、何か一本買ってきて、冷凍庫に入れる。

          ミケの炬燵戦争

          想像力欠如講座②

          これは「想像力はあっても想像力がない人間のことは想像できないあなたのための想像力欠如講座①」の続きです。①をお読みでない方は先にそちらを。一応①を読まなくてもギリギリ読めると思います。 それでは続きをどうぞ。 自由を求める者、自由を拒む者 小学校に上がると、図工の授業で工作ができるようになる。先生たちが「自由にやっていいよ」と言いながらもあれこれケチをつけてきて苦しい思いをしたことがある人もいるだろう。よくTwitterでこういう案件が燃えているのを見ては、想像力がたく

          想像力欠如講座②

          想像力欠如講座①

          はじめに 大人は、幼い子どもに芸術的なセンスを求める。親馬鹿はおいておいても、どんな大人も、すべての子どもの発想は新鮮で唯一無二、あらゆるものを無垢な眼差しで見つめることができる、などという幻想を抱いて、そのめちゃくちゃな創作物を褒めちぎる。 断言しよう。「こどもの想像力は素晴らしい」なんて真っ赤な嘘である。なぜなら私に想像力などというものがあった時代は一度もなかったからだ。 幸い想像力に恵まれて生きてきた人間には、これはただの規格外品だと思うかもしれない。しかし、私は

          想像力欠如講座①

          音楽が分からない私と誰かへ

          私は音楽ができないし、分からない。音楽を聴いても手拍子を正しいリズムで打つこともできない。なんとなく周りに合わせているはずなのに、皆とは全然違うところで手を打っているし、そういうことが続いてどんどん楽しくなくなっていった。カラオケだって、自分から出る音は明らかにずれている。中学の合唱コンクールで指揮者をやらされたのはしっかりしているから、みたいな理由だったし、当時の私からしてもそれは絶対間違っているだろうと思いながらも結果は金賞だった。音楽、何を評価したいのか全然分からないな

          音楽が分からない私と誰かへ

          批評論

          社会学の先生が、「客観的」「科学的」「中立」に社会調査をするコツを訊く学生たちに、「客観的ってなんなんでしょうねえ」とぼやいていた。客観と主観は対立関係にあり、必ず客観のほうが立場が上であり、「それってあなたの感想ですよね」と言われてひるまない人はいないだろう。そして批評とは、主観的なことをいかに客観的に言うかにかかっているような気がしている。気がしている、というのは分からないということだ。私が批評をできているのか、私の感想なのか。批評家です、と自称できるなら、批評家ではあり

          キウイとレーシック手術

          食べる話には「思い出型」があるとラジオで高橋源一郎が言っていた。「あなたが今まで食べた中で一番おいしかったものはなんですか」という問いに対する答えには「お父さんが夜中に作ってくれたホットケーキ」「登山の後のラーメン」など、「必ずしもおいしくはないが、シチュエーションと共に覚えている」(そして、大抵の場合は母の手料理ではない)特徴があるのだという。 あなたのおいしかった記憶はなんですか? キュウリとキウイ 幼い頃のある日、私はキウイを食べたくなった。数日前に母に半分に切った

          キウイとレーシック手術