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眠れない夜と、私でない何か

ふと死にたいという感情を抱くことがあっても、結局生きてるし、と飯を食べ始める。その辛さが大したことがなかったというよりも、わざわざ抗うような意志を持つ面倒さを能天気というのだろう。母は私の幼い頃から「死んだら全部なくなるだけだよ」と教えていたし、そこには善悪も喜怒哀楽もなかった。

普通は「いつかは自分も死ぬ」という現実に気づき眠れない夜を過ごすものだ、と、友人に言われたのがショックで、そういえば私は、宇宙の大きさに想いを馳せて自らの矮小さを卑屈に思ったこともない。私の悩みがどれだけくだらないものでも、私にとっては宇宙よりもずっと大きかったし、どうせ1週間後にはそんなものはすっかり消えていることがわかっていたからこそ、眠れない少女を演じていた。皆、夜に何を考えて眠れない夜を過ごしているのだろう。

高校生の頃、カウセリング室に住んでいた仙人に「死ぬのって寝てる間と似たような感じだと思う」と話したら「大丈夫?そんなふうに思ってたら怖くて眠れなくならない?」と本当に心配されてしまって、私としては「まあ朝起きてるし」と返答したのだけれど、仙人にすら想像のつくその怖さが分からなかった。
たとえ寝ている間の私が死んでいるのと同じでも、私自身がそれを直接に感じられないことが本質で、私の悲しみの原因だし、結局目覚めることはそのふたつの概念の大きな乖離を示している。ここまで書いて気付いたのだが、私は死が怖いとか、そういうレベルにはおらず、いまだに何もかもを理解していないだけかもしれない。

さて、最近リリースされた「ポケモンスリープ」という睡眠計測アプリで、カビゴンを大きくするミッションが日々に追加された。深い海の底からゆっくりと浮かび上がり、枕元のスマホで計測を終えると、睡眠中の私の様子を教えてくれる。ノンレム睡眠が多めのグラフや、寝返りをうつ衣擦れの音が録音を聴くと、なーんだ、寝ている間の私も元気に生きてるな!と嬉しくなる。
ポケモンたちに観測された眠る私は、私自身のようでもあり、他人のようでもあるが、それでも全然死んでなんかいなかった。けれど、誰かから見守られているのに、私だけ分からない眠りは、やっぱり「全部なくなる」状態であることに変わりはなく、私の分からない私が存在してしまうこともまた、寂しさだと思う。


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