目の前に死にたい人がいるとして
私には何ができるのだろう。
私は何をすべきなのだろう。
もしくは何もすべきではないのだろうか。
正解は、わからない。
わかるはずもない。
仮に正解が存在するとしても、人によって違う気がするから、やっぱり、わからない。
そう理解していても。
どうしても、考えてしまう。
どうやったって、正解を探してしまう。
もちろん、どこまで本気かは、様々だろうけど。
死んだら、終わりだから。
人生で絶望感に襲われて「終わった…」と感じる終わりとは違う。
本当の、「終わり」だから。
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目の前に死にたい人がいるとして。
その人は間違いなく。
苦しんで。
悩んで。
もがいて。
足掻いて。
そうやって、「今」まで辿り着いて、目の前に居る。
具体的にどう辛かった、とか、そんなことは問題ではない。
生きて、そこに立っている。
これまで歩んできた道、その全てを背負って、今そこに立っている。
その重みを誰よりも知っているその人自身が、本気でそれを投げ捨てようとしていたら。
投げ捨てたくなっていたら。
それだけでもう、察するに余りある。
「生きる」ということは。
毎日。
毎時間。
毎分。
毎秒。
絶えず、自分の目の前に、1つ、また1つと、足場を作っていく作業をし続けることだ。
向かいたい方向に、石を置ける時もあるだろう。
ちょうどいい大きさの石を置けるときもあるだろう。
でも、そんなことは、ごくごく、稀で。
ぬかるみに置かなければならない時。
尖った石を踏まなければならない時。
反対方向に置いてしまう時。
脆く崩れそうな石しか手元に無い時。
横を他人が悠々と通り過ぎていく時。
もうこれ以上、石を置きたくないと思った時。
石の置き方を他人に笑われた時。
そんな時、ばっかりだ。
それでも私たちは。
涙を流しながら、歯を食いしばりながら、喉が切れるほど叫びながら、何かを睨みつけながら、罵声を浴びせられながら。
それでも1つ、また1つ、石を置いて、その上を歩いている。
今は笑っていても、手前ではもの凄く辛い道を歩いてきた人も居る。
今は辛そうでも、ついさっきまで楽勝で歩いてきた人も居る。
平気そうな顔をしていても、本当はずっとずっとギリギリのところで耐えて、耐えて、なんとか自分を保って、必死に歩いている人だって居る。
少し見ただけでは、その人がどんな道を作ってきたかなんて、周りからはわからないし、見えない。
今、目の前で息をしているということは。
紆余曲折なその道が、その人の絶え間ない努力によって、ずっとずっと続いてきた結果だ。
歩き方の上手い下手は、関係ない。
その人が、紛れもなくその人にしか作れない道を、ここまで作ってきたこと。
これからも、予想すらできない道がきっと、続いていくこと。
私はもう、それだけで、
「ああ、途絶えてほしくないなぁ。」
と、思うのだ。
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本人は、目の前の石を置くことで精一杯だ。
だから、これまで歩いてきた道も、これから歩いて行く方向も、見えていやしない。
でも、案外、それで良かったりする。
目の前しか見えていないまま進んできて、ふと目を上げると、いつのまにか遠くまで来たことに気づく、みたいに。
過去も未来も見えていないからこそ、歩いていられることもある。
過去や未来を見すぎると、視界が広過ぎて、焦る。
「やらなきゃ」って気持ちになって、しんどくなる。
過去の自分が、責めてくる。
未来の自分が、急かしてくる。
今の自分をなんとかするだけでも大変なのに。
過去の自分も、未来の自分も、全部なんとかしようなんて。
目の前しか見えていなくたって。
道が続いてさえいけば、いつか、どこかの何かに、辿り着ける。
目の前とは、今だ。
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あるとき急に、辛く苦しかったあの日の一歩が、意味を持つことだってある。
苦戦したからこそ、似たような石を今度は上手に置けることだってある。
欲しい物が手に入らなかったから、空っぽの手に別の何かを掴めることだって、ある。
最短距離が、最善距離だとは、限らない。
辿り着いた場所が、最終地点だとも、限らない。
大事なことは。
ちゃんと、「自分の思い通りに歩きたい」と思いながら、石を置くことだと思う。
なんとなく置いて、なんとなく良かったり悪かったりだと、きっと次も、その次も、なんとなく生きていく。
「こうじゃない」
「こんなはずじゃなかった」
「なんでこうなるんだ」
そういう想いは、苦しいけど。
なりたい自分がある。
手に入れたい何かがちゃんとある。
その証明だ。
「必死に生きている」証明だ。
死にたくなった、その道も。
いつか意味を持つ。
歩きながら伏線を張っていくみたいに。
必死であればこそ。
苦しければ苦しいほど。
自分を形作る、材料になる。
意味は、ある。
辛い思いをしてまで、歩いてきた意味は、ちゃんとある。
今はわからなくても。
歩いていった先の自分が、意味を与える。
例えば今、大きなミスをして、大きな何かを失って、途方に暮れていたとして。
その失敗は、もしも死んでしまえば、「失敗」で確定する。
でも、生きてさえいれば、失敗は「経験」になる。
生きていればいつか、経験は「成功」になる。
あの時の失敗は、成功したら「成功のために必要だったこと」になる。
失敗を失敗のままで終わらせてしまう。
そんなのは、もったいないじゃないか。
辛かったことの意味を知らないまま終わらせてしまうのは、あまりにも。
見ていて、悔しいじゃないか。
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「わかるよ、大丈夫。」
なんて、私は言えない。
なにも、わかるはずなどないから。
その人の苦しみは、その人だけがわかる。
苦しかった足場は、その人にしか見えない。
「もうあんな思いはしたくないから」
と、終わりにしたい気持ちを、否定する権利など、私には一切、無い。
ただ…惜しい。
ただただ、惜しい。
その人にしかできない経験をし、その人にしか歩めないルートでここまで歩いてきた、その人にしか生きられない、その人の人生が。
本当の最終到達地点を見ずに終わるのが、惜しい。
唯一無二だから、というより、奇想天外だから、と言った方が正しいかもしれない。
これから、どんな人生を歩むんだろうか。
そこから、どんな成功に繋がっていくんだろうか。
どんな足場を積み上げて、どんなところまで行くんだろうか。
本人にだって予測できない道の成り行きが、こうしている間にも、現在進行形で進んでいる。
それなのに。
その先に「作られるはずだった道」が。
他でもない、その人自身の手によって、途切れる。
それが、私には、どうしようもなく惜しくて、仕方がない。
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「死にたい」と口にしたい日だって、ザラにあって。
「もう何もかもが嫌だ」という気分だって、普通に襲ってくる。
日々は、普通に、何の変哲もなく、楽ではないのだから。
毎日毎日、常にポジティブになんて居られないし、居る必要もない。
そんな嘘を、自分に言い聞かせなくていい。
しんどい時にしんどいと言う権利は、全人類が等しく有している。
でも、死にたかったさっきの自分と、たった今の自分は、違う自分だ。
さっき「死にたい」と言ったばかりでも、今は好きなお菓子を頬張っていていい。
「過去を悔しがる自分」で、ずっと居なくてもいい。
「あれは失敗だったんだ」と、思い込み続けなくていい。
今の自分は、さっきの自分とは違う足場に、もう立っている。
違う場所にもう、足を踏み出している。
さっきの自分に縛られる理由も、引き摺られる理由も、どこにもない。
今のあなたは、過去のあなたから、ちゃんと、解き放たれている。
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あなたが死んでしまうと、世界にあなた分の大きさの穴が、ぽっかりあく。
ちっぽけだから、なんて、言わなくていい。
ちっぽけだろうが大きかろうが。
その穴が、未来永劫埋まることがないのに、変わりはない。
あなたにしか歩けないその道順の全てを、全く同じように歩いてきた人は、1人もいない。
だから。
目の前のあなたがもし、死を選んでしまったら。
あなたの道の結末がどんなものか。
他の誰にも、知ることができなくなる。
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どうか。
あなたにしか歩けない道を、「あなた」として、歩いてほしい。
好きなこと。
好きな人。
大切にしたいこだわり。
あなたが素直に感じる感覚を。
胸を張って口にする人であってほしい。
「これが自分だ」と。
言い切っていてほしい。
誰かに押し付けるとか。
正しさを証明するとか。
そんなことじゃない。
ただ、「自分はこれが好きなんだ」と。
「自分はこう在りたいんだ」と。
"自分が"思うことを、ちゃんと、自分自身で素直に受け止めてくれたら。
それを胸にしっかり持って、石を置いてくれたら。
あなたは、誰よりも、あなたになる。
変わりたければ、思う存分、変わろうとしていい。
でも、「変わりたい」じゃなく、「変わらなきゃ」と思って変わろうとする時は。
それが本当に"あなたの"気持ちなのかを、一瞬でもいいから考えてみてほしい。
「自分は未熟だから」とか思う必要はない。
「自分がこう思う」のに、未熟もクソもない。
ここまで長い距離、長い時間を歩いてきた今のあなたが「こう思う」のなら、それでいいに決まっている。
それが、本心から「素直に"自分が"思うこと」であれば、何だっていい。
だってそれが、あなたなのだから。
「誰かに思わされて思うこと」は、"あなたが"思うことじゃない。
その「誰か」が、過去の自分や、未来の自分だとしても。
"あなたが"出した答えだけが、あなたの道を作る。
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先を書き切っていないミステリー小説の、殺人事件が起きるシーンで絶望して、筆を置かないでほしい。
監督を手がけている戦隊モノの、ヒーローが敵にやられてしまった時点で、撮影を辞めないでほしい。
化学反応が起ききっていないフラスコを、結晶にならないからと言って、途中で捨て溢さないでほしい。
まだ、終わっていない。
まだ、確定していない。
まだ、けもの道の途中。
まだ、伏線張りの段階。
どうか。
あなたという人間を、あなた自身が、見届けてくれないだろうか。
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目の前に死にたいあなたがいるとして。
私には、残念ながら、何もできない。
でもいつか。
ジェットコースターのような、山も谷も急カーブもある、目まぐるしい道の行く先を。
伏線という伏線を全て回収した、大どんでん返しの一大巨編を。
お互いに、笑いながら披露し合える日を、心待ちにしている。
だから、どうか。
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