美術史第41章『ダダイスムとシュールレアリスム』
キュビズム、未来派、新造形主義など風景や人物などの抽象化を行う美術が栄える一方、現代美術には未知の世界を探求しどう表現するかという幻想絵画という流れも存在していた。
その代表的なものとしてはノスタルジックで神秘的かつ不気味な作品を生み出したイタリアの画家ジョルジュ・デ・キリコを中心とした「形而上絵画」と呼ばれる様式があり、ジョルジョ・モランディや未来派の部分でも触れたカルロ・カッラなどがこれに参加した。
ここではキリコの使った画面の左右で遠近法の焦点をずらす、彫刻やマネキンなどが描かれ人間は殆どいない、長い影がある、絵の中に表現の矛盾を作るなどの技法が使われており、これらの特徴は19世紀の象徴主義の画家アルノルト・ベックリンやマックス・クリンガーなどの影響が強いとされ、その様式は後に繁栄する「シュールレアリスム」の元祖とされる。
その後、ヨーロッパから第一次世界大戦が勃発すると厄災を生み出す社会や文化に対する批判を行う芸術運動が各地で誕生、この動きはやがて集約されていき「ダダイズム」という芸術の思想・運動が誕生した。
ダダイズムは第一次世界大戦への抵抗やそれによって誕生したこの世界の凡ゆるものには何の意味もないという「ニヒリズム(虚無主義)」を根底に持っているとされており、既存の秩序や常識を否定し攻撃し破壊という思想が最大の特徴とされる。
ダダイスムの流れは第一次世界大戦中の1910年代半ばのヨーロッパやアメリカで同時多発的に誕生し、中でもチューリッヒの詩人トリスタン・ツァラを中心とした「キャバレー・ヴォルテール」というキャバレーを拠点とする芸術家集団により本格的なダダイズムが開始したと言える。
チューリッヒではトリスタン・ツァラの他、ドイツ出身でダダイスムの指導者的存在の一人であったフーゴ・バルや、彫刻家・画家・詩人として活動を行なったジャン・アルプ(ハンス・アルプ)などが活躍した。
一方、スイスのすぐ近くのドイツではベルリンでは20世紀最大の風刺作家とされるジョージ・グロス、女性芸術家ハンナ・ヘッヒなど、ケルンでは後にシュールレアリスムの巨匠ともなるマックス・エルンストなど、同じドイツ文化圏のオーストリア=ハンガリーでも有名な写真家・画家のモホリ=ナジ・ラースローが活躍した。
その他、アメリカのニューヨークではフランス出身で20世紀芸術に巨大な影響を与えた巨匠マルセル・デュシャン、シュールにも参加し多数のオブジェや様々な技法を使った写真を撮った巨匠マン・レイ、フランス出身でキュビズムや印象派の画家であったフランシス・ピカビアなどが活躍した。
また、フランスのパリのダダではシュールレアリスムの指導者となるアンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴンなどの文学者達が活躍しており、その誕生経緯としてはパリに移住したトリスタン・ツァラとツァラをパリに招いたアンドレ・ブルトンが対立しブルトンがダダイスムから離脱したというのがあった。
ブルトンは精神分析などを取り入れオートマティスムを行うなど新しい芸術を模索した結果、最終的に1924年「第一宣言」という著作を発表、その宣言で「凡ゆる方法で思考の真の動きを表現すること」を目標に理性を排除、美的・道徳的な先入観を全て取り払うという「シュールレアリスム」が提唱、その後にダダイスムは急速に衰退した。
シュールレアリスムの運動は当初、ブルトンやルイ・アラゴン、ポール・エリュアールなどの文学者を中心としたもので、これに先述した形而上絵画のキリコなどの画家、先述したマン・レイなどの写真家が参加、1920年代末期にはサルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル、ルネ・マグリットらが参加した。
美術分野においてはドイツのマックス・エルンストやベルギーのルネ・マグリット、フランスのイヴ・タンギー、そして「記憶の固執」「燃えるキリン」「内乱の予感」などの作品や「チュッパチャップス」のデザインを手がけたスペインのサルバドール・ダリなどが中心人物となって彼らは夢と現実が矛盾なく世界を構築する「超現実」の実現を目指した活動を行った。
そこでは日常から離れた意外な組み合わせでインパクトを与える「デペイズマン」、意識が朦朧とした状態や内容は適当に紙を埋めるように何かを書く「オートマティスム」、コインなどの上に紙を置いて鉛筆で擦って模様を作る「フロッタージュ」、紙と紙の間に絵の具を挟むなどして偶発的な模様を作る「デカルコマニー」などの方法が生み出され、後世の芸術に大きな影響を残すこととなり、特にダリは現在でも世界で最も有名な芸術家の一人となっている。