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音楽史6『後期ルネサンス音楽』
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(ビクトリア作)
15世紀には北西ヨーロッパやイタリアでフランドル派やブルゴーニュ派、トレチェント音楽が栄えルネサンス音楽が発展したわけだが、その後には16世紀には南西ヨーロッパのスペインとポルトガルが大航海時代で超大国となり、そこではポリフォニーの巨匠トマス・ルイス・デ・ビクトリアや、クリストバル・デ・モラーレス、フランシスコ・ゲレーロ、アロンソ・ロボなどが活躍した。
一方でこの頃には当時、「宗教改革」で従来のカトリック教会とそこから別れたプロテスタント諸宗派の対立が起こっていたイングランド(イギリス)でもトマス・タリスやブリタニア音楽の父ウィリアム・バードらが活躍した。
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またこの頃にはイタリアでフランドル楽派の影響を受けた作曲家達が独自の音楽を発達させるようになっており、16世紀中頃に宗教改革でカトリック教会から離脱して独立するプロテスタント派閥達に対抗するため開かれた「トリエント公会議」にてカトリックからの離脱を防ぐ大規模改革が行われると、その一環としてキリスト教聖歌のポリフォニーを明確にする事や宗教的な歌ではない歌を転用して聖歌にしたりすることなどの禁止が行われた。
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(パレストリーナ『泉の水を求める鹿のように』)
そしてメロディーとコードが完全に融合した新しい技法を用い、トリエント公会議での決定に則った宗教音楽を作るその後の教会音楽の創始者でルネサンス最大の音楽家ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナが登場した事で、ローマ教皇のいるシスティーナ礼拝堂を中心に、伴奏の無い教会音楽アカペラを特徴とする「ローマ楽派」が形成され、グレゴリオ・アレグリ、ルカ・マレンツィオなどの作曲家がここで活躍、以降、音楽の中心はイタリアに移っていくこととなる。
また、ローマ学派が本格的に栄えるより少し前の頃、ローマ教皇の住むローマは、権力争いの混乱でハプスブルク勢力下にあったドイツとスペインの連合軍による略奪を受け、ほとんどの芸術家がローマから北のヴェネツィアへと避難していた。
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その少し前からヴェネツィアでは印刷技術が発展しており、楽譜を求めて作曲家達が訪れていた事もあり多くの音楽家がヴェネツィアに集結、また、ヴェネツィアに巨大寺院「サン・マルコ寺院」があり非常に音響が良かった事で、フランドル楽派のアドリアン・ヴィラールトが離れた場所にいる複数の合唱隊が交互に歌い、それにオルガン演奏をつけるコーリ・スペッツァーティ技法を確立した。
そうして、それらの技法を用いた「ヴェネツィア楽派」が誕生、ヴェネツィア学派からはアンドレーア・ガブリエーリ、チプリアーノ・デ・ローレ、ジョゼッフォ・ツァルリーノ、クラウディオ・メールロ、ジョヴァンニ・ガブリエーリ、クラウディオ・モンテヴェルディなどが輩出された。
(ジョヴァンニ・ガブリエーリ作)
ジョヴァンニ・ガブリエーリとアンドレーア・ガブリエーリが複数の合唱隊、金管楽器、弦楽器、オルガンを使った巨大編成の作品を生み出し、音の対比や変化を表す強弱法や複数の楽器の組み合わせのための楽器の指定が確立され、クラウディオ・メールロらによりオルガン主体の音楽が作られ始めた。
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ちなみに16世紀中頃、ルネサンスは次のマニエリスムと呼ばれる終わりの時期に入っており、それ以前にミケランジェロやダヴィンチなどによりキリスト教により破壊された古代の芸術を復興するという芸術運動は頂点に達していたといえ、マニエリスム絵画では遠近法、短縮法、明暗法を敢えて短略化したり、独特な色味を使ったりなど敢えて崩して表現する技法が行われており、音楽においてはローマ学派とヴェネツィア学派がマニエリスムの時代に相当し、この時期、既に音楽も美術も「バロック」への以降が開始していった。
(モンテヴェルディ作)
この頃のイタリアではフロットーラという歌曲からマドリガーレというスタンザもリフレインもなくボッカッチョやペトラルカの詩に合わせてメロディーを作るという形式が生まれ、アドリアン・ヴィラールト、チプリアーノ・デ・ローレ、ルカ・マレンツィオ、カルロ・ジェズアルド、クラウディオ・モンテヴェルディらによりポリフォニーやモテット、コーリ・スペッツァーティ、半音階的な独自の技法などそれぞれさまざまな形式でマドリガーレが作られた。
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