haku 写真作家
おはようございます! 九十歳過ぎの母と話してると、よく 「あなたは体が小さな頃から弱くてごめんね。。。」と言われる 「私より先に逝かないでね」と 九十歳超えた母からそう言われるのは、 なんとも心苦しい 人間だから寿命は誰もわからないよ、とにかくこの世に生まれ出させてくれたことに ありがたく感謝する どんなに沢山病気して入院しようが 元気な時は 誰よりも生き生き好きなことをやってきた それは よくダウンするから 余計に精一杯その瞬間を生きてるのかもしれない そして今度
何年もこのもやもや感が! 理由は全て自分の中であることは認識している やろうと思う事に手をつけれてない 完璧を求める必要はないが、 毎日の心地よさは大切だ。 自分の生活空間、仕事、生き方を決めて動くのは まさに我が自分なわけだ。 逆に反対側から考えると 要らないもの、 長く使わないもの、 人間関係、 書き出すのもめんどうなら それを手にもち 瞬間に考えて ダストにいれる とにかく使わない産物は有り難くすて 新しい空気を流していくスペースをつくる やるべき事も
六十歳もすぎると安定を求めるものか?と思いきや そろそろ 違うところにも 別のスミカを作ってもいいのでは?と思うようになった 多くの場所に撮影に行ってきた経験から 3年ほど同じ場所で住み着いて 撮影したい想いが湧いてきた 世界中を旅してきてる友に先日質問をした 世界中の中で どこに住みたいか?と 彼は「日本」という 理由を聞いた まずは日本には素晴らしい自然があると (実は世界中の自然がある場所に訪れてる友からの意見だ) これは日本人は気がついてないことだろう。。。 四
何年か前の個展のテーマが「遊」だった時がある 仕事以外でカメラを持つと 気持ちよく 遊ぶ 正解はないのだ いいも、悪いもない 自由に遊んで 楽しい気持ちでシャッターを切ればいい 入院した時も 病室にカメラを持って行っていた 病院のベットの上でしか見えないものもある これも なんてチャンス! デジタルになって ソフトやアプリでいくらでも加工ができるようになって ちょっと、人の写真を見るのが気持ち悪くなる 初めから抽象的なものならまだしも、きちんとした景色のきついコント
ピンポンって 家の呼び鈴がなる 冷蔵便で青森の下北半島から、ウニが届いた 御飯時ではないが、たまらず一人で蓋を開けて味見した!! ミョウバンも使われてなく、瓶詰めのウニの味。。。。。 お寿司屋さんで食べる雲丹と全く違うものなのだ 潮の味がする 海が荒れてしばらく漁ができなかった日々、身入の状況もわからないとのこと 聞いたら朝の5時から6時まで一時間しか ウニ漁は規制されてるそうだ そんなことも知らず、私たちはお寿司屋さんで 食べている 私は写真家を仕事にしていて本
はす 静かに静かに花を咲かせるまでは息をしている 存在も見えない 泥沼の中から ちょこんとある日 ここにいるよー って 芽をみせてくれる あの暗くて、どろどろした中で どうやって息をしていたのだろう? 彼女は強い 観ていると知らぬ間に沢山の葉っぱをつけ 雨の日は コロコロ雨粒が踊り出す舞台へと変身 雨が強くなればなるほど 風が強くなるほど 伸びた茎は折れそうになるが しっかり立ち直る 犠牲になる子もいるが 全体でみたら、皆んな助けあい たくましくまた成長する ある日
この数十年の間にものすごいスピードで開発されてきたバリ島 30年ほど前は レギャンやウブドなど まだまだローカルで歩道も穴が空いていて夜歩くのが怖いくらいだったが、 今では特別な買い出し以外は行きたくない、何よりもすごいバイクと車の数になって渋滞の嵐なのだ それでも、まだまだ田舎の方を回れば 昔ながらの生活のバリ島が残ってる 若い頃は海の方に心動かされていたが、今は山の中が落ち着くのだ この山のエネルギーに囲まれて今回は過ごしたかった。 そしてこの霧となる水の変化に心動かさ
よく子供時代夏休みの宿題に、何かしの観察日記の宿題が出たと思う。 まあ、あの頃は観察なんて興味もなく やっつけで宿題を出した覚えしかない。 過去を後悔しても仕方がないが、観察してまで調べたいものが自分で見つけられなかったんだな。。。 今はというと、 写真を仕事にしてる関係上、いろんな事を観察してしまう。 何事もいくつから始めても遅くはない 初めて写真教室に参加される生徒さんは、まさか?こんなことを気にするのか?と思ったこともあるでしょう。きっと、カメラの使い方を習いにきた
今回バリ島で何軒かホテルに滞在した ホテルを選ぶ時、どうしているだろうか? 今はネットで旅行サイトやインスタなどの画像で決めることが多いだろう。 自分が写真の仕事をしてるから、特にそのことも感じるのだが 綺麗な風景写真など見ても、ここに行ってみたいというきっかけは与えられるが その後、実際お金も使い時間も使い そこまで心動かされていく人はどれだけいるのだろうか? また、本当かどうか?わからない口コミも見て信じて判断して決めている自分がいる 年寄りと言われるかもしれないが ネ
四年ぶりの海外撮影仕事 改めてit関係の変化と 自分のおくれも感じ 四年前全く同じ場所で撮影をして、 そこでの変化も感じた。 そして何より、自分の中のことに気が付かされる。 いつも何が好きで被写体に向き合うのか? なぜいつも 気になる被写体が同じなのか? それは違う環境に来て、気が付かされる スタジオ内で撮影は好きではない いつも外の自然光の中に身を置く自分 それが晴天でも曇りでも 雨でも 土砂降りでも 宇宙や地球が感じさせてくれる変化がそこには存在するからだ 自分
人にはそれぞれの経験値がある どの場所に生まれ、親も違い 自分で選んで生まれてくると そう思ってはいるが なかなか、そうは思えないものだ。 住む家もない、空腹を満たすものもない そんな環境で育った人もこの地球にはたくさんいる。 駆け足で書くが、自分も生まれ出た時は 運転手さんやお手伝いさんが何人もいた環境で、経営者とはいい時も どん底以下もあり 家、土地、全てなくなり最後は借金とりの怖さを知り、その挙句父は病気で10歳の時に亡くなり、母が一人で全く知らない世界で一から生計
竹内まりやさんの「人生の扉」この曲を 桜の時期よく聞く 10年くらい前から 入退院を繰り返したり、 危篤になったり 体の色んなところに支障が出てきた。 一時はカメラも、箸すら持てない時期もあり 介護用ベットを用意しようと思ったくらいだった 九十歳になる母は、私より先に死なないでくれと いつも電話で言う。 桜が咲く時期になるたびに、 あーー今年も満開の桜が 自分の足で立ってみれる幸せを噛み締める 写真家としてものすごく沢山の 桜を撮影してきた 3年前だろうか?一つだけ
我が地球上への誕生を感謝して 歩いたこの地球 60年という月日が経っていたが この年まで生きていれたことにまずは感謝だ 親から聞かされたこと、自分が経験したこと総じて 60年生きてこれたことに 心から周りの人に感謝の気持ちだ 日本では還暦という節目 私は何をしたか?というと まずは産んでくれた母親に手紙を書いた。 それは、まだ生きていてくれたから伝えれたこと、父は早くに天国に行ったから伝えることもできなかったことだ。 自分の命もないとできないが、親の命もないと伝え
一枚のシーンを見て 「解放」という言葉が浮かんだ これは自然の中のワンシーンだが、見る人で何を感じるかは?全く違ってくる。 今の人間界のしがらみや、自分が勝手に作ってる縛りや、思い込み 選んでる仕事も、住んでるとこも 自分が決めてるのだ。 自然界の中にカメラを持って入ると、どこに視線がいくかは?人によって全く違う。育った環境や、その時の気分や。。。置かれた環境や。 先日釧路で タンチョウ鶴をメインにした 写真教室を開いたが 後日出してもらった参加者の作品を見ていると 手
今年一月からいきなり 釧路でのhaku写真教室開催。 その前にフロストフラワーを体感したく、先に飛んで阿寒湖まで足を伸ばす。釧路も雪が少なくハラハラしたが、やはり成人式ごろには雪は降るんですね。阿寒湖の散策は気温マイナス10度くらい、そんなに寒くない。 綺麗に凍った湖の上に 氷の花が パラパラと。。。やわらかいかと思いきや、固まってるので実は硬いのだ。 日本って北から沖縄まで本当に 素晴らしい場所がある。 ロシアからも、中国からも目をつけられてるが、現実に訪れると痛感する。。
我が家の年末年始は 家族の猫 クロが老齢でしばし危険な状態になって、元旦に病院に行ったという出来事。 病院に連れていくときには、もうどこまで治療をするのか?心の中で決めていかないといけない状態だった。 数日何も食べず、排尿もなく 弱っていく姿 そして苦しそうな姿を ただそばで撫でてやりながら寄り添うしかなかった。 上の写真のニャンコは友達宅のニャンで、ネットでも人気者。まだ若い 人間も怪我や病気になると、医療をどこまで受けるのか? この日本でも、自分で決めないと 多額