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世界を紡ぐのは

“みんな同じ人間なんだから”とか、
“やっぱり地球なんだなって思う”とか、
そういう世界を一括りにする言葉が大嫌いだ。

ずっと楽しみにしていたアクセサリー屋さんの
ポップアップストアに行った。

世界中を旅して、パーツを集め、繋げた作品は、
大層美しく、いつか絶対身に付けたいって、
心の底から思っていた。

「やっぱり世界はどこも同じでしたわ」
モヤモヤ。なんか思ってたのと違う。

え、本気で言ってる?世界中見てきたのよね?
そんなに軽い言葉で済ませて良いわけ??

確かに、似ている部分はあるだろう。

真反対の地域で同じモチーフが使われているとか
言葉が通じなくても優しく接してくれるとか
色の意味、ビーズの使う目的、仮面の意義。

確かに“同じ”と思ってしまう人もいるだろう。

けれど、その背景や積み重ねた物語、意味合いは
まるで異なる。

今隣に座っている君との人生が異なるように。

何を考え、どうしてその行為に至るのかを考える
ことこそが、世界を渡り歩く意味だというのに。

美しかった作品が、途端に陳腐で軽薄な単なる
ガラクタに見えてしまうから不思議だ。

「違いを如何に楽しむことができるか」
「分かり合えないことを前提に歩み寄れるか」
大学の講義で口酸っぱく言われたっけ。

やっぱり私は、世界を一括りにするのではなく、
どれだけ違うか、どうしてそんなに違うのかを、
この世界の多層性と多面性を、心から慈しみ、
どこまでも突き進める人間でありたいよな。

豊かで深みのある言葉を、服を、紡ぎたい。
世界への冒涜にならないように。

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