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モチベーションの源泉は、マーケットに対して新たな価値を提供すること。企業価値の向上を担うプロダクトとは

 ラクスルに入社するや1ヶ月でハコベル事業部へ。当時の代表と宮武 晋也の二人きり、ほとんど隔離部屋状態の場所で現在のハコベルにつながる物語は誕生しました。誕生前夜のお話があまりに興味深く、つい深堀すると「あまりに昔のことで…」と言うくらい、長い時間と数えきれないほどの試行錯誤の果てにプロダクトを生み出し、成長させてきました。自他ともに認める「開発側の人間」でありながら、開発初期には営業もCSのオペレーションも担った経験から、現場のリアリティを重視する宮武にハコベルの歴史と想いを聞きます。

執行役員 開発本部長
宮武 晋也 Shinya  Miyatake
慶応義塾大学法学部政治学科卒業。広告制作会社を経て、2011年、グリー株式会社に入社。内製ゲームのプロデューサー/シニアマネージャー、ベトナム開発拠点の組織立ち上げ・マネジメントなどを幅広く経験。2015年4月にラクスル入社。新規事業のMgrとして、プロダクトマネジメント、事業開発、オペレーション構築など幅広い業務に従事。現在はプロダクト開発領域を主に担当。

志向するのは「長く世に残る仕事」。コンセプトに実体を与えていく過程がすべてプロダクトに反映される

 キャリアを開始した広告会社では、「自分がメインでプランニングやプレゼンを任されるまでに10年はかかるだろう」との読みから、2011年にソーシャルゲーム大手のグリーへ転身。当時もいまも、「自分が一定のコミットをして携わるならば、やったことが後世に何十年と残っていくサービスに携わりたい」という想いは変わることがありません。

—— 前職ではプロダクトマネージャーのような業務だったとのこと。ラクスル入社に至る背景は。

 前職のソーシャルゲーム会社ではサービスの企画や分析、プロジェクトマネジメントの基礎を経験しました。そこで3年くらい仕事をし、最後の頃はオフショアの立ち上げなどを行って、やっていくなかで感じていたのが「永久に続くサービスではないんだな」ということ。性質上、栄枯盛衰があって、3~4年周期でサービスは徐々に低下していく。収益性が高かった一方で世の中にずっと残るサービスというわけではない、と思うようになりました。価値がストックされてずっと残っていくサービス形態ではないな、ということを感じるようになって。

 最初にもともと広告を志したのも、ゼロから企画して何かをつくり、世の中へ届けるということに関心があったんです。1社目からそういう意味で想いとしては変わらず、次第にプロダクトの立ち上げから世に残していく、プロダクトや事業を立ち上げることへの関心が強まり、それで転職活動を経て、2015年にラクスルへ入りました。

 当時、選考中の企業がいくつかあったのですが、そのなかでゼロイチのフェーズに関われそうだったのがラクスルで、さらにインフラとなって残るサービスという点でも1番フィット感を持ちました。当時の代表との最終面談でハコベルのコンセプトを聞いて、印刷と物流、どちらも良いなと思いつつも、そのときの自分の心境にすごく刺さって「ハコベルをやりたい」と思いました。ですが、入社時はどちらに配属となるかわからなかった。結局1ヶ月ほど印刷事業で、その後すぐハコベル担当として異動となったのです。

—— でもその段階ではハコベルはまだ、当時の代表の「頭の中」にコンセプトがある状態でしかなかったわけですよね?

 そうです。当時のラクスル社には30名ほどの従業員がいまして、私は入社1ヶ月で完全に社長室に隔離された状態になったので、あんまり当時のラクスルの人と接点がなかったですね(笑)。 1人だけ別のことやってる人、みたいな感じだったと思います。当時サーバールームとして借りていた場所に、私とCTOと業務委託の人と3人で、ハコベルの構想しかなかったので、ゼロからプロダクトをつくっていきました。

 ゼロから始めるにあたり、海外で当時ウーバーなどのオンデマンドサービスが立ち上がっていくなかで、トラックのマッチングをベースとしたサービスも登場していました。そういったプロダクトをベンチマークにしながら要件定義をし、デモをつくっていきました。
 いわゆるプロトタイプは5月から開発をスタートして8月くらいにはデモでサービスを開始していたと記憶しています。このスピード感はいま考えても、ものすごく早いと思いましたね。

 ドライバーさんを集める、お客様へ営業する、そういうことをやっていくなかで適宜、要件定義を変えていくなどしていました。ドライバーさんを一定数確保する必要があって、営業兼ヒアリングを重ね「こういう業界なのか、だったらこういう機能が必要だな」というふうに判断していった感じです。そこのタイミングではエンジニアがいなかったので、ハコベルとしての『エンジニア1号』となる方が配属となり、みんなでなんとかつくりあげ、1ヶ月半ほどで改善し、ローンチへと至りました。

—— 宮武さんも営業をしていたとは…!プロダクトを誕生させ、サービスを運用していく過程が物流業界の理解につながっていったわけですね。

 ええ。当時は物流業界のことをなんにも知らない素人。それが良い面として機能したのは、オペレーション設計において、既存のオペレーションに引っ張られることなく1から設計し、それに対して社内のオペレーションやドライバーさんのオペレーションを組めたことです。つまり、イチから「こうあるべきでしょう」、という業務フローで設計できたことがよかったことです。

 一方で、当時、実は個人の方に使っていただく想定がありました。たとえば海外で始まっていたような、買い物の帰りにハコベルを使って荷物を自宅に届ける、というようなサービスで開始しまして。ところが、ドライバーさんの話を聞いていくと確実に「これ B to Bの事業じゃないか!」と、わかってきたりして。それじゃあ発注側はスマートフォンアプリだけではなく、PCでの利用を想定したインターフェースが必要だね、などは、運用しながら変えていったわけです。

 その辺はもうちょっと初期にマーケットリサーチすべきだったなと思ったりもします。なので、「物流業界においてリサーチして開発した」、というより「サービスをつくってみて改善していきながら、業界のことも理解していった」。営業がいなかったので自分で営業もしました。運送会社の開拓をしに行ったり、そのたびに「軽貨物ってこういう業界なんだな」とか「一般貨物ってこういう業界なんだな」と、やっていくなかでお客様を介して学んでいき、そこに新たに入ってきた業界出身の石川 瞬さんから学んだりと、少しずつ解像度が上がっていったわけです。

 いまも営業職としてではないですけど、営業担当と一緒にお客様のところで提案をすることはあります。ハコベルは社として現場感をとても重視していますが、私も初期に営業をやったりCSのオペレーションもやったりしてきて、その大切さはサービスをゼロから開発してきたなかですごく共感するところです。逆にいまは「現場と組織」とを行き来しないとならないので、もっと本当はリアリティを高めないとな、と思っているところ。人数の少なかったごく初期には、ほとんどの仕事に携わっていましたから。

—— そしてその後、ハコベルは軽貨物から一般貨物、さらにSaaS事業へと拡大していきます。それぞれ対象者が異なりますが、一環して心がけていることとは。

 結局のところ、私が考えた「最強のシステム」をつくったとしても、使われないと意味がありません。ですから、いろいろな使う方のユースケースを想定したうえで、あまり先を行き過ぎてもいけないですし、きっちりいまのマーケット環境に合わせること。初めての方でも使えるプロダクト、いわゆるわかりやすさ、使いやすさ、機能のシンプルさという観点でも、お客様に寄り添うというところはすごく意識しています。

 さらに、ハコベルのサービスはソフトウェアと輸送のサービスが組み合わさっているので、ドライバーさんは「使いやすかったから使う」という話でもない。もちろん案件がたくさんないと使われないですし、カスタマーサポートのサービスレベルが良くないと使わなかったりもする。そういう、けっこう総合格闘技かなと思っていて、プロダクトはそのなかの一部分を担っています。

 私の現在の業務内容は、大きく分けて軽貨物、一般貨物のマッチング、SaaS事業を横断的に見ています。場合によってはスポットでプロダクトマネージャーとして入る、という立ち位置。主な今後のミッションは、各事業、各プロダクトを通して、半年後、1年後、3年後というところで、「ハコベルとしてトータルでどういうサービス提供していくのか?」といった、プロダクトの戦略を考えることなどがメインになってきています。

 これまで私も先頭で事業をやってきた感覚ですけれども、それを拡げていくというよりもまとめていくというフェーズなので、そこをけっこう考えていますね。「残るものを創りたい」という自分の軸がありつつも、難易度がものすごく高いので、自分の想像よりも前に進めたのだろうか?と自問すると、もっとやりようがあったのかなと思うこともしばしばです。


 会社として考えに考えに考え抜いて行った意思決定でも、タイミングとして結構ギリギリだった、ということもあります。もし1年早くやっていたら、もっと残ってくれたメンバーもいたかもな、とか。そういうことがあるわけです。ふり返ったときに、もっとそういうトライが早くできたかもしれないな、という事象もあり、難しいなと感じています。

マーケットからのフィードバックで「前進」を確認する。難易度の高い仕事だからこそ、変化に対応し興味関心を持ち続けることが必要


—— 先ほど「総合格闘技」と表現されましたが、その重要な根幹であるプロダクトの開発においては、どんなこをと重視しているのでしょう。

 開発プロセスにおいては、一次情報を収集するために能動的に動こう、ということ。ユーザーと直接対話をするのが好き、ということを前提に、そこからニーズを把握すること、ユーザーの要求やリクエストを鵜呑みにするのではなく、なぜその課題が発生するのか理解することと、それを構造化できるということを重視しています。

 具体的には、解決案として浮上したものを事業インパクトから見て課題の優先順位、機能などを考えつくしたうえで総合的にベストだと自己判断してチーム巻き込んで推進していく、といった感じです。さらにどこまでつくるか?みたいな話に対して、ここまではマスト、ここは一定部分あとからデリバリーすればいいよね、といったところを判断して、最後着地をさせる。
 
 また、私の立場としては、ハコベルという会社としての企業価値をどう高め続けていくか?ということが最重要になります。どういうサービスをどういうお客様に提供していくのか、ということをしっかりと能動的にとらえ、「そのなかでプロダクトはどう貢献するのか?」と考える。プロダクトありきではなく会社ありきで、会社の企業価値を高めるための戦略と、それのプロダクトの紐づきをしっかり考えて、チームに共有したり個々のプロダクトに落とし込むことを重視しています。

—— 高い理想、高い志、高いプロフェッショナル性が問われるのですね。信頼の根幹を担うプロダクト開発ですが、どのようなチーム運営なのでしょうか。

 個々のプロダクトごとにオーナーシップを持ちやすい環境であって、そうしたなかで「事業貢献を通してキャリアップする」という考えをチームでも大切にしています。個々のキャリアアップ前提というのでなく、「事業に貢献する」という想いがあって入ってきてほしい。なぜならそれをやっておけばスキルが伸びていくからです。

 ハコベルのサービスは、「やったことが則レスで返ってくる」種のものではないですよね。長い時間軸で価値をコツコツコツコツ、ストックしていくので、プロダクトのデリバリーで「これはすごいうまくいったぞ」というよりも、ふり返ったときに重ねてきた価値に対して、マーケットに評価されている、と感じるケースが多いと思います。

 わかりやすい成果が出るものはないので、たとえばアプリケーションがある程度マーケットに浸透し、ソーシャルメディアなどで褒められることもあれば怒られることもあります。それが起きるというのは一定程度、しっかりマーケットに届いているから何らかのリアクションがあるわけですよね。今回の資金調達もそうですが、業務そのもので評価を感じるというよりも、影響を与えてマーケットからなんらかのフィードバックが返ってきたときに「前進してるかな」というふうに感じられるのだと思います。

 娯楽や利益を追求する性質のプロダクトなのか、インフラや社会課題を解決するプロダクトなのか、異なる性質とプロダクトのライフサイクルがありますから、ハコベルの場合は「事業貢献」の意識を入口に入社していただきたいですね。サービスインしたてのとき、「1配送目がちゃんとマッチングするんかいな?」と思っていて、実際に1本目がマッチングしてオペレーションが回ったときは、ものすごくうれしかった。すごくおぼえているんですよね。

 簡単な事業ではないですから、目の前の課題に能動的に興味関心を持ち、自分をモチベートし続けられることが大事。簡単ではないけれど、変化は豊富にあるので、長い時間を熱中できると思っています。




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