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「就活インポッシブル その2」・・・落とした学生は夫の知り合いだった。


「就活インポッシブル その2」

父親の派遣会社を引き継いだ香苗は、報酬額を理由に派遣されることを断った学生、田中君に腹を立て、夫のマモルに当たっていた。

しかし、田中君が夫の知り合いだと分かり・・・。


「田中君は、俺の友達の従兄だ。
覚えてるかな、結婚式に来ていた少し髪が茶色い山内秀二」

「あの。巻き毛の山内さん?」

「そうさ。その山内の、お母さんの弟の息子だ。
たまたま山内が、田中君の母親が倒れた時、近くにいたらしい。
そんな事もあって、仕事や介護の相談にも乗っていたそうだ。
山内が、時間に融通が利く派遣の仕事を勧めて、君の事を思い出して
俺に連絡してきたんだ」

「何よそれ?聴いてないわよ。聴いてたら・・・」

「聞いてても報酬は変わらないだろう。それなのにコネで紹介したら、断りにくくなる。そうだろう」

「まあ、そうだけど」

「山内も田中君のお母さんの介護にいくらかかるか分からないらしい。
田中君は金を出すと言われるのが嫌で、必要な額を言わないそうだ。
世話になったり、甘えたりするのが辛いんだろうな。

だから、「こういう働き口があるらしいぞ」と
ネットでで見つけてきたように山内は伝えたらしい。
その時に、必ず報酬の事を聞けと言ったのは、俺だ」

「どうして」

「我慢して安い金で働いたら、田中君親子の生活は破綻してしまう。
俺は昔、そんな風に気を使って言い出せないで、生活保護も受けられなくて
金が無くなった時に、自死を選んだ奴を知ってる。
だから、何のしがらみも無く、
必要な報酬と可能な労働時間だけで判断してもらいたかった。
だから、彼と君の会社の条件が合わなかっただけで、
君の値打ちがどうこうという話じゃない」

気にするな、という意味で行った言葉だったが
「君の値打ち」という言葉だけが香苗の頭に残った。

「どうせ、ウチのような中小の派遣会社はクライアントには何も言えないわよ。それなのに、それなのに。
あんな学生にお金のことまで言われて、
上からも下からも言われっぱなしで、私はどうすりゃいいのよ」

「どうもしないよ。君は仕事に感情を持ち込み過ぎだって、今も行ったけど、仕事の価値と君の価値は関係ないだろう」

「感情なんか持ち込んでないわよ。
派遣の社員なんて商品じゃないの。何にも思わず働かせとけばいいのよ」

「商品? 人だろう?
自分の会社の為に働いてくれてる人間じゃないのか?」

「派遣会社なんだから、商品は人。人は商品なのよ。 何か間違ってる?」

「いい加減にしろ! 言い過ぎだろう。
他人の気持ちや事情を分かってやれないで、社長だなんてよく言えるな
香苗。そんな気持ちで他人を見てるんだったら、俺は・・・」

「俺は何よ!」

「もういい。これ以上は止めよう」

「あなた、何を偉そうに言ってるの?
私は、あなたが浮気していることも知ってるのよ。
私が家にいない間に、女を連れ込んでるでしょう」

「またか、そんな妄想はいい加減にしてくれ」

「妄想じゃないわよ。証拠だってあるわ。
帰って来ると、いつもベッドのシールが乱れてるでしょ」

「それは、君が遅くまで寝ているから、俺がシーツを直せないからだろう。
俺の分は直しているよ。とにかくもう俺は寝るから」

寝室にマモルが消えても、香苗はずっと文句を言い続けていた。


二人が結論を出したのは、それから半年後の事だった。


そして、三年の月日が経った桜の花咲く夜。
香苗は都心にある小さなイタリアンレストランのカウンターに座り、
お気に入りのカクテルを頼んでいた。

透き通ったジンに、ライムをひと絞り。

その爽やかな香りが、昼間の疲れを癒してくれる。

背後のテーブル席から歓声が聞こえてくる。
香苗は、このレストランの少し賑やかなところが好きだった。
静か過ぎると、心のすすり泣きまで聞こえてしまう。
送別会や歓迎会まで行われる、この雑多な雰囲気がちょうど良いのだ。

今夜も、テーブル席は賑やかだ。

わっと盛り上がった声に惹かれて振り返った香苗は、
その真ん中に見覚えのある顔を見つけて驚いた。

あの田中君だった。

パリッとしたスーツを着ているが、履歴書で見た彫りの深い顔は変わっていない。

「田中が内定を断った時はビックリしたよ」

「そうね。どうするつもりなんだろうって、みんな心配してたんだから」

「でも俺たち自分の事で精一杯で何もしてやれなかったし」

「いや。応援してくれているのは分かっていたし、
それに、これは俺自身の問題だから」

「か~。ホントお前は良い奴だな。さすが学生のうちに留学して
アメリカのMBA( 経営学修士)を取っただけあるよ」

それを聞いて、香苗は思い出した。

『そう言えば、履歴書にMBAという文字があったような気がする。
履歴書や成績証明書も辞退されたからちゃんと見てなかったわ』

香苗はさらに聞き耳を立てた。

「それで彼女に、介護の為に正社員の内定断って、
派遣の仕事も辞退したって話したら、馬鹿って叱られたんだよな」

「ああ。その日のうちに半ば強引に親に紹介されて、
翌日には、ハンコを押した婚姻届けを持ってきた」

「え~。大胆な彼女~」

「それで、これなら幸せも苦労も半々よ。
家事も半々、義母さんの介護も半々って言ってくれたんだよ」

「本当に彼女は、家事やるみたいに介護もやってくれるんだってよ。
羨ましい限りだよな」

「俺だってやってるんだぜ。任せっきりじゃない」

「それは知ってるわよ。飲み会に来たのも卒業以来だもんね」

「それで、その後、どうしてたの?」

「ああ。妻のおかげで時間が出来て
新しい資格も取れたし、スズチュウ商事にも就職できた」


「え?」

香苗は思わず声を上げそうになった。
数年前から取引しているクライアントだったからだ。


「それも妻だよ。お母さんに介護が必要なら、いっそのこと、介護の会社に就職しちゃえば?って言ったんだ。そんな発想無かった。俺には。
おかげで最新の介護用品が試せるし、母が徘徊して早退しても、皆で仕事を助けてくれる」

「介護用品だけあって、理解があるのね」

「それだけじゃない。田中の実力さ。
同じ時間で人の倍仕事をこなすからな。
こいつ。一年就職浪人してたくせに
資格手当もついて、俺たちより給料が良いんだもんな」

「くせにとはなんだ、くせにとは」

「そうよ。田中君の実力があったとしても、まず奥さんに感謝しないと
そんな人他にいないわよ。
佐藤君の奥さんなんて、ちょっと給料が下がったら
子供置いて実家に帰ってちゃったんだって」

「それ、今言うか」

「ははは」

テーブル席の爆笑が、香苗には辛かった。
自分には、そんなサポートしてくれる人はいなかった。
夫とは離婚し、会社も徐々にスタッフが辞め、
現在の規模は三年前の半分ほどになっている。

テーブル席の笑いが収まったところで、
田中君が真剣な顔をして話し始めた。

「あの時、徘徊する母親も報酬が安いと言ってくれたあの会社にも
今では感謝している。
人間、がけっぷちに立つことも大事なんだと思ったよ。
ギリギリのところで踏ん張るきっかけをくれたんだから」

「だんだん、どんどん。ちゃらりー、ちゃらりー」

「何それ。茶化すのは止めなさいよ」

「茶化してるんじゃないよ。 ほら、ミッションインポッシブルって映画あっただろう。あんな映画のテーマソングさ。
田中の奥さんが、介護したり、徘徊するお母さんを追いかけたりする時に
口ずさむんだって」

「どういう事? 田中くん」

「うん・・・。」

「教えてやれよ。田中。この先参考になるかもしれないぜ。
俺は結構好きだしな。ちゃらりー」

「そうだね。少し参考になるなら。
認知症ってさ、いろいろ大変な事があるけど、やっぱり徘徊が大変なんだよ。家を抜け出したのを外で見つけても、急に声を掛けちゃダメなんだよね。小さな驚きで記憶が混乱する事があるんだ。
『あなた誰?』って言われることもある。
俺の母親の場合は、しばらく後を付けてから声を掛ければ、
正気に戻る事が多かったんだ」

「大変ね」

「でも妻はそれを楽しんでやってくれたんだ。
あのテーマ曲を口ずさみながら、楽し気にやってるのを見て、
本当に助けられたよ」

「はいはい。結局ノロケかよ。今日は田中の奢りな」

「賛成。ご馳走様」

「え~そんな」

「君、もしくは君の財布が空になり、よくできた奥さんに怒られたとしても
当局は一切関知しないので、そのつもりで。成功を祈る」

「かんぱーい」

「だんだん、どんどん。ちゃらりー、ちゃらりー」

笑い声と一緒に、ミッションインポッシブルのテーマ曲が聞こえてきた。

香苗は、自分の左薬指を触った。指輪の跡が白い。
それ以上に、田中君の明るい笑顔が眩しかった。
バーテンダーがグラスを差し出して来た。

「お待たせしました」

「ありがとう」

バーテンダーは、少し戸惑った顔をしてうなずいた。
レストランでもバーでも、香苗が礼を言うのは珍しい。

後ろを見ることなく香苗は、グラスを軽く上げた。

「おめでとう。田中君」

爽やかなカクテルが、最高に美味しく感じられた。

理解してくれる人がいて、諦めない希望を持てば、幸福はやって来る。

          

           おわり





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