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「追跡香(ついせきこう)」・・・紫陽花の香りが導く先には。


そろそろ紫陽花が色づいてきましたね。
季節に合わせてこんな短編は如何でしょう。

「追跡香・紫陽花の香り」  作・ 夢乃玉堂

「あなたの彼氏の卓也と日曜日にデートしたからって、
わざわざ私に言いに来たんですよ、裕子の奴。
ね。酷いでしょう」

私は、三日前に学食で起こった出来事を
研究員の三崎さんに報告した。

「いいよ。夏奈くん。その調子でもっと怒って」

三崎さんは、薬棚の試験管やビーカーをいじりながら、
どんどん煽ってくる。
私は、遠慮なく怒りをぶつけた。

「ちょうど、ハンバーガーにかぶりついたところだったから
喉がつかえて反論も出来ないし。
ああ。もう思い出すだけで腹が立つ」

「OK。そろそろ良いだろう。これを嗅いでみて」

三崎さんはガラスの瓶の一つから
小さな紙をピンセットで摘まんで差し出した。
このパフューム・テスターの香りを嗅いで
感想を伝えるだけ。化粧品会社のバイトって超楽だ。

目的は高ぶった気持ちを抑えるアロマオイルの開発。
最近腹が立った出来事を思い出してから、
サンプルの香りを嗅いでみる。
それで気持ちが落ち着けば成功らしい。

「どうだい?」

「そうですね。新緑の林みたいな香りがします。
森を散歩してると急に回りが静かになるあんな感じ。
ああ。なんだか裕子への怒りが収まって
親友の姿が頭に浮かんできました。
千恵美って子なんですけどね。
その時もちょうど横にいて、食べかけのハンバーガーで喉を詰まらせた私の背中を優しくさすってくれたんですよ。
でもその子変わってるんですよ、フフフ。
ってこんな話、実験から逸れちゃってますかね」

「いや。構わないよ。続けて」

三崎さんはメモを取りながら私を促した。

「千恵美は時々変な言い回しをするんです。
その時も、『ぎょへ~! 夏奈殿。彼氏とは大丈夫でござるか?』
とか言って、心配してくれてるのは分かるんだけど・・・
ちょっとオタクなのかなぁ、見た目も地味だし。
流行りの服を着てお高く留まってる裕子とは正反対。
裕子は親がお金持ちだから我が儘なんですよね。
そもそも日曜日は一日中、彼氏と一緒だったんですぅ。
きっと裕子は、すぐバレる嘘をついて他人の幸せを壊す、
ラブ・クラッシャーなんですよ!
あ、すみません。もう怒りが戻っちゃいました」

三崎さんはストップウォッチを見て、時間をメモした。

「はい。オーケー。ええと32秒か。
この香りはあまり鎮静効果がなさそうだな。
じゃあ、次はこれね」

真面目な研究員・三崎さんは、
女子大生の人間関係などには全く興味がないらしく
無表情のまま次の実験の準備を始めた。

何だか一人で怒ったり笑ったりして、
馬鹿みたいだなと思っている私の前に
三崎さんは薬棚から降ろした
薄紫と黄色の瓶を並べた。

そして、薄紫の瓶に入った透明な液を
一、二滴テスターに垂らして差し出してきた。
私は紙を手で仰ぎ、匂いを嗅いでみた。

「何も香りませんけど」

「そう。こっちは?」

今度は、黄色い瓶の液を垂らしたテスターだ。

「これはなんだか、爽やかな香りがします」

三崎さんは、いたずらっ子みたいな目つきでこちらを見ている。
実験が核心に近づいた時の顔だ。

「それじゃあ。後の方を鼻に当てながら、
もう一度最初のを嗅いでみて」

ちょっと警戒しながらも
私は言われた通りに二枚のテスターを重ねて嗅いでみた。

「うえ。生臭い。さっきと全然違う、
じっとりとした苦い食べ物を口に含んだ時みたいな
いや~な感じの匂いです。
でも別々に嗅いだら何も感じなかったのに・・・」

勝ち誇ったように三崎さんが答えた。

「最初のは紫陽花の葉から、
二つ目はカタツムリの分泌液から抽出したアロマなんだ。
余り知られてないけど、紫陽花の葉には毒があって、
カタツムリは近づかない。
だからこの無色無臭のアロマも、合わせると嫌な匂いに変わる。
一種の警告反応を利用しているんだ。
江戸時代には、追跡香(ついせきこう)と言って
盗賊を捕まえるのに使われていたらしい。
まず盗賊に紫陽花の香りを吹き付ける。
香りが無いから、気付かれないうちに移り香が広がっていく、
その後でカタツムリの香りを使えば、盗賊の仲間が隠れていても
すぐに分かる、というわけさ」

「でも、カタツムリが紫陽花の葉っぱに乗ってるイラストとか
よくありますよね」

「あれは人間が生み出した勝手なイメージ。
香りを知らない人が作りだした、いわば妄想だな」

私の疑問を一蹴して、三崎さんは仕事の話を始めた。

「それで。今回の仕事なんだけど、
この追跡香が、今の社会生活の中でも効果があるか確かめたいんだ。
夏奈くん、この二つのパフュームを持って帰って、
友達同士で試してみてよ。
誰かに黙って匂いをつけて、誰にどういう行動で香りが移るか
確かめて欲しいんだ」

「え~。友達を騙すみたいで嫌ですよ」

「大丈夫だよ。二つのパフュームを合わせなければ、
香りはしないんだから。友達には気付かれないよ」

「でも、交友関係を知る事になるんでしょお~。
あ、もしかして三崎さん。実験にかこつけて、
彼氏の浮気問題を煽って面白がるつもりでしょう。
そうはいきませんよ。私たちラブラブですから!」

「へ? 何が?」

三崎さんがキョトンとした。
しまった! 
研究者は女子大生の恋話なんかに興味無いんだった。

結局、独り相撲を取ったような恥ずかしい気分になったのと、
魅力的なバイト代に惹かれ、私は仕事を引き受けた。

日曜日は実家の法事があって会えないという卓也を
土曜日の内に我が家に呼び出してステイホームデートをした。

『卓也、御免ね』

実験台にすることを、心の中で詫びながら
脱ぎ散らかした卓也の服に
私はこっそり紫陽花の香りを吹きかけた。
特にパンツには念入りに吹きかけた。
確かに匂いは全くしない、これなら卓也に気付かれることはないだろう。

そして、週明けの学食。ついにその時がやってきた。
いつものようにハンバーガーを食べていると、
例によって裕子が近づいてきたのだ。

「日曜日にあなたの彼氏とデートしたわよ」

もう聞き飽きたセリフだ。
それに卓也は日曜日、法事の筈だ。

私は口を拭うふりをして、
カタツムリの香りを滲みこませたハンカチを鼻に当てた。

「卓也。信じてるから・・・」

覚悟を決めて大きく息を吸い込んでみる。

・・・匂いがしない!

良かったぁ。やっぱり浮気は無かったんだ。
心の底にあった滓のような不安が一気に吹き飛んだ。
ラブ・クラッシャーの嘘になんか負けるものか。

その時私は、おそらく世界一幸せな顔をしていたのだろう。
ニコニコと笑い続ける私にあきれたのか、
裕子は怪訝な表情で学食を出て行った。

入れ替わるように、慌てふためいた千恵美が飛び込んできた。

「ぎょへ~! 全くあの女、諦めが悪いのぅ。
なぜあんな余計なことを言うのであろうか。
卓也殿と夏奈殿は、お軽と勘平。ロッキーとエイドリアン。
離れていても、固く結ばれたオシドリ夫婦なのに」

「やぁだ。まだ夫婦じゃないわよ」

千恵美の大げさすぎる褒め言葉が可笑しくて、私は思わずハンカチで口元を隠した。
その途端、生臭く苦い匂いが鼻を突いた。

「え? これは」

確かに研究室で嗅いだ匂い、さっきはしなかったのに
どうして今?

目の前では相変わらず千恵美が、
ベストカップルについて熱く語っている。
私は、もう一度ハンカチを鼻に当てた。
やはり生臭い嫌な匂いがする。
少し気持ち悪くなって、思わず顔を逸らした。

その目線の先、学食から続く渡り廊下に裕子が立っていた。
裕子は、渋い顔をして憎らしげに私を見ている。
いや、見ているのは私ではない。千恵美だ。
卓也の浮気相手は、
目の前にいるオタク女だったんだ。

私は、話し続ける千恵美を遮った。

「ねえ。カタツムリは、
絶対に紫陽花に近づかないって知ってる?」

「へ?」

あっけにとられる元親友を置き去りにして、
私は学食を出て行った。

廊下で腕を組んで待ち受けていた裕子が話しかけてきた。

「やっと気が付いたのね。
私、千恵美と卓也君がホテルに入るところを偶然見ちゃったの。
でも、あの子はいつもあなたの側いるから言いづらくて。
だから嘘の浮気自慢をして、『あなたのやってる事、知ってるわよ』って千恵美に警告を与えてたのよ。
大事(おおごと)になる前に浮気が終われば、それがベストでしょ」

私は、裕子を誤解していた。
敵も味方も分からないで御免なさい。
反省しきりの私に、裕子は続けた。

「それに、直接伝えるのはちょっと野暮だし、浮気の可能性を
匂わせるくらいの方が、見てて面白いかなって思ったのよ」

前言撤回! やっぱりこいつは、ラブ・クラッシャーだ。
私は周りの目も気にせず叫んだ。

「人の恋愛で遊ぶんじゃねえよ。この匂わせ女が!」

女たちの裏の顔は、アロマのバイトのようには、
簡単に嗅ぎ分けられないのであった。

  おわり

修正改訂




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