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「もはやホラーだ」・・・後悔した演劇。久々の苦行だった。



「そら。キミたちには分からないだろう。ふふん」

舞台上から客を嘲笑している声が聞こえてくるようだ・・・そんな演劇を見てしまった。

それほどの数を見ている訳では無いが、数年に一度、劇場を訪れたことを後悔する演劇やイベントに出会う事がある。

会場はそれなりに知られた劇場。

客席に入ると、うすぼんやりと明かりの灯った舞台に、左右非対称に組まれた美術セットが目に入った。
何やら怪しげな雰囲気がする。これは期待が持てそうだ。

だが、始まって十数分でその期待は打ち砕かれ、
30分も経つ頃には、「早く帰りたいよ~」と心が叫び始めた。

私だけではない。会場全体が同様の感覚を持っているようで、そこかしこで体を動かしたり、子供連れの観客も子供たちが落ち着かなくなっている。

動きの少ない演劇である。
「やってますよ」という気持ちが、たっぷり伝わって来る棒立ちの役者を眺めながら、寒々しい炬燵トーク的セリフが延々と続く。不明瞭なセリフが噛み合わない会話劇を聞くだけの苦行のような時間が、ただただ過ぎていく。

いっそのこと、炬燵のセットで語り合うシチュエーションにして、早口で日常会話的ツッコミをした方が、コメディにしたいという作者の狙いは伝わったかもしれない。

勘違いされないように言っておくが、世間話的なセリフや、炬燵でするようなトークのセリフが悪いわけではない。
ほっこりする緩い雰囲気の中に、鋭い視点やセリフ、意外性のある心地よい裏切りがあれば、十分に楽しめるし傑作にもなり得る。

ところが今回は全くそんなものは無かった。

例えるなら、実相寺昭雄氏に憧れる映画監督が、やたらにカメラアングルに拘って作った「ただ見づらいだけの映画」や、野田秀樹氏に憧れた戯曲作家が書いた「ただ多弁で思わせぶりなだけの舞台」のような感じである。

その結果、難しい社会問題を扱っている割には、どうにも空回りしていて絵空事のように聞こえる。
演者たちも内容を深くレクチャーしたり、討議したりしていないのか、生煮えのセリフを並べるだけ。又、それを補佐する演出の工夫も感じられない。

観客が『分かりにくい』と感じる事で現実問題における『不透明さ』を伝えようとしているのか、それとも『早く帰りたい』という気持ちを持たせて、『元に戻せ』というテーマを実感させようという狙いなのか・・・

そんな風に深読みしたくなったが、
それにしては、重要な単語も伝わって来ない。

終演後、裏取りをする為に、後悔するのを覚悟で戯曲を買ってみた。
それでようやく、戯曲上に描かれている意図や狙いが、おぼろげに理解できた。
しかし、その理解できた内容は、ポスターに書かれていたキャッチコピーや解説を1mmも出るものでは無かった。

ホワイエでどこからか聞こえてきた「きっと出演者だって理解してないよ」
という呟きが印象的だった。

「久しぶりに後悔したね。前半三分の一でもう帰りたくなった」

同行した者がそんな言葉を発した。自分も同感だった。
それほどの数を見ている訳では無いが、数年に一度、劇場を訪れたことを後悔する演劇に出会う事がある。

なぜ、こんな舞台を見てしまったのか!
それは、個人的に好きなジャンルの「キーワード」がタイトルに使われていて、その言葉に誘われてチケットを買ってしまったからだ。
それでもただ一つ、今回の芝居で得た教訓がある。

「好きなキーワードだけで演劇を選んではいけない」

である。肝に銘じよう。

公演は既に終了しているので、皆さんが地雷を踏むことは無いだろうが、まさかという作品が何かの間違いで再演されることもある。
その時は運が悪かったと思っていただきたい。

そして、私がそうしたように、大急ぎで帰宅し、大好きな映画の一本も見て怒りを鎮める事をお勧めする。

             おわり

*何より恐ろしいのは、この記事が示す演劇が、数日にわたり実際に公演されたという事である。
作品のタイトルや会場、出演者などについては、あえて書き記しません。


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