ぐるる

26になっちやいました。人生滑稽だな、あっはっは。

ぐるる

26になっちやいました。人生滑稽だな、あっはっは。

最近の記事

30歳の私へ

27歳の誕生日を迎えた。 1月3日という日は、誕生日をしにくい。 子供の頃は家族もみんな揃ってる休日だから嬉しかったけど、大人になると毎年なぜだかいろいろ考えてしまう。 友達はお正月で一家団欒してるだろうし(そもそも自分の誕生日に「遊ぼ!」なんて言える性格じゃない)、次の日は仕事始め、これといって1人でやりたいこともない。いっそ会社がある日なら気を紛らわせた。誕生日は楽しく過ごすべき呪縛に、毎年プレッシャーを感じている。 そして、今年は元旦に大地震が起きた。 私ひとりが誕

    • なんとか、やりきった。

      1年、生きられました。 「死にたい」から「もう死ぬだろうな」と、ぼんやり確信していた今年。“ぼんやり”と“確信”は合わないね。1月3日の誕生日に入れたタトゥーは、26歳が人生の最後になってもいいように、記念碑兼お守りみたいに自分に刻んだ。生きてた証がまだ私の身体にある。 おかしなもので、たくさんの絶望を埋めるかのようにたくさん思い出ができた年でもあった。社会人になってからこんなに充実してたのは初めてだろう。充実といってもたぶん周りに比べたらちっぽけなことで、でも私には文字以

      • 眠れない夜に、こんばんは。

        私はまだ生きてます。 この2ヶ月半、休職をして8月から同じ職場に復帰することになった。今の仕事を辞めることも、地元に戻ることも、転職することも、もちろんいろいろ考えた。同僚には「このまま辞めると思っていました」と何回も言われた。どうしてこういう結論に至ったか、ちょっと整理させてほしい。 適応障害というものになって、病気のことをたくさん調べた。1番の対策は『原因となるものから離れること』。たとえば、職場・家庭・人間関係。でも私は、はっきりとした理由がわからなかった。だんだん

        • 山羊座っていっつも耐えてばかりだなぁと思います。ぜんぶ星のせいですか?

        30歳の私へ

          どれだけ泣いても、涙は枯れないらしい。

          今年の1月で26歳になりました。 適応障害と診断されて5ヶ月。騙し騙し働いていたけど、医師に「休みましょう」といわれて先週から休職になった。ホッとするのも束の間、というか『ホッ』となんてしてたぶん一瞬もしていない。今日も今日とて、家で1人パニック発作を起こしてしまい、生きているのが辛くなった。 食べられないと死ぬ気がするし、食べすぎると死にたくなるし、適度な食事の量がわからない。 昔「好きな人、将来結婚する人にも一生言えない秘密があるか」と問われたことがある。その時は「な

          どれだけ泣いても、涙は枯れないらしい。

          しんどいと言葉にできること。

          木曜日、適応障害だといわれた。 いまの自分のつらさに何か名前がつけば、そう認められれば楽になると思ったが、現実になるとなかなか受け止めきれないものがあった。 幸か不幸か、私の友達にも2人同じ症状の子がいる。痛みをわかってもらえる、誰かに共感してもらえるだけ、まだよかったのかもしれない。よかったなんて、軽々しく言ってはいけないのに。 薬の副作用なのか、ただ座ってるのも携帯を片手で持つのもしんどくて、どうってことない日常すらも営めないのがくるしい。苦しさが滑稽だと思う。 いままで

          しんどいと言葉にできること。

          いつのまにか、ここにいる。

          想像してみた10年後の自分。 「AKBのライバルグループのセンターの子が君に似ている」 今でも覚えている。 担任にそう言われた、中学3年生の帰りの会のとき。その日の朝、めざましテレビで取り上げられていた。ちょうど乃木坂46がデビューする直前、メンバー誰1人「無名」の頃、たったその一言で私は乃木坂ファンになった。同時に、それを知った母親もファンになった。 あれから11年が経ち、2022年の11月4日、当時最年少だった齋藤飛鳥ちゃんの卒業発表。数年前に私自身はオタクは卒業したけ

          いつのまにか、ここにいる。

          死にがいを求めて、生きているの。

          ありきたりな話です。 私はHSPだ。正しくは「そう思いたい」。知っている人は知っている、知らない人は知らないで、ありきたりな話を聞いてほしい。「あぁ、またその手の話ね」なんて思いながらでもいい。 まったくもって、これに気がついたのも最近である。過去を振り返れば、断片はたくさんあった。高校生の時、勉強中に時計の針の音がどうしても気になって壁から外したこと。友達にスマホを見せたら「なんでこんなに画面暗いの?」と1番明るくされたこと。近くにいる人、物、その空間の匂いがやけに気にな

          死にがいを求めて、生きているの。

          いつか、って待ってるうちは来ないみたい。

          「いっぱい遊んでて楽しそうだね」 そんな言葉をかけられる。 マッチングアプリでいろんな人と会ってきた。ワンナイトもあったし、セフレになった人もいた。むろん、いつだって私は、たった1人、愛せる人が欲しかっただけだ。 たくさんの『いいね』をもらい、どれだけの人と会っても、誰かの1番になれないことがこんなにも虚しいだなんて思わなかった。いつか自分のことをわかってくれる人がいると、そんな願いを込めたところで叶うわけはなく、出会いと別れの消費でしかなかった。疲れる。 こんな私を「遊ん

          いつか、って待ってるうちは来ないみたい。

          儚さは勝手。

          「マクベス解散します」 友達の男の子3人がルームシェアをしている。アパートの8階、男臭さが全くない、リアルPOPEYEなお部屋である。以前、勝手に親友と呼んでいる男の子の話をしたが、彼もそのうちの1人だ。自分では「俺が神木隆之介だ」って言っていた。なんでも、来年1月をもって一緒に住むのは終わりだって。私はすっかり、有村架純ちゃん気分で、どこか喪失感を覚えている。 「いつでも来ていいよ」と、言ってくれた。いつでも行っていい場所が私にできた。それってとてもすごいことで、仕事場

          儚さは勝手。

          ペース、乱しがち。

          新卒から2年間勤めた仕事を辞めて2ヶ月が経った。明日から新しい職場で働く。前職を辞める前、仕事を辞めたいという気持ちと、仕事を辞めたところで、自分はまともに働き続けられない社会不適合者なんだという自覚、もう働けなくなってしまうんじゃないかという葛藤があった。新卒の就活もうまくいかなかった人間が、辞めたところでこれからどうするの。「仕事が楽しい」「やりがいがある」と言っている周りの友人たちと、毎日仕事を辞めたい私とでは、一体なにが分かれ道だったのだろう。騙し騙し生きていた2年間

          ペース、乱しがち。

          チョイスは、チャンス?

          たとえば、どんな選択をしていれば、あの子みたいになれたのだろうと、意味もなく考えてしまう。私は基本的に、自分が下した決断に後悔はしない。後悔していないと思いたいのかもしれない。ただ、こういう疑問が生まれてくる時点で、やっぱり、「別の現在」を望んでいたところは少なからずあるのだ。 たとえば、あのとき地元の成人式に行っていれば?いまも帰省すれば会える友達がいたのだろうか。「地元最高!」なんてSNSに写真あげちゃうのだろうか。大学卒業したら地元で就職しようと思えたのだろうか。 昔

          チョイスは、チャンス?

          幻に、よろしく。

          実家の本棚にあった、おそらく母が買ったのであろう本を、こっそり持ち帰ってきた。川村元気著『世界から猫が消えたなら』。数年前、飛行機でこの映画を観て、すぐに母親に勧めた。その原作である。読み終えたあと、この本をこっそり持ち帰ってきたことを少し後悔した。母が二度三度読み返すかは分からないが、母の手元に置いておくべき本だったような気がした。 実家には、ハルという犬がいる。正しくは漢字かひらがな表記なのかもしれないが、私はカタカナで呼んでいる。美形でスマートでかしこくてあざとくて、

          幻に、よろしく。

          あん、ハッピーエンド。

          私の母親は「ハッピーエンド」がすきだ。映画やドラマ、漫画でも、幸せな結末を望む。そのため母はネタバレしてでも結末を知った上で、物語を楽しむ人だった。(ちなみにこれに関しては私もネタバレしたい派で、展開を知っていた方が物語の最中に「これはどういうこと?」と悩んで気を取られずに済むし、結末がどうなるんだろうというハラハラ感より安心して読み進められることを求めていたりする。小説なんかだと先に最後の1ページ読んでから読み始める。大学のゼミでこの話になった時、「ネタバレなんて絶対嫌!!

          あん、ハッピーエンド。

          実家での表情筋の使い方。

          田舎に帰ってきた。もう2年半ぶりになる。東京では半袖の部屋着で過ごしているのに、こちらはまだストーブを炊いていた。父親の額が後退していたことと、トイレに飾ってある造花が増えていたことを含めて、ちょろちょろと家の中も変化している。なんだか懐かしいような、でも私の知らない家のような気がして少し落ち着かない。父曰く「母さんが仕事辞めてから時間ができて、やたら整理しちゃったんだよ」とのこと。しかし私の部屋に関してはほとんど手をつけず、家を出たときのままにしておいてくれてある。大量のシ

          実家での表情筋の使い方。

          心の友よ、ジャイアン。

          「親友と友達ってなにが違うの?」 誰しも一度は考えたことのある議題ではないだろうか。小学生時代、やたらめったら「親友」という言葉を乱用しては、「あなたと私は1番仲がいい」協定を結んでいた。そのときは本当に仲が良かったのかもしれないが、ある意味、揺らぎそうな関係を言葉で周りから固めていただけなのかもしれない。当時、「ズッ友」「心友」「2娘1」「一期一会」など、ザ・友情⭐︎みたいな言葉やそれが書かれた文房具が流行っていた。(今思い返すと鼻で笑ってしまいそうになるのだが、こういうの

          心の友よ、ジャイアン。