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チョイスは、チャンス?


たとえば、どんな選択をしていれば、あの子みたいになれたのだろうと、意味もなく考えてしまう。私は基本的に、自分が下した決断に後悔はしない。後悔していないと思いたいのかもしれない。ただ、こういう疑問が生まれてくる時点で、やっぱり、「別の現在」を望んでいたところは少なからずあるのだ。

たとえば、あのとき地元の成人式に行っていれば?いまも帰省すれば会える友達がいたのだろうか。「地元最高!」なんてSNSに写真あげちゃうのだろうか。大学卒業したら地元で就職しようと思えたのだろうか。
昔から、一度離れ離れになった人と会うのが苦手だった。「高校行っても仲良くしてね」「毎日メールしようね」なんて言ってた友達にも、会わなくて全然平気だった。とくに会いたくもならなかった。執着しない子どもだった。ばったり昔の同級生を道で見かけても「きゃーひさしぶりー!」ではなく、相手に見つからないうちにどこかへ隠れていた。気まずさもあるが、過去と今の自分を比べられるのが怖かったのではないかとも思う、それか、そこまで大切な友人ではなかったのか。
小学生のとき同じクラスだった男の子が地元で美容師になった。彼のSNSには、私もよく知っている同級生たちが、おしゃれな髪型にあの頃よりもちょっと大人びた顔をして、写真の中で笑っていた。もし、成人式に参加していれば、そこに私の写真も並んでいた確率は何パーセントだったのだろう。

たとえば、もっと痩せていて可愛かったら、あのときダイエットに挫折しなければ?勇気が出て好きだった人に告白できたのだろうか。それとも他の人に告白されて付き合ったりしたのだろうか。LINEのアイコンを自分の子供の写真にしている同い年の幸せそうなあの子と、いつまで経っても1人で布団の中にいる私と、なにがどう違ったのだろうか。
「彼氏ができない」なんて言う私に、「タイミングだよ」と言う友人。タイミング?あるものなら教えて欲しかった。タイミングなんてはかってても来ないということは、大人になればもう分かっていた。容姿?性格?フットワークの重さ?なんでもいいから、私が好かれない理由を言ってくれ。もし、もっと可愛くて性格も良くて細くて素敵な女性だったら、今頃は結婚して一児の母になっていた確率は何%だったのだろう。

たとえば、もし。と願い、万が一過去に戻れたとしても、私はきっとまた同じ選択をすると思う。戻れる回数が1度だけならなおさらだ。それはどこかで、もう自分に諦めているからなのかもしれないし、「もしも」と言っておいて、さほどそれを願っているわけではないのかもしれない。結局、いやいや生きてきた今を、それなりに納得しているんじゃないかと思う。
だからそうだなぁ。
たとえば、パラレルワールドがあるならば、別の現在で笑っている(笑っていてほしい)自分を見てみたいなと、そのくらいの気持ちでいる。

たとえば、どんな選択をしたら、今の私が笑って生きていられるのだろうか。

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