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心の友よ、ジャイアン。


「親友と友達ってなにが違うの?」
誰しも一度は考えたことのある議題ではないだろうか。小学生時代、やたらめったら「親友」という言葉を乱用しては、「あなたと私は1番仲がいい」協定を結んでいた。そのときは本当に仲が良かったのかもしれないが、ある意味、揺らぎそうな関係を言葉で周りから固めていただけなのかもしれない。当時、「ズッ友」「心友」「2娘1」「一期一会」など、ザ・友情⭐︎みたいな言葉やそれが書かれた文房具が流行っていた。(今思い返すと鼻で笑ってしまいそうになるのだが、こういうのだって社会で働く大人が作っていたんだよなと余計なことをしみじみ考える。)私もそういう類のメモ帳を使っていたし、プリクラの落書きは大抵これだった。なぁにが心の友だい。私のこと無視したくせに。ぐちぐち。周りの女の子、もれなく私もやたら友情を誇示したがったけど、男の子同士でも「親友」って特別な括りに拘ったりしてたのかな。まぁ結局、その頃の「ズッ友」や「2娘1」は進学やクラス替えの影響を受けて簡単に崩れるものだったわけだ。

先日、親友が誕生日を迎えた。正しくは、親友だと一方的に思っていたい友人が、誕生日を迎えた。その友人は同い年の男の子で、出会ってから5年目を迎える。俳優の本郷奏多くんが、友人の神木隆之介くんの話をするときに「僕は芸能界で友達は神木くんしかいないけど、神木くんはすごい友達が沢山いるから僕にとっては1分の1でも彼にとっては多分100分の1」ということを言っていて、簡単に言うと私と彼もそんな関係だと思う。人気者でセンスが良くてなんでもサラッとこなしちゃって(こなしてるように見える)たぶん小学生の時は足が速くてモテたタイプ。私にとって、友人であり憧れでありヒーローみたいな存在なのだ。奏多くん、あなたの神木くんへの気持ちにとても共感する。

19歳だった私に彼はたくさんのことを教えてくれた。andymori、銀杏BOYZ、teto…といったどちゃくそかっこいい音楽のこと。(ストライクゾーンが何事も狭い私だが、彼の音楽の趣味は偶然にもクリティカルヒットだった。)太めのジーンズはイケてるということ。渋谷の夜には「スターさん」という御用達のカラオケのキャッチがいるということ。朝まで友達と飲み明かすのは楽しいということ。喫煙所にみんなで集まってぷかぷかするのは良い時間だということ。痔が痛いということ。
私にとって1分の1であるように、その1年で1番楽しかった日はいつも彼が一緒にいた。無条件でテンションを上げさせてくれる存在というのは、根暗な人間にはとても貴重である。その日は「あぁ、今日は楽しかったな。また会いたいな」と穏やかに眠ることができる。ん、穏やかは少し嘘、「いつまで仲良くしてくれるのかな」と感傷的になったりする。

彼に「仕事を辞めた」と伝えたとき、私が田舎に帰ってしまうんじゃないかとだいぶ心配してくれたらしい。「大切な人が急に消えちゃうんじゃないかと思った。俺は生まれてからずっと東京だから分からないけど、東京が辛くなったのかなって。人生で初めて挫折みたいなもの、するかと思った」と、ボソッと言っていた。そのとき嬉し泣きしちゃうかと思った、泣いてはない。私が一方的に大切だと思っていた人に、「大切な人」と告げられることはこんなに嬉しいのか。両想いってこんな感じなのか?すげぇ嬉しいじゃん。彼のこの気持ちを聞けただけで、会社辞めた意味さえ見出せてしまったのだった。

実は、本当にこっそり、絶対に言えないけど、もし彼が結婚式を挙げるとしたら私が友人代表としてスピーチしたい。そして、私の結婚式には彼にスピーチしてほしい。と、こっそり思っている。100分の1の存在なので淡い夢ではあるが、私が、祝いたい。同時に、彼に選ばれたいという願望も含む。故、親友と友達の違いについて個人の結論を述べるなら、「友人代表として結婚式のスピーチをしたい、されたい人」だ。ちなみに、言いたい言葉だってもう考えてるもんネ。

大人になってから「あなたのこと親友だと思ってる」と伝えるのはわりと恥ずかしいことなんだと知り、親友と思いたい人がいることはとても尊いことだと知った。いつか伝えられたらいいな。君は親友だ、君がなんと言おうと私には親友だ。だからこれからもよろしくね。幸せになってくれ。

「いつか」はお察しのとおり。


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