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いつか、って待ってるうちは来ないみたい。

「いっぱい遊んでて楽しそうだね」
そんな言葉をかけられる。

マッチングアプリでいろんな人と会ってきた。ワンナイトもあったし、セフレになった人もいた。むろん、いつだって私は、たった1人、愛せる人が欲しかっただけだ。
たくさんの『いいね』をもらい、どれだけの人と会っても、誰かの1番になれないことがこんなにも虚しいだなんて思わなかった。いつか自分のことをわかってくれる人がいると、そんな願いを込めたところで叶うわけはなく、出会いと別れの消費でしかなかった。疲れる。
こんな私を「遊んでる」という人もいて、まぁたぶん客観的に見れば間違ってはいないのかもしれない。軽蔑する人もいるだろう。
「やらなきゃいいじゃん」と呆れる人、もちろん同意の上でやっているのだが、ただ会って初日でそういう誘いをされる時点で何もかも諦めてしまうのだ。私だったら、本当にいいなと思った人にそんなすぐ手は出せない。断るのも面倒だ。どうですか?会って初日でやるって、男の子の意見を聞きたいです。

そうこう繰り返しているうちに、男の子と別れた後、電車の中で、毎回涙が出るようになった。
「あぁ、まただめだった」
「あんなに電話やLINEをして、この人なら大丈夫だと思っていた」
結局のところ、全て期待してしまった自分が悪いのかもな。
セックス依存症?マッチングアプリ依存症?
身体しか、やれないと価値がないんだと本気で思った。あぁ、重い話。

彼氏が欲しいのか、と問われれば。うーん。なんだろうね、一緒にいてくれる人が欲しい。ただ、そばにいて欲しい。デートがノルマみたいになるのは嫌だし、別にいちゃいちゃしたいわけでもないし。落ち込んだ時にそっと擦り寄って来てくれる猫みたいな、ごはんだよと声をかけたら駆け出してくる猫みたいな、猫飼ったことないからわかんないんだけど。いわば、家族なんだと思う。彼氏もできないのに、こんな願いは贅沢なんだろうか。

1人で生きていけるもの、私だって。ちゃんと稼いでるし、生活してる。たまには洋服だって買える。むしゃくしゃした時には大人買いだってできる。なのに、こんなに誰かの存在を求めてしまう。

LINEの友達の、もう仲良くもない友達の、苗字がさ、どんどん変わっていくんだよね。

慣れたと思っていた孤独に、また寂しさを感じるようになり、どうにもこうにも、まだ25歳。もう25歳。初めてnote書いた日、私21歳。着実に生きてしまっているのだ。

邦画、好きな人がいたら話しましょう。
小説、おすすめなんですか?
明日、どうやって生きていこうね。
まだ、誰かと繋がっていたいみたい。
散文でした。

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