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死にがいを求めて、生きているの。
ありきたりな話です。
私はHSPだ。正しくは「そう思いたい」。知っている人は知っている、知らない人は知らないで、ありきたりな話を聞いてほしい。「あぁ、またその手の話ね」なんて思いながらでもいい。
まったくもって、これに気がついたのも最近である。過去を振り返れば、断片はたくさんあった。高校生の時、勉強中に時計の針の音がどうしても気になって壁から外したこと。友達にスマホを見せたら「なんでこんなに画面暗いの?」と1番明るくされたこと。近くにいる人、物、その空間の匂いがやけに気になること。幼い頃から本音をいうときに涙が出てしまうこと。週末はエネルギーが切れたみたいに動けなくなること。衝撃的な映画を観た後、その世界から抜け出すのに何日もかかること。ほかにも当てはまることは諸々あった。まぁただ、2年前に鬱だった時も、自分のことをADHDだと疑っていた私なので、もしかしたらこれも「病み」の兆候なのかもしれない。
「自分がそうかもしれない」と思い始めてから、それに関するいろいろな情報を探した。HSPという、ローマ字の並びを見ることも嫌気を刺すくらい調べた。今まで生きづらさを感じていたのはHSPのせいだったのかも、と思うのと同時に、どうしても頭をよぎるのは「甘え」。このことをnoteに記すのさえ、私は誰かに「甘え」たいのだと、その証拠だと思っている。
自覚してからというもの、なんら日常生活が変わったわけではない。誰かに打ち明けるでも、相談するでもなく「そうかもしれない」と思いながら生きている。
ただ、なんとなく、そう、今みたいな日曜日の夜になると、過去を振り返っては、現在の自分を客観視してみては、明日からの1週間を思っては、どうしたって涙が出てきてしまうのだ。ここ数ヶ月、そんなことを繰り返して日曜の夜はまともに眠れていない。眠れたと思ったら、夜中に何回も目が覚める。眠れたと思ったら、目が覚め、目が覚めたと思ったらそれもまだ夢の中で、また目が覚めても夢の中。眠れたと思ったら、目が覚め、ベッドの横に誰か立っていて襲われそうになったと思ったら、それもまだ夢の中。日曜の夜は眠るのが怖い。
世の中は毎日、いっぱいの事件と、いっぱいの事故、いっぱいの抗えない病気があって、もっと生きたい人がいるはずなのに、それなのに、彼らじゃなくて私が生きていることが、無性に苦しくなる時がある。
人を大切にできない、人に執着をしない、自ら1人になるであろう選択をしてきた私に、もし何かあった時、誰が、どれだけの人が悲しんでくれるのだろうか。
そう、これも全部「こんな生き方しかできない」という自分を、甘えという、あったかくも冷たくもあるものに、浸していたいだけの吐露だ。誰かに読んでもらいたい気もするし、誰にも読んで欲しくない気もする。
今日も、もう少ししたら眠らなければならない。結局、明日も私は時間通りきちんと起きて、きちんと働き、家に帰り、夕飯を食べ、お風呂に入る。毎日「必死」なのがなんだか、皮肉なのだ。
でも、こんな私でも、時折「人生捨てたもんじゃないな」とか「あぁ今日は楽しかったな」とか思える日があって、そういう話ももっとしたいなと思う。元気な時にな。だからその時がきたら、優しい顔で読んでほしい。
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