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眠れない夜に、こんばんは。

私はまだ生きてます。

この2ヶ月半、休職をして8月から同じ職場に復帰することになった。今の仕事を辞めることも、地元に戻ることも、転職することも、もちろんいろいろ考えた。同僚には「このまま辞めると思っていました」と何回も言われた。どうしてこういう結論に至ったか、ちょっと整理させてほしい。

適応障害というものになって、病気のことをたくさん調べた。1番の対策は『原因となるものから離れること』。たとえば、職場・家庭・人間関係。でも私は、はっきりとした理由がわからなかった。だんだん眠れなくなって、食べられなくなって、身体が悲鳴を上げていただけ。そりゃあ働く上で嫌なこともあったけど、拒絶するほどきついわけではなかった(「体調悪いけど会社に行かなきゃ」というプレッシャーはあったのかもしれない)。果たしていま休職してることに意味はあるのか。だから、先生に聞いてみた。

「私の適応障害の原因ってなんなんですか…?」

「あなたの場合、特定の原因があるわけじゃなくて全てのことにストレスや不安を感じてしまう。過剰適応といって、要は『自分自身』が原因です」

ん…?
なんとなく気づいてはいた。つまりそれって、私から離れること=自ら命を絶つことしか解決できないんじゃないですか。
その話を聞いた時「やっぱり」という絶望と「あぁそっかぁ」という安堵があった。ちょっと吹っ切れた。そしてこの時初めて、適応障害は環境の変化や外部からの圧以外にも成り得る病気だと知った。いまの私じゃきっと、仕事や生きる場所を変えても、根本は変わらない。もう一度向き合ってみて、ダメだったらやり直せばいいと思った。

好きな人といつか結婚したい。
もう少しラクに生きられるようになりたい。
ずっと東京で生活を続けていくのか。

私は『先を見据えること』を辞めた。人生設計を破棄した。漠然とした『いつか』に身を任せることにしたんだ。 

「やりたいことがないなら、もう地元に帰ってきなよ」
母親にそう言われるたび、胸につっかえていたものもようやくわかった。確かに、上京した時の夢を今も抱いているわけではないし、実際病気になっているんだから言われて当たり前だ。
でもね、東京ってやりたいことや夢がなければいちゃいけない場所なの?
時にはとても孤独。耐えきれないくらいの孤独に襲われた時もあった。「もう地元に戻ろう」と何度も思った。だけどまだ、東京に救われたい自分がいる。何かに望みをかけたい自分がいる。わがままでごめんなさい。

いまさ、実現するかわからないけど、30歳になったら高校からの親友と自営業でもしちゃおうかって話してるんだ。思い描いていた未来とは違くても、なんだか楽しそうだなって思えた。だからこれ以上は先を見ない。

365日の中で、私が私から離れたくなる日を僅かでも減らせるように。ぼちぼちやる。

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