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実家での表情筋の使い方。


田舎に帰ってきた。もう2年半ぶりになる。東京では半袖の部屋着で過ごしているのに、こちらはまだストーブを炊いていた。父親の額が後退していたことと、トイレに飾ってある造花が増えていたことを含めて、ちょろちょろと家の中も変化している。なんだか懐かしいような、でも私の知らない家のような気がして少し落ち着かない。父曰く「母さんが仕事辞めてから時間ができて、やたら整理しちゃったんだよ」とのこと。しかし私の部屋に関してはほとんど手をつけず、家を出たときのままにしておいてくれてある。大量のシール、書き損じの手紙、芸能人の新聞広告、切り抜き、昔の硬貨、壊れた音楽プレーヤー。今の断捨離癖からは想像もできないほど、「これ必要?」みたいなものがたくさんでてきた。必要ではない。あのときも別に必要ではなかった。でも、大切にしまってあった。もうそれらを見てもほとんど思い出せないことばかりなのに。

母親が作る夕飯はさっぱりしたものが多かった。もちろん私もそれでいい。末っ子の私が油物をきついと思う年齢なのだから、そりゃそうなるだろう。母の料理は、我が家だけの特別メニューとかもないし、おそらく普通なのだけど、「母の味だなぁ」と安心するから不思議である。何の変哲もないのに、見た目も味も、母の作る料理なのね。

家にいた頃から、子供たちは時間のほとんどを各々の部屋で過ごすような家族だったので、いざ帰ってきてもリビングで一家団欒の仕方が分からなかった。メガネを持ってくるのを忘れたのでテレビも観れなくて困った。リビングにいる理由ができなくて、そそくさ部屋に戻ってきてしまう。いい大人が家族との接し方が分からなくて情けないものだ。口下手なのは父親譲りで、感情を隠すのは母親譲りかもしれない。都合よく解釈する。


親に、実家に戻って一緒に住むことを提案されている。私はもう田舎に帰らないつもりでここを出たので、戻ってこようとは特に思わないが、そのときは「考えてみる」と返事をした。曖昧にしがち。しかし(こっそり)転職先も決めてしまったので、「まだ東京でがんばりたい」と言わなきゃいけない。言いたい。予定。家族と会話を、「家族と会話を」、今回の帰省のテーマにしていこうと思う。乞うご期待、していない。



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