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なんとか、やりきった。

1年、生きられました。

「死にたい」から「もう死ぬだろうな」と、ぼんやり確信していた今年。“ぼんやり”と“確信”は合わないね。1月3日の誕生日に入れたタトゥーは、26歳が人生の最後になってもいいように、記念碑兼お守りみたいに自分に刻んだ。生きてた証がまだ私の身体にある。
おかしなもので、たくさんの絶望を埋めるかのようにたくさん思い出ができた年でもあった。社会人になってからこんなに充実してたのは初めてだろう。充実といってもたぶん周りに比べたらちっぽけなことで、でも私には文字以上に充分すぎるくらいだった。今まで疎遠になってた人たちと会ったり、高校生の頃の先生に手紙を書いたり、仕事でしか関わらなかった同僚とプライベートで仲良くなったり、大学生以来のライブに行ったり、親とちゃんと話したり、6年遅れで成人式代わりの写真を撮ったり、夏には浴衣を着たし冬はクリスマスもした。そう、びっくりなんだけど4〜5年ぶりに会った友達が4人もいる。人間関係に終止符を打ちがちな私に、まだ切れていない縁があった。これは神様からのプレゼント?死に損なった自分を一度葬るためにみんな集まってくれたのかな?そういえば働き始めてから、周りの人が簡単にやってきたことを全然できなくなっていた。いや、子供の頃からそうだったのかも。社会人1年目のGW、10連休もあったのに私は家から出られなくて、周りの友達は旅行やらなんやら行ってて、たったそれだけのことなんだけど「あぁもう一緒にいた世界には戻れないんだ」と思った。気づいたらみんな結婚して苗字変わって子供できて、ふつうに稼いでふつうにボーナスもらってた。それが羨ましくてしょうがなくて、悲しかった。

今でも、どうやって生きていけばいいか、前までどうやって生きてたのかわからなくなる時がある。絶賛迷子中だ。彼氏もいないし、ボーナスはアパートの更新で吹っ飛ぶほどの額しか貰えなかったし、男なし金なし家だけある。それでもようやく、みんなが1年目にできていたであろう
仕事と私生活のバランスを取れるようになった(気がする)。適応障害という形で、いっぺん完全にぶっ壊れる期間が必要だったんだと、今になってやっと思えた。

「今年もありがとうございました」と、違う支社の同僚と電話した時に挨拶をしたら「〇〇さんが戻ってきてくれただけで嬉しかったです」と、返事をくれた。会社的には過ぎ去ったことだと思っていたし、自分自身も毎日の中で忘れていたことだった。そうだ、私頑張ったのか。えらかったなぁ。よくやった。


忘れたくない日にだけスマホに残してる、自分だけの特別な日記、今年8つもあったんだ。記録に残したい記憶が8つも増えた。


マスク外せるようになったのも今年からだったね。
初詣で引いた大吉のおみくじは1年間お財布に大事にしまって、今日役目を終えました。
良いお年を。良いお年になりますように。



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