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いつのまにか、ここにいる。

想像してみた10年後の自分。

「AKBのライバルグループのセンターの子が君に似ている」
今でも覚えている。
担任にそう言われた、中学3年生の帰りの会のとき。その日の朝、めざましテレビで取り上げられていた。ちょうど乃木坂46がデビューする直前、メンバー誰1人「無名」の頃、たったその一言で私は乃木坂ファンになった。同時に、それを知った母親もファンになった。
あれから11年が経ち、2022年の11月4日、当時最年少だった齋藤飛鳥ちゃんの卒業発表。数年前に私自身はオタクは卒業したけれど、古参ぶると、あの時から見ていた者にとってはなかなか来るものがあった。

上京したのが2015年。受験の時、母親と乃木神社へ行って合格祈願をした。雑誌で応募して手に入れたメンバーのサイン入りチェキ(もう休刊になった『OVERTURE』の1号目、メンバー1人につき応募者1名だけが貰える超レアなやつだったわけだ)を受験のお守り代わりに持って行った。東京に住み始めてから初めての夏、一人で「悲しみの忘れ方」という、乃木坂1作目のドキュメンタリー映画を観に行った。東京の映画館はこれが初めてだった。推しメンの生誕祭が近づくと、毎年乃木坂駅にポスターが貼られていて、それも一人で見に行った。自撮りして一緒に写真を撮った。人生初のライブも乃木坂だった。おじさんたちに囲まれながら、一人でペンライトを振った。そのライブで永島聖羅ちゃんが卒業発表をした。
もう、スマホの写真フォルダにも残っていない記憶たちだ。ふと、乃木坂が歩んできた11年間と、私がこのグループを好きでいた日々を思い出した。心細かった私に「乃木坂がいたから勇気を出せた」と、そう思えることばかりだ。
1人、また1人と卒業生が増えて、たしかにあの頃とは違う。推しメンもみんないなくなってしまったし、そこに向けられるだけの熱量もない。
ただ、たしかに乃木坂がいた時代に、私も頑張って生きてたんだなと、しみじみしてしまい、最後の一期である真夏さん含め「ありがとう」の気持ちでいっぱいになった。好きなもの、好きな人がいるというのはたぶんとても幸せだった。

生駒ちゃんの最後のシングルが「シンクロニシティ 」。この曲のMVに使われている撮影場所が、実は私の実家から徒歩1分のところで、まだそこが空き地だった時代はよく友達と遊んでいた。それはもう、こんな大御所アイドルが来るなんて思いもしない、散歩中のおじいちゃんおばあちゃんしか通らないような、とある田舎の一角。MVが公開されて、その建物の中に入ったこともなかったのに「もしかしたら」と思った。すぐに調べて、こりゃびっくりのビンゴ。母親に連絡をした。
「そういえば東京ナンバーの車が何台も停まっていて」
「なにかの音楽がずっと流れていて」
「『カット!』って声が時々聞こえたの」
「生駒ちゃんがこんな近くに来てたなんて」
無機質なLINEの画面からも、その興奮が伝わってくるほどだった。

母、あまりの興奮で夕飯作れず。

親子が乃木坂を好きになるきっかけだった生駒ちゃん。ラストシングルでこんな奇跡が起こるとは、誰が予想していただろうか。その頃私にとって生駒ちゃんって、いつのまにかお姉ちゃんみたいな存在になっていて、母にとってはもう1人の娘だったと思う。私と年が近くて、顔が似ていて、田舎から東京に出て。
本人にさえ会っていないのに、最後で最高のプレゼントだった。

乃木坂で推していたのは生駒ちゃんと中田花奈ちゃん。でも、ほかの子たちも、というか本当に優しいグループで、不思議なくらいみんなメンバー想いなんだ。だから、私も母もずっと好きでいられたんだと思う。

推せるグループがある、推しがいる。
思い出すこともなくなったそんな日々が、とても愛おしく思えた。
飛鳥ちゃん、卒業おめでとう。
真夏さん、あとちょっとだよ。


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