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あん、ハッピーエンド。



私の母親は「ハッピーエンド」がすきだ。映画やドラマ、漫画でも、幸せな結末を望む。そのため母はネタバレしてでも結末を知った上で、物語を楽しむ人だった。(ちなみにこれに関しては私もネタバレしたい派で、展開を知っていた方が物語の最中に「これはどういうこと?」と悩んで気を取られずに済むし、結末がどうなるんだろうというハラハラ感より安心して読み進められることを求めていたりする。小説なんかだと先に最後の1ページ読んでから読み始める。大学のゼミでこの話になった時、「ネタバレなんて絶対嫌!!」という中で、1人だけ共感してくれたゼミ長のことはいまも信頼しています。)ハッピーエンドがいいと、昔から母は言っていたが、昔の私はなぜかとてもそれが気に入らなかった。母がハッピーエンドに拘りすぎるので、むしろハッピーエンドじゃない方がすきだった。悲しい結末や、もやもやする結末を見るのが嫌だ。余韻を残して視聴者に考えさせるような結末も嫌。とのことで、でも人間なんてハッピーエンドじゃない方が多くない?恋愛なんて結ばれたあとで次は離婚するかもじゃない?甲子園で勝った後も受験や就職やら困難は待ち受けてるくさくない?と、思っていたのだった。

物語はいいな、終わりが決まってるから。人間の人生の一部を切り取って、勝手にスタートして勝手にゴールするもんね。そりゃあ、一部だったらきっと、私にもキラキラしてた瞬間はあったと思う。だけど、その先も生活は続いてて、どっちかというと物語にならないような、毎日繰り返しの生活が続いていて、そっちの方が「人生」って感じがするんだよね。だから『金田一37歳の事件簿』とかもけっこうすきだったりするわけです。あれはあれで事件起きちゃってるんで、十分、物語になっちゃってるんですがね。私が知りたいのって、栄光なスターの引退後の人生とか裏側の生活とか、新婚夫婦の晩年とか毎日の夕飯の会話とかだったりする。物語で描かれなかった部分を物語にしてほしいという、どうなったって矛盾が発生してしまうのだけど、人生の結果より、過程が知りたいのだす。

ハッピーじゃなくても必ずいつか終わりは来てしまう。でも「終わり」なんて、「死ぬ」ことなんて、普通の人だったらハッピーじゃない、その事象自体がね。だからやっぱり、過程が大事なんだと思う。走馬灯に流れる、一瞬の過程でも、なにかひとつふたつ良い思い出があれば、あの世でも生きていけるんじゃないかな。まぁ綺麗事だア。

ハッピーエンドに拘る母は、最後の時、人生が終わる時、ハッピーエンドだったと思うのだろうか。自分の人生がハッピーじゃないから、架空の世界に幸せな結末を求めているのだろうか。単にハッピーエンドの方が観た後すっきりするからだろうか。現実を見ているからこそ、物語に幸せを望むというのは理にかなってるのかもしれない。そこまでの深層心理はできれば、見過ごしたいところだった。幸せなんて求めるのは窮屈だから、いつのまにか幸せになっていました〜あは〜くらいがいいんだけど、これって贅沢?


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