儚さは勝手。
「マクベス解散します」
友達の男の子3人がルームシェアをしている。アパートの8階、男臭さが全くない、リアルPOPEYEなお部屋である。以前、勝手に親友と呼んでいる男の子の話をしたが、彼もそのうちの1人だ。自分では「俺が神木隆之介だ」って言っていた。なんでも、来年1月をもって一緒に住むのは終わりだって。私はすっかり、有村架純ちゃん気分で、どこか喪失感を覚えている。
「いつでも来ていいよ」と、言ってくれた。いつでも行っていい場所が私にできた。それってとてもすごいことで、仕事場と家を往復してた生活にもうひとつ、居場所ができたようだった。しかも、私の家から30分くらいで行ける距離。まる子ちゃんがたまちゃんたちと遊んでいる間に、私も大好きな友達に会いに行けるのだ。こんな嬉しいことってある?まるで、あの頃の、遊び場みたいだった。行ったらみんながいる場所。いつでも楽しい場所。音楽を聴きながら歌って、お酒を飲んで。私はあんまり友達がいないから、彼らにとってはなんてことない日常でも、思い出になって、宝物だった。
初めて家に行ったとき、少し、絶望みたいなものも感じた。なんでかって言うと、勝手なんだけど「もっと早くこのお家が私の近くにあればよかったのに」と思ったのだ。大学や仕事でつらかったとき、ここで慰めてほしかった。もっと早く3人が居てくれれば、自分の部屋に篭って1人で抱え込むあんな夜たちを過ごさなくてよかったんじゃないか、なんて考えてしまったのだ。それくらい、楽しさと憧れと懐かしさが詰まった、悔しいくらいのお家だった。
当時、私が残していた日記がある。
『お酒を飲んでピスタチオとサクレ食べて音楽を流して写真を撮った。夜更かしするつもりだったのに、そうそう寝たらしくて後悔。私にはあまりにも眩しくて羨ましいシェアハウスだった。
ストーリーに私が載ってて、でもこのストーリーは24時間で消えちゃうから、あそこにいた私ももうすぐみんなのなかから消えちゃうみたいで悲しくなった。
なんか、大学のとき私が欲しかったのは、こういう、いつでも行って良くて行ける距離にいて受け入れてくれて、近くに大切な人がいる環境だったんじゃないかと思って、涙が出ちゃって、だってもうつらいから東京離れたかった。この人達が大学の時からこんな近くにいてくれたら、もっとしんどい夜が少なかったのかなと思った。大学時代の友達はもう社会人で、そりゃ当たり前なんだけど、明日が月曜日とか仕事が終わらないとか、あのころのままじゃないんだよね。少しでいいから輪に入れてほしい』
普通こんなこと思わないよね。でもね、ほんとに嬉しかったの。嬉しいから、悲しかったらしい。
他人から見た「急に!?」は、本人からすると、全然、急ではない。
マクベスが解散したら、3人はどこに行くんだろう。私は、どこに遊びに行ったらいいんだろう。いつかなくなってしまうあの場所に、限られた時間のあの場所に、永遠をくれたみたいなあの場所に、あと何回会いに行けるのかな。
まぁ私、コントが始まる観てないんですけどね。
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