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精神科入院記録ー強迫、双極症ー 闘病記【20】

いざ入院生活へ

前回は大学院時代に薬物治療がうまくいかず、うつ状態に繰り返し陥ることになったところまで述べました。
今回は精神科で入院治療をした時のことを述べたいと思います。

かかりつけの医者に入院治療を提案された私は、なぜだかうきうきしていました。外科の手術のように、入院すればうつ状態に陥らなくなるのだと思っていたのです。この時は病気に対する知識は皆無に等しいものでした。

そして意気揚々と病院へ向かいました。この時、荷物がたくさんあるので後輩に車で送ってもらいました。後輩には「世の中にはいろんな世界があるから見ていけ」と偉そうなことを言ったのを今でも覚えています。

病院に着くと看護師さんが出迎えてくれました。
その時に「ご両親は?」と聞かれました。両親は田舎にいるのでその旨を伝えると驚かれました。
23歳ということで両親に付き添われて入院してくるものだと思っていたようです。

入院治療が決まってからはうつ状態にはならなかったので、親には電話で旅行に行くような感じで伝えただけでした。

病院内について

私が入ったのは開放病棟でした。閉鎖病棟とは違い、普通の病院と同じように院内は自由に動けました。

まず病室に案内されました。二人部屋でした。
隣の人(以下Aさん)も若そうな人でした。
Aさんは見たところおかしな様子はありませんでした。

少し話をすると強制入院で連れられて来たということでした。
私は任意入院だったのでAさんはよっぽど悪いのかと思いました。

Aさんは早く出たいのだけど許可が降りないのだと言っていました。
検査が終われば出られるから、もう少しの辛抱だとも言っていました。

院内を見て回るといろいろな人に声をかけられました。
廊下に寝そべっている人、ソファーでくつろいでいる人、ちょっとおかしな動きをしている人、徘徊している人。

院内は看護師さんが走り回っていて野戦病院のようだと感じました。同時にみな精神的に問題を抱えながらも割と自由に生活していると思いました。

喫煙所にて

それから私はたばこを吸うので喫煙所に行きました。すると患者が集まってたばこを吸っていました。
喫煙所ではみなさんフレンドリーに迎えてくれました。

そこで少し会話をしました。
するとみんな、出たいのに出られないのだと口々に不満を訴えていました。

そんなにきつい生活なのかと少し不安になりました。
そしてその中でも特に話しかけてくる人(以下Bさん)がいました。
Bさんはたばこを一本恵んでくれないかと言ってきました。

どうぞと言うと異常に喜んでいました。
この時点ではBさんは気の良いおじさんだと思いました。

喫煙所を出た後声をかけてくる人(以下Cさん)がいました。Cさんは私にBさんはややこしいから付き合わない方がいいと言ってきました。私は「そうですか」とだけ答えました。

この時点では患者内でグループを作り、そのグループごとにパワーバランスがあることは知りませんでした。

詳細は書きませんが、独特の人間模様がありました。友達付き合いが苦手な私は面倒くさいとしか思いませんでした。

また喫煙所には女性(以下Dさん)もいました。Dさんは一匹狼で朝になるとヨガみたいなことをやっていました。

ちょっと変な病院

登場人物は以上ですが、他にもたくさん患者はいました。自分を神様だという人。めがねをずっと治している人。床に寝そべって奇妙な動きをしている人。ずっとお祈りをしている人。一人でしゃべり続けている人。
みんな思い思いに時間を過ごしていました。

食事はおいしかったです。これまで病院の食事がおいしいと感じたことはなかったのですがここはおいしかったです。

Cさんが、みんな薬を飲んでいるから比較的味が濃いのだと教えてくれました。また、楽しみが食事しかないのだからとも言っていました。

幻聴

ある日部屋にいるとベッドの上のAさんが突然しゃべり始めました。
誰か来て話をしているのかと思いましたが、そうではありません。

Aさんは怒った口調でしゃべっていました。
おかしいけれどしゃべりかけてはだめだと思ったので静かにしていました。

Aさんは統合失調症だったのです。その時は陽性状態だったようで幻聴が聞こえていたのです。

そしてCT検査の結果、病院からしばらく出られないということになりました。
Aさんは看護師に自分は大丈夫だから出してくれと懇願していました。
しかしその願いは叶いませんでした。

忘れられない彼女

Bさんは喫煙所に行く度にたばこをせがんできました。私は断れなくてあげていました。ものすごく感謝されましたが、毎回なので嫌になってきました。

またBさんは前の彼女のことが忘れられないらしくその話を何回もしてきました。
私も忘れられない彼女がいたのですが、こういう風にはなりたくないと思いました。

Aさんは統合失調症だと分かったのですがB、C、Dさんは何の病気かその時は分かりませんでした。

けんかの後

ある日、BさんとCさんが言い合いになりました。Bさんは興奮して、殴りかかっていました。Cさんも殺気だっていたのですが手は出しませんでした。

その結果Bさんは閉鎖病棟に送られました。Cさんはあの人は躁うつなのだと言いました。
BさんがいなくなったのでCさんと仲良くすることにしました。

またDさんもたばこを吸うので自然と仲良くなりました。CさんとDさんとは普通に会話ができるので仲良くなりました。

患者の半分くらいは統合失調症で幻聴、幻覚に苦しんでいたと思います。そんな訳で中には会話が成り立たない人もいました。

スタッフとの思い出

看護師さんは優しくいろいろ話を聞いてくれました。医者も私のために時間を作ってくれました。毎晩医者と話をしました。
特別待遇を受けていたようでありがたかったです。

日を経るごとに私は元気になっていきました。失礼な話ですが、他の人に比べたら自分は「まとも」だと思ったのです。愚かな優越感が元気を与えたのです。

周りの人にも気を遣いました。そして看護師さんに気に入られるように進んでお手伝いなどをしました。そうして病院内では優等生になっていきました。

大学院生だということで周りから尊敬されますし、看護師や医者からも褒められます。私は自分に誇りを持つことができました。

ここでも人よりよく思われたい、他人に評価して欲しいということに支配されていました。入院治療での一番の目的が休養であるとは全く知らなかったのです。

毎日CさんとDさんと話をしました。CさんもDさんも私とは10歳以上年が離れているということでかわいがってくれました。
また大学院生だということで敬ってくれました。

私はある意味充実した日々を送っていました。病院内で出来ることを精一杯やれていたからだと思います。他人からも認められるので、これでいいのだと思いました。

退院にあたって

私は最初の予定通り二週間で退院することになりました。入院の期間うつ状態になることはありませんでした。問題行動も一つも起こしませんでした。

他人からはなぜ精神科病棟にいるのか分からない、優等生として退院することになりました。

退院するときにある看護師さんが、「これからが勝負だからな。ここでの生活は忘れるように」と言いました。

私は愕然としました。
ここでの「充実」した日々を否定されたような気がしたからです。

また世間は病院と違って優しくないという意味もあったと思います。
正直その言葉を聞いて不安になりました。
病院で少し自信をつけましたが、こんな自分では「普通」の社会で通用しないのだと思いました。

そう言った看護師さんのことは今でも覚えていますし、一生忘れないでしょう。

結局医者は私の病気は分からないと言いました。
強迫症はあるようだけれどどうにも出来ないということでした。

うつ病については分からないということでした。ここでも双極症は示唆されませんでした。

あれだけ毎晩話をして分からないということはどういうことだろうと思いました。あれだけ時間をかけて診察して分からないのですから、どこに病院に行っても「分からない」と言われるのは仕方がないことかもしれません。

退院後

そして退院しました。また現実に戻ると思うと不安になりました。
一方で、入院中はうつ状態にならなかったので、これからもならないだろうと楽観視している部分もありました。

CさんとDさんとは退院後も付き合うことになりました。しかし病院内ではとても仲がよかったのですが、外に出てみると病院内とは違い、なにかしっくりときません。

あの閉ざされた空間の中で特殊な心理が働いていたのだと思います。
お互い病気の中、一緒に生活をしていたという連帯感はあっけなく消えてしまったのです。

その後もDさんとはしばらく付き合いましたがうまくいきませんでした。病気の影響かどうかは分かりませんが、やはり病院の外で見ると「普通」ではありませんでした。もちろん私も「普通」ではなかったのですが。

大学院に戻る

退院後は大学院に戻って研究を続けることにしました。
入院するほど大変だったのにけろっとして帰って来たので周囲は驚いていました。

私の調子が良かったので、Mからは「天才」の完全復活だと言われました。
しかし現実はそう甘くはありませんでした。
病魔が治ることはなかったのです。


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